Word Faithの怪しい信仰

それは、エデンの園の誘惑「あなたは神の様になる」との
ことばの再現
 
 
 

使徒が描く貪欲な偽教師と今日のWord Faithの教師とは、何と似ていることだろうか。それを疑似キリスト教(sub−Christianity)ないし異端と言うのは不当だろうか。

 私は、その境界線がなお不鮮明なのでWord Faithをカルトと決めつけるのをためらっている。多くの真面目な信者がWord Faithの教えの周辺をさまよい、Word Faithの教えの中心部にいるある者は極端な教えを否定している。それにもかかわらず、カルトに共通するすべての要素がWord Faithには存する。歪められたキリスト論、人間観の高揚、人間の業に基づいた神学、何年も教会か?隠されていた「秘密」が新しい啓示によって解かれるという信仰、霊感され、権威があるとされる聖書以外の人間の文書、福音的な用語の使用と濫用、体系に矛盾する運動や教えの批判を避けるよう信奉者に強要する排他性だ。

その教理の基礎にある幾つかの厳格な修正を除けば、この運動は、言葉のあらゆる意味において、誤ったカルトとして設立されつつある。それは、使徒がためらわずに異端と決めつけた、新約時代の貪欲なカルトと極めて近いものだと私は確信している。

 それは重大な判断だと認めるが、多くの証拠がそれを裏づけている。ほとんどすべての重要な点において、Word Faithは私たちの信仰の教理を汚し、歪め、曲解し、誤解し、悪化し、抹殺している。

 冒頭でしたように、私はたびたび、Word Faithの出版物とともに、そのテープやテレビ放送からも引用する。彼らの言葉は人を罪に陥れるものなので、自分の言ったことから遠ざかろうとする者が出てくると思う。彼らの多くは放送を続けるために福音派主流の支持を必死に求めている。結果的に、ある者は、自分たちの教理への批判的・聖書的分析を回避するためのダメージ コントロールを何でもする。彼らは、自分たちの教理は個人的に神から啓示された誤りなき真理だと保証し、長年、一貫して、明瞭に教えてきたのに、今になって、自分たちが誤解していたとか、あの声明を作ってから見解が変ったのだと主張して、応答するかもしれないが、驚かないように。

 しかし、浅薄な否認や巧妙な策動により誤導されてはいけない。これらの説教者が実際に歴史的・聖書的キリスト教を受け入れたという唯一の信頼できる証拠は、彼?らが非常に長い間教えてさた異端を公に断念し、現実に健全な聖書的教理を説教し始めることだ。
 
 

  Word Faithの誤った神

 Word Faithの神(god)は聖書の神(God)ではない。実際、Word Faithは個々の信者を神(God)の上に置き、神を信者の要求に応える精霊やサンタクロースや従者の役割に引き降ろしている。word Faithの信者は自分が自分の最高権威だ。

 後述のように、信者は小さな神(little god)として行為するよう徹底的に教えられ、奨められている。
 Word Faithは、神の主権という槻念を持たない。聖書は「主は天にその王座を堅く立て、その王国はすべてを統べ治める」(詩篇103:19)と言う。神は「祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主」(1テモテ6:15)だ。

しかし、私の読ん
だWord Faith資料全集には、神の主権への言及がない。その理由は明白で、Word Faithは神の主権を信じていないからだ。Word Faith神学では、主イエスは地上での権威を持たない。一切を教会に委ねたからだという。神は健康と繁栄を支配する霊的法則で拘束されているというのがWord Faithの神学だ。私たちが正しい言葉を言い、迷うことなく信じるならば、神は私たちが決することに応えるよう強いられる。神は私たちとの契約の相手方として献身済みだとRobert Tiltonは言う。私たちは自分が望むどんな委任も約束もなしうるので、「私たちは自分が神にしてほしいことを神の言葉の権威で神に語りうる。そうだ。あなたは実際に、神に村して、契約の相手方として神に望むことを語りうるのだ」。

 WordFaithでは、神は万物の主ではなく、私たちがそうするよう解放するまでは働きえない。神は人間の道具や人間の信仰に依存し、何よりも、人間の言葉によって働く。Charles Cappsは「神の可能性を解放するのはあなたの力だ」と言い、「恐れは悪魔を活性化する」とも言う。もし恐れに屈すれば、わずか疑うだけでも、「神を追い出す。(中略)直ちに神の能力を止める。神の能力が現れようとしていたのに、今や、地上にサタンの言葉を立てた。何も良くならず、悪くなる。あなたがサタンの言葉を立てたのだ」。
 Cappsによれば、神はその主権を、その創造の権威と共に、人間に委譲した。

 彼は、「1973年8月、主の言葉が私に、『人がわたしを信じるなら、長い祈りは不要だ。言葉(Word)を語るだけで、望むことが起る。わたしの創造の力は言葉の形で(in Word form)人間に与えた。わたしは一時自分の働きをやめ、人間に「My Creative Power(わたしの創造の力)」という本を与えた。その力は「わたしの言葉の中に」ある。それを有効にするために、人間は信仰をもってそれを話さなければならない。イエスは地上にいた間、それを話した。それは[過去に]働いたように今も働く。しかし、それは身体で話さなければならない。人間は起き上がり、わたしの言葉によって悪霊のカを支配しなければならない。わたしの民が語られた言葉によってより良い生活を作り出すのはわたしの最高の願いだ。わたしの言葉は、一度語?れたゆえ、力を失っていない。

それは、わたしが「光よ。あれ」と言ったときと同様、今日でも力がある。しかし、わたしの言葉を有効にするには、人間がそれを語らなければならない。その創造的な力は、信仰によって語ることを実現しに来る』と言った」と言う。

 私たちの言葉がそれほど大きな創造的なカを持つなら、なぜ祈るのか。事実、Word Faithの教師の中には危険なほど、祈りにより神の助けを求める必要の全的否定に近づく者がいる。Norvel Hayesは、祈りで神に向かうよりも、自分の小切手帳や自分の病気その他の苦境に話したほうがよいと言う。「そのことをイエスに話そうと考えるな。自分の生活の中に山があるなら、イエスの名前でその山に直接話せ。

(中略)それをイエスに話すことをやめよ。誰に話すのもやめよ。イエスの名前でその山に話せ。『神よ、助けたまえ。この病を取り去りたまえ』と言うな。『風邪よ、私の体内に入れさせない。イエスの名によって、私から出て行け。鼻よ、鼻水を止めよ。咳よ、イエスの名によって、離れ去れ』と言え。『癌よ、私を殺すことはできない。イエスの名によって、私は決して癌で死なない』と言え。人生に経済的な山があるなら、金銭に語り、神の言葉をもって整えと小切手帳に語れ。仕事に話せ。顧客に、来店し金を費やせと命じよ。山に語れ」と。

 Copelandは、アダムが「神の階級(the god class)に創造された」と教え、アダムを神の複製品だと言う。「アダムは神(God)に従属しない。(中略)彼は神(god)として歩む。(中略)彼が言うことは成り、彼がしたことは記録された。(彼が)サタンにひざまずき、サタンを自分の上に上げたとき、そこに神(God)のできないことがあった。神(god)が(サタンを)そこに据えたのだ」。アダムエスの名前でその山に話せ。『神よ、助けたまえ。この病を取り去りたまえ』と言うな。『風邪よ、私の体内に入れさせない。イエスの名によって、私から出て行け。鼻よ、鼻水を止めよ。咳よ、イエスの名によって、離れ去れ』と言え。『癌よ、私を殺すことはできない。イエスの名によって、私は決して癌で死なない』と言え。人生に経済的な山があるな?、金銭に語り、神の言葉をもって整えと小切手帳に語れ。仕事に話せ。顧客に、来店し金を費やせと命じよ。山に語れ」と。

 Hayesはまた、信者は自分の守護天使を支配できると教え、「天使は私たちキリスト者を助けるために遣わされた霊だから」、私たちは「天使を私たちのために行動させる方法」を学ぶことができると言う。「私たち信者は天使を忙しくしておくべきだ」「天使を常時、私たちのために働かせておくべきだ」とも言う。
 こうしてWord Faith神学は神の主権を否定し、重荷や欠乏からの解放のために神に祈る必要を排除し、キリスト者自身に支配と創造的な力を付与しているのだ。

 事実、Word Faithの最も問題ある教説は、神が人間を「小さな神々(little gods)」の種族に創造したという概念だ。Kenneth Copelandは、Word Faithの多くの教師がもっと微妙に暗示することをあからさまに言っている。「あなたが再生したときに、神があなたに授けた。ペテロは簡明に、『私たちは神の性質にあずかる者だ」と言う。その性質とは絶対的完全状態での永遠の生命だ。それはあなたの霊の人に授与され、注入された。あなたは、あなたが自分の子どもに人間の性質を授与するのと同様に、神があなたに授与したものを持っている。子どもは鯨に生れず、人間に生れた。そうではないか。さて、今、あなたは人間を持たないか。
 あなたは人だ。あなたは自分の中に神を持つのではない。あなたが神なのだ」と。

 Copelandは、アダムが「神の階級(the god class)に創造された」と教え、アダムを神の複製品だと言う。「アダムは神(God)に従属しない。(中略)彼は神(god)として歩む。(中略)彼が言うことは成り、彼がしたことは記録された。(彼が)サタンにひざまずき、サタンを自分の上に上げたとき、そこに神(God)のできないことがあった。神(god)が(サタンを)そこに据えたのだ」。アダムは「神の階級に創造されたが、大変な反逆罪を犯したとき、神の階級の下に落ちたのだ」。

 Copelandによれば、十字架の上で、イエスは信者のために「神の階級」に再生する権利を勝ち取ったのだ。イエスの神性は「癒し(中略)、解放(中略)、経済的繁栄、精神的繁栄、肉体的繁栄、家族的繁栄」を含む。信者は「神の階級」にあり、今ここにこれらの祝福が保証されているからだ。「神が、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富に従い、私の必要を満たしたと言うので、私は周りを歩き、『そうだ。私の必要はキリスト・イエスにあるご自身の栄光の富に従って満たされている。(中略)私は必要を満たす者と契約する。私は「わたしはある」と契約する』と言った。ハレルヤ。私はあなたをあまりにも動転させはしないかとはばかりながら、これを言うのだ。しかし、いずれにせよ、わたしはある』
と神が言う聖書の箇所を読むとき、私は微笑んで、『はい、私もある』と言う」。

 これは極めて冒涜的で、真の神の子どもに嫌気をもよおさせるものだ。それがWord Faithの典型的な教えなのだ。信者の神性に関する声明に村する批判に面し、Copeland(KC)はPaul Crouch(pc)とJan Crouch(JC)とともにTBN(Trinity
Broadcasting Network)の全国番組「Praise the Lord(主をほめよ)」に出演し、自説を弁護している。その会話は次の通りだ。

「PC:(神は)ご自身と私たちとを区別しない。KC:決してしない。契約関係の中で決してそれはできない。PC:今夜、そのほかに、判明したことが何かわかるか。私たちが神々(gods)であるキリストのからだの間に紛争をもたらそうと悪魔が生み出した叫び声と反逆だ。私が小さな神(alittilegod)だ。KC:そうだ、そうだ。JC:その通りだ。(くすくす笑いながら)神は私たちに神の名を与えたのだ。KC:その理由は何か。PC:私は神の名を持つ。私は神(God)と一つだ。私は契約関係の中にいる。私は小さな神なのだ。批判者よ、去れ。KC:あなたは神(God)である何かなのだ。PC:そうだ」。

 TBNの責任者で、番組のホストで、今日の宗教放送界の有力者でもあるPaul Crouchは、Word Faithの「小さな神」の教えを信奉していることを明瞭に再確認した。「新生の中に来る新しい被造物は神の形に創造される。(中略)したがって、それはイエス・キリストとの結合だ。それは正しいか。その意味で、そうだ。私はこのことを何年か前に知った。その結合は父と子と聖霊の結合だ。主イエスは、『父よ、あなたとわたしが一つであるように、彼らもわたしと一つにしたいのです」と言った。そのように明?かに、主がなすことであり、主が神の結合を開き、それに私たちを入れるのだ」と。

 他のWord Faithの教師も異端教説を繰り返している。 Charles Cappsは、「私は、人々が『神の言葉を告白し、神の約束を繰り返し繰り返し言う者は神(God)のように行動しようとしている」と言うのを開いた。そうだ。それこそまさに私たちがしようとしていることだ。神が同様の状況で行動するように行動しなさい。(中略)神は何をしたか。神は望むことを語ったのだ」と言う。Earl Paulkは、「私たちが小さな神だと理解し、小さな神として行動し始めるまでは、神の国(kingdom of God)を表明することができない」と言う。Robert Tiltも、信者を「この世の神(god)として設計され、(中略)この世の神(god)となるべく神(God)に創造された、(中略)神(G。d)のような被遣物」と呼ぶ。また、Morris Cerullo(MC)はDwightThompson(DT)とテレビで次のような会話をし
 た。

「MC:神が観たちを神の形に創造したとき、神はどんな糸も私たちに着けなかった。神は私たちを操り人形にしなかった。DT:その通りだ。MC:神は『Morrisよ、手をあげよ」とは言わない。私たちはここにいる。私たちを支配するどんな絶対もなく、どんな制御も受けない。DT:そうだ。そうだ。MC:神はDwight Thompsonを造り、Morris Cerulloを小さな小さな神(a small,miniature god)として造った。当然だ。聖書は、私たちが神のかたちに創造されたと言う。
 神の似姿だ。どこに神似性(god likeness)があるか。神は私たちに力を与えた。(中略)神は私たちに権威を与え、支配権を与えた。神は私たちに人間のように行動せよと言わない。神は私たちに神(god)のように行動せよと言うのだ」。 -----------------------------7d5282580126 Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream