体験が教理を作るカリスマ派の危険な方法:

5日間半天国を体験したPercy Collettは天国に関する新しい教理を語る


カリスマ派の人のほとんどが、自分に正直になるなら、その信仰体
  系が体験を基礎にしていて、聖書にないことを認めるはずだ。カリスマ派は生活
  の基準としては聖書に高い権威を与えるが、教理の点では、聖書を下に置く。
 「神にある体験が彼らの信仰の土台なのだ」
   これは、あるべき姿とは全く逆である。信仰が体験の基礎であるべきだ。真の
  霊的体験はキリスト者の心の中における真理のよみがえりの結果である。神秘的
   な真空状態で生じるものではない。

   カリスマ派でない者は感情や体験に反対しすぎると非難される。

 体験が真理に対する応答の際に現れると理解するよりは、体験に基づいて教理を築こうとする点がカリスマ派の誤りである。カリスマ派の体験には、聖書に示された神の計画や神の働きから全く離れたもの、全く正反対のものがかなり多くある。これらを信仰の土台にするなら、いくらでも誤った教理が生れるだろう。

その実例は多くのカリスマ派の本やテレビ番組の中に見られる。幻、夢、予言、「知識の言葉(words of knowledge)」、神からの個人的なメッセージなどの個人的な体験が教理を決定している。聖書は体験の証明に利用され、新奇な主張に合せて曲解されている。時には、聖書の言葉が打ち砕かれ、正反対の意味に使われている。例えばKenneth Copelandは、その新奇な解釈の多くが神の直接啓示に基づくものだと主張する。彼は、マルコ10章の金持ち青年の記事を解釈して、神が民の物質的豊かさを願っていると言う21節で、主イエスは、「あなたには、欠
   けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい」と言っている。
 

しかし、Copelandは、「この聖句
はこの世の金銭的な利益配当を約束するものだ」との啓示を神から受けたと主張し、「これこそこの青年にとって初めての一番大きな取引だったのに、神の経済システムを知らないために捨ててしまったのだ」と言う。   

 

Kenneth Copeland

 しばしば、自称預言者は、体験や単なる奇想のみに基づいて、全く新しい教理体系を築く。例えば、カリスマ派医療宣教師percy collettは、自分の異常な体験のみに基づいて、天国を詳細に描いている。彼は、1982年に5日間半天国へトランスポーテーションしたと主張し、天の住いを管理している主イエスに会い、聖霊と対面して話をしたと言う。 

 Collettの天国旅行を詳細に報じる機関紙は、「キリスト教の世界では、『肉体を離れた』体験を持つ人々が垣間見たという『別の』世界についての話はたくさんあるが、Collettの体験はそれとは別だ。パウロと同様に彼も明らかに『第三の天に引き上げられた』のだ。パウロは見聞したことを話すことが許されなかったが、約2000年後のCollettには話すことが命じられているという点に、その違いがある」と書き始めている。
 

 Collettは、天国での滞在の模様を詳しく説明したビデオ・テープを出しているが、彼の話は極めて特異なものだ。「馬、猫、犬など、神が地上に創造したものはすべて天国にいる。神が地上に創造したものはすべて天国にいるが、動物に関しては、完全だ。例えば、犬は吠えない。(中略)水道は要らない。宴会場に行って好きなだけ食べられ、水道は必要ない」と。

Collettは、「堕胎された胎児や障害で死んだ幼児の霊魂が行く『哀れみ界(the Pity Department)』と呼ばれる所があり、これらの霊魂はそこで神の御座に出る前に一定期間の訓練を受ける」と説明し、「記録保管室」を見たと言う。そこは「広大な場所で、キリスト者が語ったすべての『無駄な』言葉が記録されており、裁きの時が来て、それらの言葉について審問されるまで保存され、その後は『忘却の海(sea of Forgetness)』に捨てられる」と言う。そのほか、天使が私たちの服を縫っている「衣装部屋」、建築中の大邸宅、「聖霊エレベーター」など、驚くべき光景を語っている。また、「私が地上に戻る途中に二人の少女を見た。一人は黒い髪の毛で、もう一人は赤毛だった。彼女たちは、カリフォルニアのハイウェイで起った事故で死んだのだ。私は、彼女たちから『自分たちの死体は葬儀屋にあるが、母親がそのことで泣き悲しんでいるので、このことを伝えてくれないか』と頼まれた」という奇妙な詰も載せている。

 Collettは、この話が真実だと証明できると言い、「1年ほど経って、その母親の住んでいる町に行って、この話をしたら、会衆の中にいた母親が飛び上がって、『それは私の娘に違いない』と叫んだ。私が彼女に『娘はもう素晴らしい所にいるのだから、悩むことはない』と告げたところ、彼女は『もう二度と泣かない』と約束した」と言う。

 Collettは、アラバマ州モントゴメリー市での三回目の立席だけの天国講演の後で、聴衆からの質問を受けた。最初の質問は、「私はカウボーイだが、天国にはロデオがあるのか」という、私には予想もできないものだった。

 それに村しcollettは直ちに、「天国には馬がいる。美しい馬だ。馬はみな神を賛美している。天国にはばかげたことはない。私はロデオがばかげているというのではないが、ウイル・ロジャーズ[1940年代のカウボーイ・コメディアン]のような芸は行われていない」と答えた。

 

percy collett

 カリスマ派には、このような証言を吟味したり、やめさせる手段はない。「体験が体験を検証する」と理解されているからだ。その体験が聖書的か否かを調べないで、聖書を体験に合せて解釈したり、それが困難な場合は聖書を無視する傾向がある。どれだけ多くのカリスマ派が、聖書を棚の上に置いたままにしておいて、神は自分たちやリーダーに新しい啓示を与えていると教え込まれていることか。
 
 

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