通算No.62 神殿とエルサレムの再建

テキスト:エズラ1:1ー3

”1 ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。
2 「ペルシヤの王クロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私に賜わった。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。
3 あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。”

本日は神殿とエルサレムの再建という題でメッセージしたいと思います。これらが何を意味しているかをみていきたいと思うのです。
エズラ記、ネヘミヤ記には宮の再建、エルサレムの再建について記してあります。これらはバビロンに捕囚されることにより崩された宮とエルサレムの再建の物語です。さて、これらの物語は旧約のイスラエルの国においてなされた歴史的なできごとです。

しかし、これは未来への予表でもあります。何故なら終末においても神の民のバビロン捕囚が行われ、教会の大部分はバビロン化されてしまうからです。黙示録に記されているいん婦バビロンがそれです。しかし、全ての民がバビロン化するわけではありません。”わが民よこの女から離れなさい。”というようにこの女から出る真の神の民がいるからです。また黙示録には新エルサレムが記されています。

ですから、エズラ、ネヘミヤの宮と都の再建の物語は単に昔の歴史を記してあるのではなく、終末において、バビロン化した教会を離れて真の神の宮と都を再建する神の民に関する預言、予表でもあります。

聖書の中には教会の崩壊、そしてその中から出てくる再建された教会、この2つが預言されています。たとえば、黙示録には7つの教会が預言されています。そこにはテアテラ、サルデス、ラオデキヤというように除じょに教会が正しい道から外れていくさまが見えます。しかしそれらの中に突然、正しい道へ戻っている教会があるのです。その教会はフイラデルフイアです。このフイラデルフイアにおける教会の再建とエズラ、ネヘミヤの再建は共通するものがあると私は思っています。

テキストに沿って見ていきたいと思います。

”この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。”
ここで、ユダ エルサレムの再建を任せられた一人の王がいます。この王はクロス王であり、終末におけ勝利者の型です。我々クリスチャンは”王なる祭司”なので、この王は勝利者であるクリスチャンの型なのです。他の箇所ではこのクロス王を”油そそがれた者””みこころを行う牧者”とも表現しています。これらからもこのクロス王は終末において神のみこころを行うためにたてられる勝利者の予表であることがわかります。

イザヤ45:1ー3
”1 主は、油そそがれた者クロスに、こう仰せられた。「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前にとびらを開いて、その門を閉じさせないようにする。
2 わたしはあなたの前に進んで、険しい地を平らにし、青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折る。
3 わたしは秘められている財宝と、ひそかな所の隠された宝をあなたに与える。それは、わたしが主であり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることをあなたが知るためだ。”

イザヤ44: 28
”28 わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる。』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる。』と言う。」”

”宮を建てることを私にゆだねられた。”と書いてあるように、この勝利者達によりバビロン化された教会、神の前に崩壊したような状態の教会が再建されます。
”彼の前にとびらを開いて、その門を閉じさせないようにする。”との約束はキリストの語られたペテロー弟子への約束を思い起こさせます。

エズラ1:7
” クロス王は、ネブカデネザルがエルサレムから持って来て、自分の神々の宮に置いていた主の宮の用具を運び出した。”

ここでクロス王ー勝利者がバビロンの神々の宮に置いていた主の宮の用具を運び出したことが記されています。
この記述の後、金の皿が何枚、銀の皿が何枚というようにその器の種類と数が記されています。これも予表です。 すなわち、バビロン化された教会から真の神の器を引き出し正しい礼拝、奉仕へと導く牧者の働きを記したものです。

エズラ2:1、2
”1 バビロンの王ネブカデネザルがバビロンに引いて行った捕囚の民で、その捕囚の身から解かれて上り、エルサレムとユダに戻り、めいめい自分の町に戻ったこの州の人々は次のとおりである。
2 ゼルバベルといっしょに帰って来た者は、ヨシュア、ネヘミヤ、セラヤ、レエラヤ、モルデカイ、ビルシャン、ミスパル、ビグワイ、レフム、バアナ。イスラエルの民の人数は次のとおりである。”

ここにバビロンの捕囚から解かれエルサレムへ戻ってきた人々のことが記されています。これもバビロン化された教会から解放され、真の教会、奉仕に戻ってきた神のしもべの予表です。彼等の名前は記述され、また後の節では、人数も記されています。逆にバビロンへ捕えられたままになった人々については聖書には原則として名前や人数を記していません。これらは予表であり、いのちの書に名前を記される人とそうでない人との違いを示します。

エズラ4:1ー3
”1 ユダとベニヤミンの敵たちは、捕囚から帰って来た人々が、イスラエルの神、主のために神殿を建てていると聞いて、
2 ゼルバベルと一族のかしらたちのところに近づいて来て、言った。「私たちも、あなたがたといっしょに建てたい。私たちは、あなたがたと同様、あなたがたの神を求めているのです。アッシリヤの王エサル・ハドンが、私たちをここに連れて来た時以来、私たちは、あなたがたの神に、いけにえをささげてきました。」
3 しかし、ゼルバベルとヨシュアとその他のイスラエルの一族のかしらたちは、彼らに言った。「私たちの神のために宮を建てることについて、あなたがたと私たちとは何の関係もない。ペルシヤの王、クロス王が私たちに命じたとおり、私たちだけで、イスラエルの神、主のために宮を建てるつもりだ。」”
エズラ4:16
”私たちは王に知らせます。もしもこの町が再建され、城壁が修復されたなら、あなたはこのために川向こうの領土を失ってしまわれるでしょう。”

ここで、川向こうの人々がこの再建の助けにきました。しかし、エズラ達はこれを断わっています。”私たちは、あなたがたと同様、あなたがたの神を求めているのです。”という人々をどうして断わるのでしょう。ここでいう川は”水と聖霊”によるバプテスマを象徴しているのではないかと思います。しかし、彼等はこの川の向こう側、すなわちまだバプテスマを受けていない、肉の死を経験していない人々です。ですから、彼等はこのことには関係のない人々です。

エズラ4:4、5
”4 すると、その地の民は、建てさせまいとして、ユダの民の気力を失わせ、彼らをおどした。
5 さらに、議官を買収して彼らに反対させ、この計画を打ちこわそうとした。このことはペルシヤの王クロスの時代からペルシヤの王ダリヨスの治世の時まで続いた。”

エズラ記、ネヘミヤ記において神殿、都の再建に反対した人達に共通点があります。彼等は川向こうの人々なのです。よく読むと何度も川向こうという表現が出てくることがわかります。彼等はこの働きに反対しました。宮を再建することに反対したのです。肉の働き人は神の働きをとどめます。

エズラ5:11、12
”11 すると、彼らは次のように私たちに返事をよこして言いました。『私たちは天と地の神のしもべであり、ずっと昔から建てられていた宮を建て直しているのです。それはイスラエルの大王が建てて、完成させたものです。
12 しかし、私たちの先祖が、天の神を怒らせたので、神は彼らをカルデヤ人であるバビロンの王ネブカデネザルの手に渡されました。そこで、彼はこの宮を破壊し、民を捕えてバビロンに移したのです。”

終末におきる神の勝利者の働きの実質は再建です。すなわち全く新しい別の建物をたてるわけではないのです。
たとえば、現在、異言、預言、いやし、等の聖霊のたまものが現在開かれてきています。ほんの100年、200年前にはこれらはこのように顕著には現われていませんでした。すばらしいことがおきているわけです。しかし、これらはもとから聖書に記されていたものであり、再び開かれてきたといういいかたが正しいいいかたです。すなわち再建のわざなのです。

”それはイスラエルの大王が建てて、完成させたものです。”
この教会はイスラエルの大王ーキリストが建てたものです。しかし、いまその教会が崩壊していると主はいわれるのです。

エズラ9:1ー3
”1 これらのことが終わって後、つかさたちが私のところに近づいて来て次のように言った。「イスラエルの民や、祭司や、レビ人は、カナン人、ヘテ人、ペリジ人、エブス人、アモン人、モアブ人、エジプト人、エモリ人などの、忌みきらうべき国々の民と縁を絶つことなく、
2 かえって、彼らも、その息子たちも、これらの国々の娘をめとり、聖なる種族がこれらの国々の民と混じり合ってしまいました。しかも、つかさたち、代表者たちがこの不信の罪の張本人なのです。」
3 私はこのことを聞いて、着物と上着を裂き、髪の毛とひげを引き抜き、色を失ってすわってしまった。”

”着物と上着を裂き、髪の毛とひげを引き抜き、色を失ってすわってしまった。”
エズラの嘆きはそのままこの世と神の民との間違った関係を嘆く神の姿です。”聖なる種族がこれらの国々の民と混じり合って”しまうことは神の前に非常に大きな問題であることを知らねばなりません。

ネヘミヤ8:1
”1 民はみな、いっせいに、水の門の前の広場に集まって来た。そして彼らは、主がイスラエルに命じたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに願った。
2 そこで、第七の月の一日目に祭司エズラは、男も女も、すべて聞いて理解できる人たちからなる集団の前に律法を持って来て、
3 水の門の前の広場で、夜明けから真昼まで、男や女で理解できる人たちの前で、これを朗読した。民はみな、律法の書に耳を傾けた。”

”8 彼らが神の律法の書をはっきりと読んで説明したので、民は読まれたことを理解した。
9 総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民に解き明かすレビ人たちは、民全部に向かって言った。「きょうは、あなたがたの神、主のために聖別された日である。悲しんではならない。泣いてはならない。」民が律法のことばを聞いたときに、みな泣いていたからである。”

”12 こうして、民はみな、行き、食べたり飲んだり、ごちそうを贈ったりして、大いに喜んだ。これは、彼らが教えられたことを理解したからである。
13 二日目に、すべての民の一族のかしらたちと、祭司たち、レビ人たちは、律法のことばをよく調べるために、学者エズラのところに集まって来た。
14 こうして彼らは、主がモーセを通して命じた律法に、イスラエル人は第七の月の祭りの間、仮庵の中に住まなければならない、と書かれているのを見つけ出した。”

ここで、神のことばが読まれ、民がそれを理解したことを記しています。神の民に神のことばー律法が読まれることは何の不思議もないようです。しかし、これらの記述の中で一つ注目すべきことがあります。それはこの書で何度も神のことばを”理解する”ことについて語っているのです。

これは終末のどのようなことを予表しているのでしょう。それは終末において神のことばが単に読まれるだけではなく、”理解”されることについて述べているのです。

この理解することについて主はこのようにいわれています。

マルコ4:12 それは、『彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため。』です。」
13 そして彼らにこう言われた。「このたとえがわからないのですか。そんなことで、いったいどうしてたとえの<理解>ができましょう。

イエスは聖書の中に書かれたたとえや謎、隠されたことを”理解”することについて述べています。ですから、上記の民が”理解”したとのことばは聖書の中に隠された神のたとえ、教えが理解される日がくるとの予表、預言なのです。

”民が律法のことばを聞いたときに、みな泣いていたからである。”とのことばも預言的です。何故なら、聖書の中にたとえで隠されている終末の預言は明確に神の民のさばきについて語っています。それを真に理解した時、決して楽しい気持ちにはなれないからです。

”こうして彼らは、主がモーセを通して命じた律法に、イスラエル人は第七の月の祭りの間、仮庵の中に住まなければならない、と書かれているのを見つけ出した。”

”書かれているのを見付け出した”とは象徴的な書きかたです。モーセの時代から何百年以上も律法は存在していました。彼等も初めてこの仮庵の記述を読むわけではありません。しかし、彼等はこの時代にこの仮庵の祭について聖書が記している意味を正しく見つけだし、理解し、それを実行するのです。私は仮庵は地下教会をさすのではないかと思っています。

エズラ10:13
” しかし、民は大ぜいであり、また、大雨の季節ですから、私たちは外に立っていることができません。しかも、これは一日や二日の仕事でもありません。このことでは、私たちの多くの者がそむいているのですから。”
イスラエルの先の雨と後の雨は収穫に関係します。すなわちペンテコステと終末の大収穫に影響するのです。それで、この大雨はリバイバルの時をさすと思われます。

ネヘミヤ3:1
”こうして、大祭司エルヤシブは、その兄弟の祭司たちと、羊の門の再建に取りかかった。彼らはそれを聖別して、とびらを取りつけた。彼らはメアのやぐらまで聖別し、ハナヌエルのやぐらにまで及んだ。”

ネヘミヤはエルサレムの再建をしました。その記述の中でそれぞれの人々がそれぞれの部分を責任もって再建、修理したことが記されています。これらの人々は終末に神の都ー教会における真理、働きを再建する人々の型です。
ある人は預言、ある人はいやし、ある人は使徒の働きというように再建されていくでしょう。私はその中には聖書のことばの真理、まちがった解釈に関する再建も必ずあると信じています。

終末における主のみこころを行っていきましょう。

ー以上ー
 

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