#イルミナテイの最高傑作ビリー・グラハム


ビリー・グラハムはフリーメーソン三三階級であると私が書いたために、私はキリスト教会ではほとんど信用されない人間となってしまった。なにしろビリー・グラハムは二○世紀を代表する〃福音的な〃(純粋なというような意味)伝道者と知られているし、時には使徒以来の最高のクリスチャンといわれる始末である。
彼は最近パーキンソソ氏病を患い、いろいろとインタビューを受けて、実に信仰的な答えをしている。「もしあなたが神に会ったら、何を一番申し上げたいですか」「私は自分がまず正直であったこと、第二に従順であったことです」

何と言う嘘つきだろう!ビリー・グラハムがフリーメーソン三十三階級であることの証人は私が知っているだけで五人以上いる。フリッッ・スブリングマイヤー、ユースタス・マリンズ、デス・グリフィン、ジョン・コールマン、テックス・マーズ…・…。これらの人々は無数の証言者から得た証言で語っているのである。

マリンズ氏が今年二月に来日れたとき、私はビリー・グラハムについて尋ねた。彼は全く当然の事として「ああ、ビリー‐グラハムはメーソン三三階級だよ。彼の家族は大きなショッビングセンターを経営していて大金持ちだよ」と言った。これは世界のキリスト教にとって実に大きな間題なのだ。以下にビリー・グラハムの信仰を表すテックス・マーズ氏のニュースレタ−一九九五年八月号からの抜粋を載せる。「アメリカ副大統領アル・ゴアは彼の著書Earth in the Ba1anceと言う本の中で『自然そのものの中に神は満ちている』と言っているが、それは自然そのものが神だと言っているのである。

一方ビリー・グラハムは一九七八年のMcca1l誌のイソタビューに答えて、
彼の救いの神学は変わったと述べている。
私はかつては遠い国々の異教徒たちは(救いの道から)失われ、地獄に向かっていると信じていました。しかし、もはやそんな事は信じていません。神は他の方法でも、例えば自然の中などに存在すると信じています」
それもそのはず彼らは伸間なのだから。ビリ-‐グラハムもアル・ゴアもニューエイジャーなのである。ニューエイジの信仰はガイアすなわち地球は〃惑星神〃であるというが、何とビリー・グラハムの考え方と一致するだろう。さらにグラハムによれば天国は自然崇拝者だけでなくキリストを拒絶したユダヤ人にも用意されている。

この有名な伝道者によればユダヤ人
はたしかにイェスを拒否したがそれにもかかわらず天国に入る事になっている。ではカトリックはどうですかというMccall誌の質間にグラハムは『忠実なカトリック信者は救われます。基本的にオーソドックス・ロ−マ・カトリックは同じものです』
そして間もなく彼はローマのカトリックのカテドラルで説教するようにヴァチカンのトップから招かれていることを明らかにしている。この驚くべき事実はビリー・グラハム自身によって二○年前に語られ、ポピュラーな婦人雑誌Mcca11に書かれ、コンビニユンスストアーやスーパーマーケットで売られ、何百万人もの婦人たちに読まれたのであった。

またWorldMagazine一九九五 Feb 一八で、
ビリー・グラハムはコラムニスト、カル・トーマスの質問に、妊娠中絶に反対して赤ん坊を救う戦いは〃大きな問題ではありません。
むしろ地球を救うことのほうが重要です〃と答えている。彼はこの考えをすでに長い間保持している。〃何時いのちが始まるかはだれにも判らないのだから〃Cincinati Newsletter一九九二 Jan『偉大な命の権利』より。〃それは私が追及したい間題ではありません〃CNNのLarry King Show一九九三。〃こういう間題からは遠く雛れていたいのです。それはあまりにも感情的です〃Philadelphia Inquirer Newspaper一九九二。
またホモセックスに関しても彼は〃それは大きな罪ではありません〃と言って最近のNationa1 Press Conferenceのレポーターたちを驚かせた。

一九九四 Declarry King ShoWでは
ホモとレスビアンは〃そのように生まれついたのです〃と言って正当化した。ビリー・グラハムにとって一九六三年以来アメリカで中絶された四○○○万人の赤ん坊は〃大きな間題ではない〃のである。
彼にとってもっと童要なのは地球環境間題なのである、だから中絶は正しいことなのだ。それにしても、なぜアメリカの何百というテレビ、ラジオのメッセンジャー、クリスチャン誌、新間の編集者、大きな教団の指導者、教会の牧師たちはグラハムの非聖書的な見解に異を唱えないのか。なぜ沈黙を守っているのか」

ビリー・グラハムはサタン礼拝の席に出席しているところを元一三ドルイドカウンセルのジョン・トッド他に目撃されている。ビリー・グラハムはイルミナティの作り出した最高傑作と言えるだろう。彼は恐らく多重人格なのであろう。私はビリー・グラハムに何の恨みもない。また、彼がフリーメーソンだからという事によって何の利益を得るわけでもない。
それどころか私の立場は悪くなる一方なのだ。しかし、事実なら言わなければない。私は人間ではなく神を恐れている。どんな中傷もあざけりも恐れない。

#おわりにユダヤを拒絶する中国政府に見習え


多くの方々が、イルミナティ、新世界秩序の陰謀を知って、ではどうしたらいいのですかと聞いてくる。私はとにかく、まず第一に知る事です、と答える。知ることは最初の知恵であり、知らなければ危険である。もちろん私の素人考えだが、イルミナティと対等に渡り合っているように見える国がある。中国である。中国はイルミナティの前身ともいうべぎ、東インド会社によって骨までしやぶられる手痛い目に遭った。東インド会社は驚くべきことに、China Inland Mission(中国内陸伝道団)というキリスト教団体を設立して、キリスト教の布教の名目でアヘンの普及をした。これは、ジョン・コールマン氏の『三百人委員会』(徳間書店刊)に詳しく載っている。私は最初、それを読んだとき目の前が真っ白になった。なぜならChina Inland Missionとはキリスト教会史に燦然と輝く、大いなる伝道団として知られているからである。

特にハドソン・テーラーというイギリス人は、その献身と愛で中国全土に福音を伝えた偉大な神の器として知られている。しかし、このハドソン・テーラー以外は、そういえばほとんど我々は知らないのである。ジョン・コールマン氏はイギリス情報機関の人間だったために、インド局の『古雑記』という文書に巡り逢い、確実な情報としてその本に書いている。中国内陸伝道団の〃宣教師〃はキリスト教の布教ではなくアヘンの普及に当たっていたのだろう。

事の真偽はともかく、中国攻府がこのアヘンの普及と、その反発で始まったアヘン戦争、香港の九九年間の割譲の屈辱から、イギリスに代表されるイルミナティのやり方をしっかりと学び、今、決して彼らの罠にもはまらず、脅しにも屈せずに、決然と我が道を行く政策を実行しているのは見習うべきことであると思う。もっとも、そのおかげで、キリスト教に対して厳しい追害を行っているのは周知の事実である。それにもかかわらず、中国ではキリスト教は驚異的なスピードで成長している。
さて、一方、ミャンマーのアウンサウン・スーチー女史を、日本のマスコミが民主化運動の天使か、ジャンヌダルクの再来のようにもてはやしているのはどうしたわけだろうか。アウンサウン・スーチー女史の夫君がイギリス人で、しかも世界最高の情報機関MI6のメンパーだという噂が本当だとすれば、ミャンマー軍事政権の態度も中国同様にそれなりに評価すべきものではなかろうか。

今、日本に必要なのはしっかりと、この事態を見抜く政治家と、子供染みた正義感を振り回してもっとも困難な政治という大事業を台無しにしてしまうことのない国民である。私はて
い小平氏がもし中国にいなかったら、今頃、中国はどうなっていただろうと思う。恐らく今の旧ユーゴのようになっていただろう。一二億の人民を支配するという政治は、かつて一度も人類が経験したことのないことである。一つの政府が効果的に治めることのできる人口は五○○○万人だという。その二四倍もの人口を治めるのは至難の技である。まして、この国を破壊し、人口を大幅に削減し、奴隷化しようという意図を持った集団が、虎視吐々と狙っているのである。しかし、中国は生き延びるだろう。前の本にも書いたように、聖書もそれを予言している。

日本の末来はこれら東洋の国々との緊密な連携によるほかはない。フリーメーソン・イルミナティは絶対に白人主義である。彼らの下部組織は人種偏見を糾弾するが、彼らこそ、自人だけが人間だという考えの持ち主なのである。日本の頭脳と技術をアジアのために用いよ。思い上がらず謙虚にアジアの一員となれ。その国々には今、急速に純粋なキリスト教が興隆している。そのことを真撃に学ぶべきである。さもないと日本はまたしても、無為無策に
滅亡の道を歩くことになるであろう。

イルミナティの計画する反キリストが世界のどれぐらいの地域を支配するかは、判然としないが、私は多くて二分の一、場合によっては三分の一ぐらいではないかと思う。しかも、その本当の統治期間はわずかに三年半なのである。神はサタンをいつまでも野放しにはしておかれない。時が来れば、彼らを地獄の火の中に投げ込まれる。これは黙示録に書かれているし、それを知っている悪霊たちは、イェスキリストが来られたときあわてふためいて命乞いをしているのである。それにしてもいつも不思議に思うのは何故、神はサタンを放任されているのだろうかという素朴な疑間である。これは深遠な真理であるが、判りやすく言えば、光は闇があってこそ認識される。ただ善だけしかない人間はまた無知であるに過ぎない。

人間は、神の愛を知るためには、苦悩、悲しみ、痛み、嘆き、行き詰まり、恐怖、絶望、焦燥、憎悪、殺意、犯罪、裏切りなどの暗闇の部分を知らなければならなかったのである。そして、そのような性質は神にはなかった。サタンとなったルシファーは神がその目的で造った訳ではないが、自ら進んで神に背き、神には無い暗闇の性質を持つに至った。
では、と人は間うであろう。神は人類をもてあそんでいるのか、サタンを使ってゲームをしているのかと。

否である。神は人類を研鑽しておられるのである。試みを受けて勝ち得た善こそ本当の善である。闇から見いだした光こそ光である。悪に勝った正義こそ正義であって、正義だけが一人歩きするものではない。旧約聖書のョブ記にはこの事が書かれている。卑近な例をあげるなら、幼子の無邪気は美しいものだが、それは脆弱な美である。保護されてのみ存続するものである。神が人類に求めた愛、善、正義、真実は試練を通らなければならなかったのである。

サタンは全く悪であるから愛、善、正義、真実というものが理解できないのである。聖書は単なる一つの宗教の教典ではない。人類普遍の運命の書である。例え、全ての国々がこの書に逆らって立ち向かっても、粉々に粉砕されるだろう。この書をあざ笑う者は、永遠に後悔の涙を流し続ける事になるだろう。黙示録はもっとも端的にその事を表している。私はキリスト教徒だから、牧師だからそう言っているのではない。一人の人間として人間である読
者に語っている。黙示録を筆頭に聖書の預言は必ずその通りに実現する。実現しない事は一つもない。それは全能の神が、特定の人間を選んで霊感を授け、語り、書かせ、集め、保存された書物なのである。聖書をあなどる者は単に無知なだけである。