通算No.9 私的解釈に関して学ぶ


テキスト:
ペテロの手紙第二 1:20
"それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の 預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。 "


「私的解釈」のほんとうの意味

今回は「私的解釈に関して学ぶ」という題でメッセージをします。 上記箇所のいわゆる「私的解釈」との訳文は必ずしも原語に忠実な訳ではない、 ということに関して学んでいきたいと思います。
原語の意味から見るなら、この「私的解釈」と訳されたことばは必 ずしも正しい訳ではありません。むしろ「それ自身の解釈」−そのテキストのみ からの解釈−と訳されるべきです。もし、そのように見るとこの節全体は以下の ように訳せます。
「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すな わち、聖書の預言はみな、それ自身の解釈を施してはならない、ということで す。」(J.N.Darby訳)
このように訳すと意味がはっきりしてきます。この節のいわんとし ていることは預言を解釈する時の方法です。すなわ ち、黙示録のテキスト、たとえば7つの頭と10の角を持つ獣なりに関するテキ ストがあるとします。その時、その黙示録の預言のテキスト のみで頭をウンウンうならせて解釈せず、他の預言の箇所、例えば、ダニエル書 の獣の箇所なりを参照せよ、ということをいっているのです。
よく聖書研究に関連して「聖書に聖書を解かせる」ということばが 使われます。その根拠は他でもない、この節からきているのです。
しかし、多くのクリスチャンはこの箇所を「私的解釈」と訳して、 それ以上のことを考えようとしません。しかしこの訳は妥当ではありません。間 違っているとはいわないものの、原語の第一義的な意味をカバーしていません。 第一義的な意味を考慮するなら、「それ自身の解釈」と訳すべきだと思います。 何故そのように主張できるのでしょうか。このことに関して以下のように2つの 理由をあげます。
  1. 「私的」と訳されているギリシャ語idiosの第一義的な訳は「〜自身」 という意味である。
  2. 英語聖書の中ではもっとも忠実な訳といわれるJ.N.Darby訳でもこ の箇所は「それ自身の解釈を施してはならない」と訳されている。
さて、上記点をもう少し詳しく見ていきたいと思います。
1.について:
このidiosというギリシャ語の意味は辞書によると以下の通り です。
AV - his own 48, their own 13, privately 8, apart 7, your own 6,
     his 5, own 5, not tr 1, misc 20; 113
この語は新約聖書の中で合計113回使用されています。その中で もhis own(彼自身)48回、their own 13回、 your  own 6回、 own5回のように「〜自身」という用法が多いことがわか ります。
privately 「私的」という用法も8回ありますが、第 一義的な意味ではないことがわかります。ですから、この単語の原語の意味を正 しく反映させるつもりなら、「〜自身」という意味あいを全くいれないのはおか しなことになるのです。
2.について:
私はOnline Bibleという英語の聖書ソフトを使ってい ます。そこにいくつか英語訳の聖書が入っています。その中のJ.N.Darb y訳についてこのOnline Bibleは「英語訳の聖書としてはもっとも 忠実な訳。KJV訳以上に忠実に訳されている」と紹介しています。そしてこの J.N.Darby訳にはこの箇所が、「すなわち、聖書の預言はみな、それ自 身の解釈を施してはならない、ということです。」と訳されているのです。
ですから、この箇所を「私的解釈」という訳でのみ、きめつけるべ きではありません。少なくとも、「それ自身の解釈」と訳すことも可能であるこ とを認めるべきだと思います。

"idios"という語の使用箇所

さて、この原語、idiosということばが実際に聖書の中でどの ように使われているか、見てみましょう。これらを見ていくなかで、この原語の 意味あいが判明してくると思います。例として、マタイ伝で使われているこの原 語を全てあげてみます。
  1. And he entered into a ship, and passed over, and came into his own <2398> city.(Mt 9:1)

    イエスは舟に乗って湖を渡り、自分(自分自身) の町に帰られた。(マタイの福音書 9:1)

  2. When Jesus heard of it, he departed thence by ship into a desert place apart <2398>: and when the people had heard thereof, they followed him on foot out of the cities.(Mt 14:13)

    イエスはこのことを聞かれると、舟でそこを去り、自 分だけで寂しい所に行かれた。すると、群衆がそれと聞いて、町々か ら、歩いてイエスのあとを追った。(マタイの福音書 14:13)

  3. And when he had sent the multitudes away, he went up into a mountain apart <2398> to pray: and when the evening was come, he was there alone.(Mt 14:23)

    群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで(離れ て)山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。 (マタイの福音書 14:23)

  4. And after six days Jesus taketh Peter, James, and John his brother, and bringeth them up into an high mountain apart <2398>,(Mt 17:1)

    それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れ て、高い山に(離れて)導いて行かれた。(マタ イの福音書 17:1)

  5. Then came the disciples to Jesus apart <2398>, and said, Why could not we cast him out?(Mt 17:19)

    そのとき、弟子たちはそっとイエスのもとに(離れて )来て、言った。「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのです か。」(マタイの福音書 17:19)

  6. And Jesus going up to Jerusalem took the twelve disciples apart <2398> in the way,and said unto them,(Mt 20:17)

    さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられたが、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。(マタイの福音書  20:17)

  7. But they made light of it, and went their ways, one to his<2398> farm, another to his merchandise:(Mt 22:5)

    ところが、彼らは気にもかけず、ある者は(自分自身 の)畑に、別の者は商売に出て行き、(マタイの福音書 22:5)

  8. And as he sat upon the mount of Olives, the disciples came unto him privately <2398>, saying, Tell us, when shall these things be? and what shall be the sign of thy coming, and of the end of the world?(Mt 24:3)

    イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。い つ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりに は、どんな前兆があるのでしょう。」(マタイの福音書 24:3)

  9. For the kingdom of heaven is as a man travelling into a far country, who called his own <2398> servants, and delivered unto them his goods.(Mt 25:14)

    天の御国は、(自分の)しもべたちを呼んで、 自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。(マタイの福音書 25:14)

  10. And unto one he gave five talents, to another two, and to another one; to every man according to his several <2398> ability; and straightway took his journey.(Mt 25:15)

    彼は、おのおのその(自分の)能力に応じて、 ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡 し、それから旅に出かけた。(マタイの福音書 25:15)

(*上記の英訳の引用箇所で、<2398>とあるのは、"Strong's Exhaustive Concordance of The BIBLE"のギリシャ語 Word Numberで す)


上記のように、このidiosということばには、「自分自身」 「それ自身」「(他と離れて)自分で」という用法が多いことがわかります。こ のことばはそもそもそういうニュアンスのことばなのです。上記マタイ伝の箇所 で一箇所だけprivately(私的)と訳されている箇所があります。以下 の箇所です。
Mt 24:3 And as he sat upon the mount of Olives, the disciples came unto him privately <2398>, saying, Tell us, when shall these things be? and what shall be the sign of thy coming, and of the end of the world?
マタイの福音書 24:3 イエスがオリーブ山ですわっておられる と、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、その ようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな 前兆があるのでしょう。」
ここでは「弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った」のです。そ して、この箇所の用法にも「〜自身」というニュアンスが含まれていることがわ かります。
結論として、くり返すようですが、このidiosということばの もっとも基本的な意味あいは「〜自身」という意味です。
ですから、この原語が使われている上記ペテロの手紙のテキストは 「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の 預言はみな、それ自身の解釈を施してはならない、ということです。」と訳すの がもっとも、妥当と思えます。
「私的解釈」と訳すのが間違いではないにしても、第2義、第3義 的な意味あいです。まして、「私的解釈」以外の訳を認めないというのは、聖書 をねじ曲げることになります。
終末における主のみこころを行っていきたいと思います。

−以上−


| 目次へ戻る | 次へ |