3日3晩彫像の様になった、Maria Woodworth−Etter

しかし、それが本当に聖霊の働きか?


彼等は聖霊は、
非地上的で、気味の悪い、非常識な方法でしか力を現しえないと信じている。結果的に、カリスマ派はそうした報告を受容する熱心さがあり、論理、理性、常識を(持ち込むのを)恥とする。
 さらに悪いことに、カリスマ運動は、真に霊的なものは人の理性的感覚を超えるとの誤った観念にはまっている。霊的賜物とは人間理性の作用を一時停止にして働くと考えているのだ。ある人は、聖霊のカの最強の証拠が無感覚状態に陥ったときに
現れると考える。だから、カリスマ運動の教えは、トランス状態、発作、サブリミナル、催眠術、仮死状悪、狂乱、ヒステリー、などといった乱暴な行動でいっぱいだ。これらは、神がカリスマ運動の中で働いている証拠として、しばしば引用される。
 

 例えば、Kenneth Haginは、ある晩、説教中に栄光の雲が自分を包み、どこにいて何を語っているのかわからなくなったと言う。「15分間に語った言葉を一つも覚えていない。栄光の雲の中にいた。講壇の周りを歩いているのに気づき、非常に驚いて赤面し、講壇に駆け戻って、講壇の後ろに立ち、『アーメン、祈ります』と言い、招きをした」。

 Haginは、「説教中にときどき神の霊が下り、注意力を奪うので、英語で一言も語れなくなる」と言う。彼はFred Priceと共に牧会中の出来事に言及し、礼拝中に「油注ぎ」と信じるものに打たれ、数時間、英語で会話ができなかったという。

 同じ調子で、この話に関連して、Maria Woodworth−Etterに(米国ペンテコステ運動の初期の伝道者である。)1920年以前にミズリー州セントルイス市で起ったことがらの新聞記事を読んだ。彼女は、満員の天幕で説教中に、要点を説明しようと手をあげ、口を開いたときに、神の力が下った。披女はそのまま凍結し、彫像のように三日三晩立ち続けた。考えれば、彼女の身体は神の霊の支配下にあったに違いない。三日三晩、身体の機能を失って、そこに立っていた。新開記事によれば、三日間に15万人以上もの人が彼女を見に来た。三日目の晩、神の霊は彼女を解放した。彼女は同じ晩、同じ説教をしていると思い、全く同じところから説教を続けたと言う。

 しかし、このような現象が神の力を現すとなぜ考えられるのかは我々には、理解困難だ。聖書には、ロトの妻の話以外に、これと少しでも似ている事件は全くない。Haginは、負けじと、自分の体験で凄駕しようとする。「ある晩、16歳の少女が聖霊に満たされ、異言を語り、とりなしの霊に移り、手をあげたまま一か所に8時間40分立ち続けた。
 瞬きもせず、体を傾けもしなかった。1月で、ストーブから離れていた。彼女の母親は風邪を引いてはと心配し、部屋の真ん中にあるストーブの近くに動かしてよいかと尋ねた。私は『わからない』と言った。こんなことは見たこともない。
 250ポンドの体重の牧師が、『Hagin兄弟。君が片方の肘を持ってくれ。僕がもう片方を持つから。彼女を暖かい所まで動かそう』と言った。でも、彼女は動かせなかった。まるで床に釘づけになっているようだった」と。

 Haginはさらに、「またある晩、講壇からの招きのときに、一人の女性に神の力が下ったのを感じた。彼女は人々が救われるようにと奨励し始めた。『姉妹よ。行って、神に従いなさい」と私は言った。彼女は目を閉じたまま、広い講壇に上り、端から端まで歩きながら罪人たちが救われるようにと奨めた。彼女は講壇の端まで歩いて行き、私を踏み外すかと思うたびに引き返した。人々が講壇に集まって来た。彼女の目は閉じていたが、誰かが来るたびにそれとわかって喜び踊った。そして、奨励に戻った。20人目の人が来たとき、この晩の罪人はすべて救われた。神が私の証人で、私の妻も私の証人で、そこにいたすべての人が私の証人だ。彼女は講壇のすぐ外で躍り始めた。彼女は空中で躍っていた。床には触れていなかった。皆が見た。手を伸せば触れえた。彼女は講壇上に戻り、端まで行き、目を開き、講壇を降りた」と言う。

 率直に言えば、真の奇蹟というより、低俗な怪奇映画の一場面のようだ。空中浮遊、変容、床に釘づけされた足、これらはオカルトで、真の霊的賜物ではない。私は特異な、変った例を選んだわけではない。これらは壮大さを見世物にする粗野な昔風の伝道者ではない。事実、カリスマ運動のどの派も、このような話を呼び物にしている。第三の波も、学的な人々との緊密な関係にもかかわらず、人間の知性から離れたしるしと不思議への明瞭な偏向を示す。CaroI Wimberは、自分の夫の教会が力の伝道を始めた「分岐的体験」を述べる。1981年の母の日の日曜の晩に、John Wimberが説教するよう招いた青年が証しをした。その終りに、彼は、25歳以下の者は皆前に出るよう招いた。「誰も、何が起るのか見当がつかない。皆が前に集まると、説教者は、『今まで長いこと聖霊は教会に悲しまされてきたが、それを打ち破る。聖霊よ、来りませ』と言った。すると、聖霊が来た。

 青年たちのほとんどは私たちの近くなので、よく知っていた。私たちには18歳から24歳までの4人の子がいた。Timは跳び跳ねた。彼は腕を伸して倒れたが、片手がたまたまマイクスタンドにかかり、一緒に倒れた。コードがからまり、マイクが口の近くに来た。彼は異言で語り始め、その声が体育館中に聞えた(今まで集会は高校でしていた)。私たちは自分をカリスマ派とは考えていなかったし、異言の賜物を強調したこともなかった。以前、人が震え、倒れるのを見、多くの癒しも見たが、これは全く違った。青年の大多数は揺れ、倒れた。ある意味で戦場のようだ。一面に身体があり、涙を流し、泣き叫び、異言で語り、たくさんの叫びと大げさな動きがあった。そして、その真っただ中にTimがいて、マイクに向かってもごもご言っていた」と。

 こんな無秩序を、神が働いている証拠として受容しうるか。John Wimberでさえ初めは確信がない。「夫はその夜、聖書とリバイバルの歴史的記録を読んで過した」、「夫は聖書に明白に記されていないことをするのを恐れていた」と夫人は言う。健全な恐れだ。夫人によれば、夫の徹夜の研究によっても「決定的な答は生れなかった」。「朝5時になって、夫は自暴自棄だった。神に叫んでいた。『主よ。もしこれがあなたなら、語りたまえ』と。その直後、コロラド州デンバー市にいる友人の牧師から電話がかかり、『John。こんな早朝にすまないが、君に話すべき実に不思議なことがある。何のことかわからないが、神が私に「それはわたしだ。John」と言わせる」と言った。夫に必要なのはこれだけだった。震えを解することも、どうしてあのことが起ったかを知る必要もなかった。知るべきことは、聖霊がした、ということだった」。

 あまりにもひどい。もしJohn Wimberが聖書を読み続けていたら、自分の教会で起った騒動と変らない状況をコリント教会が許容したことを使徒パウロが非難して、「ですから、もし教会全体が一か所に集まって、みなが異言を話すとしたら、初心の者とか信者でない者とかがはいって来たとき、彼らは、あなたがたを[気が変になっている]と言わないでしょうか。(中略)ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行ないなさい」(1コリント14:23、40)と言ったのを知ったろう。もちろん、神の言葉だけがこうした事項の信頼できる試金石であり、聖書を正直に読むなら、彼の求める明白な答を得たろう。彼はその代りに、予期しない電話に助言を求めた。その電話はサタンの気晴しかもしれない。Wimberは教会で何が起っているか理解する必要はないと決めた。そのことを聖書と調和させる必要がなかった。理解する必要もなかった。神秘的なしるしがあり、それで十分だった。一晩の研究で聖書には明白な答はないと決め、その代りに、神秘的なしるしを決定的なものとして受け入れ、聖書にない現象への恐れを捨てたのだ。
 

Maria Woodworth−Etter

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