通算No.68 背教に関して

テキスト:2テサロニケ2:3ー12
”3 だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。
4 彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。
5 私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話しておいたのを思い出しませんか。
6 あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現われるようにと、いま引き止めているものがあるのです。
7 不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。
8 その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。
9 不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、
10 また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。
11 それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。
12 それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。”
 

本日は背教という題でメッセージをしていきたいと思います。
テキストに”背教”ということばが出てきます。この背教とは具体的にどういうことをさしているのか、それを見ていきたいと思うのです。

日本語の背教ということばは教えに背くというニュアンスです。教えとはキリストの教えであり、背くのはクリスチャンです。この言葉に関して、英語ではfall downー信仰から落ちるという表現が使われています。

ギリシャ語で、この言葉がどのように使用されているのか見てみます。以下で使用されています。

使徒の働き 21:21 ”ところで、彼らが聞かされていることは、あなたは異邦人の中にいるすべてのユダヤ人に、子どもに割礼を施すな、慣習に従って歩むな、と言って、モーセにそむくように教えているということなのです。”

マタイの福音書 5:31 ”また『だれでも、妻を離別する者は、妻に離婚状を与えよ。』と言われています。”

この背教ということばが他ではそむく、離別とも訳されてます。要するに人から離れていくことと思われます。これらのことからはっきりわかることは、”背教”とはクリスチャンが神である主から離れていくことであり、信仰を失うことです。これらのことが終末におきるのです。

神から離れる、信仰を失う人はどの時代にもあります。しかし、わざわざ終末に関連してパウロが”まず背教が起り”と特記するということは、これが特別なことであること、大規模なことであることが想像されます。ここでまずクリスチャンの背教、そして反キリストの出現について書いてあります。ですから、この節以降の記事は基本的にクリスチャンに関して書かれたものであることがわかります。

さて本日の箇所をテキストに沿って見ていきたいと思います。

”神の宮の中に座を設け、”
神の宮は教会であり、反キリストは教会の長となります。反キリストはクリスチャンを惑わすものです。彼が神の宮の中に座す時、多くのクリスチャンが彼を拝するようになることが想像されます。
 
 ”あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現われるようにと、いま引き止めているものがあるのです。”
ひきとめる者は聖霊です。
 

”しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。
聖霊は自分が取り除かれる時までは引き止める働きをされます。しかし、”自分が取り除かれる時”がきます。その時、不法の人が現われるのです。

今まで引き止めてくれたのに、何故終末になると聖霊はその働きをやめてしまうのでしょうか。他の時代と比べて不公平ではないでしょうか。

しかし、聖書が語っているのはこういうことです。聖霊が自分から進んで我々から離れるというより、その時になると、教会が聖霊を追い出すのです。よくみことばを見てみましょう。

自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。”

”取り除かれる”と書いてあります。この表現は英語の聖書ではbe gone outと書かれています。”外へ出される”という意味です。ギリシャ語でも同じ意味になります。

聖霊が教会から締め出される、そのようなニュアンスがこのことばから伺えます。そういえば、7つの教会の中の最後の教会であるラオデキヤでは主は”戸の外に立ってたたく”と記されています。この記述も、まさにこのことをさすのではないでしょうか。終末には聖霊を締め出す教会が現われるのです。

一家の主であるお父さんが夜、外に締め出され、扉をノックしている、これは尋常な家庭ではありません。同じように終末におけるこの教会の状態は尋常ではないのです。

” 不法の秘密はすでに働いています。”
不法の究極的な存在である”不法の人”が現われるのは主の日の前です。しかし、同じ不法の原則、秘密はすでに働いているとパウロは語っています。だから、パウロの時代にすでにこの秘密は働いていたのです。不法の人が現われ、神の宮ー教会の中に座すという極端なできごとは世の終りに起きるとしても、その同じ原則はすでにパウロの時代から教会に働いているのだと彼は言っているのです。

これはヨハネが語っているこのことばと同じ原則です。
ヨハネの手紙第一 2:18 ”小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現われています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。”

聖書のどのことばでも意味のないことば、無視して良いことばはありません。
ヨハネの時から1900年もたっているのにまだ終末はきていません。彼は早まったことをいったのでしょうか。そうではありません。彼は時間のことではなく、原則、状態のことをいっているのです。彼は”今や多くの反キリストが現われています”と書きました。彼の時代にすでに現われていた反キリストの教え、これはそのままいくつかは教会にはいり、そして終りをもたらす、そのことをいったのではないかと私は思っています。パン種はすでにこの頃からまかれていたのです。
 
 イスラエルの歴史を考えてみましょう。ユダは国ごとバビロンへ捕え、移されてしまいました。これは、神の民が異邦の地へ移されるという大変驚くべきことです。しかし、彼等の歴史をよく読むと、この事件も突然起きたというより、彼等の長年の不信のゆえにおこるべくして起こったことがわかります。

ですから、バビロン捕囚の原因は突然始まったわけではありません。彼等の歴史の随分早い時期から神への不信のきざし、根はあったのです。その頂点が捕囚なのです。

同じことが教会にもいえます。教会の崩壊は終末に突然始まるわけではありません。すでにパン種の教えはまかれ、多くの間違いは蔓延しています。そして、彼等の不信、教会の背きの頂点がこの滅びの人の出現です。

ユダはネブカデネザル王によりバビロンへ捕え移されました。移された人々は先祖のゆずりの地から移されてしまったのです。

同じことが終末におきます。この不法の人、反キリストの原則により教会の多くの人が約束の地ー永遠の命から捕え移されてしまいます。それが黙示録に記されている淫婦バビロンです。

” 不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、
また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。”

ここでいわれているのは主として、クリスチャンに対することばです。クリスチャンの滅びる人たちに対して ”あらゆる悪の欺きが行なわれ”るというのです

”それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。
 それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。”

預言者ミカヤの時、400人の偽預言者に同じ一つの霊から惑わしの預言が与えられました。彼等は主からのことばだと確信していましたが、実は偽りの預言だったのです。その預言のことばに従い、出ていったアハブ王はラモテギレアデで戦いに破れ、死にました。同じことが終末のクリスチャンにもおこります。偽3預言者の人数は多いでしょうが、彼等は惑わしの中にいます。そして、彼等に導かれた人々は裁かれるのです。

終末における主のみこころを行っていきましょう。

ー以上ー  

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