#摩訶不思議なイルミナティの聖書解釈

「この主題を扱う本のほとんどはイルミナティの始まりを一七七六年と誤って伝えている。しかし、人はこの悪魔的な組織の思想や計画や目的や根が、実は我々の時代に花開くように遠い昔にその種が蒔かれたという事を理解するまでは、神の霊がこの終りの日に神の選民に教えていることの意味を悟る事はない」著者はこうして聖書の創世記から非常に変わった聖書の解釈を展開するのだが、内容は直接イルミナティとは関係ないし、日本の読者にとってあまりなじみのない話なので、ここは省略することにしよう。面白いのはエデンの園に現われるへびを、アダムに先立って創造された黒人という事である。これなど私には到底理解不能の解釈なのだが、もともとイルミナティに深く関わっていたと思われる著者がそのような解釈から解放されないのかまたは、イルミナティの聖書の読み方をそのまま語っているのであろう。

また、ユダヤ人をカインの子孫と断定するのだが、これも聖書本来の考え方では、カインは
ハムの子孫で、ユダヤ人はセツの子孫である。これはユースタス・マリンズ氏などの解釈と似ている。さて、ここで私がぜひ取り上げたい話は、ノアの子、ハムの子孫ニムロデである。この書の興味深い点は、このニムロデがその後の宗教と反キリストの原形となったという主張で、これは非常に説得力のある物語である。
 
 
 

「クシュから強い魂の狩人で神に反逆したニムロデが生まれた。彼はパベル(バビロン)、カラ、エレク、アッカド、カルネ アツシリア、ニネベ、レホボデ、レセンの町々を建てた。昔の伝説によるとニムロデはパビロニアの大安息日 一二月二五日の日曜日に生まれた、という」イエス・キリストの誕生日クリスマスは一二月二五日になっているが、実は羊飼いが夜、野宿していたと言う事から冬でないことは確かなのである。もともと初代教会にはクリスマスを祝う習慣はなかったらしい。そこでサタンはいつの頃からか、キリストの降誕を祝うという名目で反キリスト、サタンの子を祝う日としたのであろ
う。あきれ返った話だ。クリスマスは太陽が一番表れなくなる冬至の祭りが変化したものだというのが教会の通説であった。

「義の太陽」と呼ばれるキリストを迎えるという意味が付け加えられていた。し
かし、実はニムロデの誕生日だったとはちょっとしたスリラーではないか。聖書はニムロデに関して簡単に書いているだけであるが、創世紀が謎に満ちた書物なので、このような知識は古代の伝承として受け止めるべきであろう。「創世記二章によればこのパベルの塔はニムロデのバビロンに建設が始った。この古代の『国連』ピルディングは、世界を統一する政治的宗教的組織の試みであった。この当時世界の人類の言語は一つであった。そして彼らは自分たちの名を上げる事を顧っていた。しかし、まだこの組織の時は満ちていなかった。神は人々の言語を混乱させ、彼らを散らされた。それでパビロン(混乱)は別の計画を始めた」そんな古い昔から反神の組織が意図的に作られたとは考えられないが、パビロンと言う言葉がこの後のすべての神への反逆の代名詞になったことから見て、聖書に書かれている以上に悪魔的な都市だったのだろう。次いで極めて醜悪な、しかし、驚くべき思想が生まれてくる。
この嘔吐を催すような物語は極めて重大である。

その後の世界の宗教の原形が明らかにされるからであ
る。「ニムロデの母セミラミスは、当時の世界でもっとも美しくまた堕落した女性であった。ある時、この町で暴動が起こったが、セミラミスが暴徒たちの前を通り過ぎると、暴徒たちはこの美しいクシュの女性を見るために暴動を止めてしまったと言う。来るべきメシヤの予言を知っていたクシュは、セミラミスによって子をもうけた。このクシュによる子、ニムロデこそ彼らのメシヤであった。クシュは死ぬ時、ニムロデとその母セミラミスとを結婚させた。ニムロデはすでに神として崇められていたし、クシュもニムロデをもうけたことによって崇められていたので、セミラミスは『天国の母』として崇められるようにな った。

この三重の結合によって、三位一体(唯一の神の内なる三つの神)の礼拝の種が播かれたのである。そして聖なる母と子(同時に夫)は全ての宗教の神となったのである」ここで、明らかに著者はカトリック教会の聖母子像を意識しているのである。他にも仏教における慈母観音像など母に抱かれた子の像はこのニムロデとセミラミスの雛形から生まれて来た思想なのだろう。それがなんと「子がイコール夫である」と言う事から三位一体を表すのだとすればいかに汚れたものを拝んでいることだろうか。著者はここで、三位一体と言う思想そのものが、かかる汚れた思想なのだと言いたいのではなく、聖母子像がサタン的な意味での三位一体だと言いたいのだろう。

しかし、この伝説はおそらく事実なのだろ
う。全ての母子像は遠い昔、五○○○年も前に生まれた涜神の宗教、ニムロデと母の像のイメージブリントされたものなのであろう。これはキリスト教の三位一体とは全く違う思想であり、むしろサタンが人を惑わすため、あるいは神を侮辱するために作り出した遠大な反逆の思想なのである。「ニムロデがパベルの塔を建てている間に、ノアのもう一人の息子であるセムがニムロデの裁きを告げるためにやって来た。セムはニムロデを殺し、彼の体をいくつかの部分に切断し、使者を遣わして全ての異教の神殿に送った。使者の使信は、全ての性的素乱、幼児の生贅を共にするパール、モレク、チューンなどの礼拝には、この同じ裁きが来ると言うものであった。

それで、これらの宗教は地下にもぐり〃古代の秘儀〃となった。旧約聖書の中で〃grove〃と呼ばれているものは文字通りには神殿の事であり、今日のフリーメーソン、ェルクス結社、シュライナー、ムースロッジなどの事である。これらは選民によって滅ぽされよう」これは非常に典味深い指摘である。セムに関して、エチオピアの伝承では、セムはノアの命によって、アダムのミイラを埋葬するためにエルサレムに行き、突然地面が裂けた場所に葬った。そこをゴルゴタ(どくろ)と呼んだ。セムはその後、エルサレムに住み、メルキゼデクと呼ばれるようになったという。ゴルゴタはイエス・キリストが十字架にかかった所で、イエスは第二のアダムと呼ばれているので、不思議に符号するのだが、セムの
権威と信仰の正しさを現す意味で、この本と合わせ読むと面白い。groveとは割世記二:三三では「アブラハムはペエルシバに一本のぎょうりゆうの木を植え、その所で永遠の神、主の名を呼んだ」とあるその『ぎょうりゆうの木』の事であるが、同じ言葉がそれ以降は『アシラの神殿』と訳されている。

これ
は訳者の想像だがアブラハムは神との記念樹としてその木を植えたのであるが、後にそれは聖所となり、 なんらかの理由でアシラ神が祭られるようになったのであろう。アシラ神は枝を払われた太い木を立てたもので男根を表した。前の文章から見て、この「選民」はユダヤ人ではなくキリスト者を表すのであろう。「セミラミスは後にニムロデの体の断片を集めた、しかし、どうしても見つからなかったものがある、それは彼の男根であった。
セミラミスは彼女の全てのオカルトを結集し、彼の男根を呼び戻そう(callback)とした。これはそのまま多くの異教の礼拝(CallbaCk)となっている。そしてそのシンボルとしてオベリスクを作った」全てのオベリスクまた日本の御柱などと呼ばれているものの源泉はこれなのであろう。

信じられないだ
ろうがアメリカのワシントン市にあるワシントンのモニュメントと呼ばれるオベリスクは全くこの意味である。多くの古代宗教、また今日の宗教に至るまで、性器礼礼拝は世界中にあるが、その起源が遠く四○○○年以上も前のニムロデとセミラミスの物語から来ているとは驚いた。私は案外本当ではないかと思う。これは日本の古事記や日本書紀に先立つこと二○○○年も前の話なのだから、メソポタミアから始まって遠く極東の鳥まで民族の移動と共に流れ着いたとしても不思議はない。恐らくこの始原の物語に照らすと、多くの宗教の主題が判るのではないだろうか。それはca1lbaCkという言葉の原語を知ればもっとはっきりするのかもしれない。ただし、釈迦に始まる仏教は本来は偶像崇拝を
求めず、むしろ釈迦はそれを禁じたと聞いたので、この物語の範疇には入らないと思う。仏教は宗教と言うより哲学なのだろう。それが土俗宗教とミックスして今日の仏教になったのであろう。

「その結果
として、全ての秘儀宗教と秘密結社のロッジ(礼拝堂)はこの男根礼拝とパール神礼拝に基礎づけられているのである。これはイスラエルがパールペオルにおいて犯した罪であると民数記二五章にはある」もともとパールとは柱の事で英語のパーと同じである。

アシラとパールの違いはほとんど宗派、教派の
ようなものであろう。「ニムロデのシンポルがX 十字であることを覚えておくのも面白いだろう。このマークはチャールズ・マンソンの女たちの額に書かれていたように、多くのwitch(魔女)の額に書かれた。ローマカトリックがいうところのMerry Xmasの本当の意味は『Magical or Meriment Comunion  ウイズ ニムロデ 』(ニムロデとの魔術や快楽の交わり)の事である」XマスのXはギリシャ語のクリストスの頭支字だというのが従来のキリスト教会の教え ていたところである。

しかし、恐らくこの説の方が正しいのだろう。前に書いたように、もともとクリ
スマス自体が極めて怪しげな祭りなのである。しかし、私自身はクリスマスはその起源はともあれ現状は、教会においてキリストの誕生を祝うに相応しい祭りとなっていると思っている。「時が経つに従いこのオカルト宗教は一つのゴールに向かって行った。オカルトによってコントロールされる世界を統一する宗教的政治的組織である。この計画はサウル(Iサムエル1:28)ノロモン(I列王記二)ニコラオ、バルイエス、魔術師シモンの3極委員会、(使徒行伝六、八、一三、黙示録二:六、一五)にその記録が見出だされる。ポンテオ・ピラトはローマのドルイド教大学で教有を受けた」聖書にはそれぞれの人物がそういう意図で働いていたとは書かれていない。

ましてニコラオ、バルイエス、シモンが協力しあっていたとは信じ難い話である。しかし、本人たちの意志とは別に、結果的にはそのような働きをしたと言う事をこういう表現で表わしているのかもしれない。要はサタンの悪霊による一致を意味しているのだろう。ポンテオ・ピラトはイエスを十宇架につけた時のロ−マ総督。ドルイド教については判らない
が、彼がそういう教有を受けたとは興味深い。
 

#キリスト教の堕落を懸命に画策

「紀元三一二年一○月二八日、太陽礼拝の異教徒コンスタンチヌスはロ−マの王位を継ぐための旅の途中にあった。しかし、チベル川でマキセンチウスの反抗に出会っていた。コンスタンチヌスと彼の軍隊は数において大いに劣勢であったが、彼と彼の軍隊は、突如、空に十宇架の幻を見た。それには『このしるしにて勝て』と言うメッセージがついていた。コンスタンチヌスはそれに従って勝利し、伝説によればクリスチャンとなった。しかし、コンスタンチヌスの言う「しるし」は、実際にはキリストの十字架ではなく、太陽神のシンボルであるアンクーであった。今や〃クリスチャン〃となったコンスタンチ
ヌスは三一二年ローマを支配し、313年ミラノ勅今を出してキリスト教を国教と宣言した。またコンスタンチヌスは彼の軍隊にバプテスマを受けさせ〃クリスチャン〃にした。AD三二五年にはニカェアで宗教会議を開催し〃Summun Pontifex〃(法王)として議長を勤めた。さらに教会を組織化しローマカトリック教会を作った。

こ こに異教の儀式はキリスト教化され、ただ名前を変えただけでそのまま取り入れられた。カトリックという名前は『普遍的な』という意味だという解釈が広く伝えられ、ローマの普遍的な教会という事になっているが、それは決して本当のキリスト教会という意味ではない。それはロ−マの宗教(偶像宗教など)を普遍的にしようというのが目的なのである。こうして世界は一六世紀にマルチン・ルターやその他の人々による宗教改革まで、暗黒時代に投げ込まれることとなった」コンスタンチヌス大帝に対してはキリスト教会はおおむね好意的に取り扱って来た。

実際、それまでネロを始めとする歴代ローマ皇帝
の激しい追害にあって、死と拷間の恐怖にさらされ続けたキリスト者にとって、コンスタンチヌスは救いと解放のメシヤのようにすら見えたとしても不思議ではない。しかし、コンスタンチヌスが見た幻の十字架が太陽神アンクーのシンポルだったと言う事も事実だったようで、他にも証言者がいる。実のところキリスト教にとって、迫害や死よりも、安寧と繁栄の方がはるかに危険な敵であった。ローマの迫害の期間、クリスチャンはかえって増え続け、信仰はますます純粋になり燃え上がった。だからサタンは作戦を変えたということなのかもしれない。それ以降のキリスト教は堕落の一途をたどり、もはやイェス・キリストの宗教とは掛け離れたものになってしまったことは確かである。

この手は旧約聖書のバラムの作戦、黙示録のニコライ宗の方法とよく似ている。懐柔と贅沢こそキリスト教にとって最も手強い敵であることをサタンは知っていたのであろう。それは今「繁栄の神学」として一部の教会に入り込んできている。オーラル・ロパーツという有名な伝道者は最近「イエスは貧しくなかった」という本
を出し、イエス・キリストが億万長者だったという神からの〃悟り〃を受けたと言っている。