マゴグの地のゴグとは何か?
―それは惑わされたクリスチャンの群れ
ゴグ、マゴグとは?
<ゴグ、マゴグとは、ロシアと無関係>
ゴグマゴグとは、ロシアとは無関係であり、モスクワとも関係ない、逆にそれは、まどわされたクリスチャンが正しいクリスチャンを迫害する、艱難時代を表現する記述である。
このことをエゼキエル書を通して見ていきたい。
エゼキエル書 38:1主の言葉がわたしに臨んだ、
38:2「人の子よ、メセクとトバルの大君であるマゴグの地のゴグに、あなたの顔を向け、これに対して預言して、
ゴグ、マゴグを正しく、聖書的に理解しようとするとき、今の盲目なキリスト教会を席巻している盲人の解釈から、手を切り、距離を保つことが大事である。
何をいっているのか、というと、ゴグ、マゴグというと、ロシアだとか、モスクワだとかトバルスクだとか、洗脳され、植えつけれ、頭の中で、膨らんだ、
妄想教理、聖書のいっていることばから大いに逸脱した暴走教理を思い起こす、
洗脳クリスチャンが多いからである。ロシがロシアだ、トバルはトバルスクだ、などは単なるごろ合わせであり、聖書の解釈の原則とは異なる。このようにいう、彼らは盲人に手を引かれた盲人であり、ともに滅びの穴に落ち込むしか能のない人々であ
る。自分では、聖書を読んでいるつもりかもしれないが、このエゼキエルの箇所を読むたびにかねてから植え付けられ、洗脳された、誤った教理を反復しているのに過ぎない。
主はこのように正しい判断を他人にあずけ、自分の目で見ようとしない人々に対して、以下の様にいわれた。
ルカ 12:56偽善者よ、あなたがたは天地の模様を見分けることを知りながら、どうして今の時代を見分けることができないのか。 12:57また、あなたがたは、なぜ正しいことを自分で判断しないのか(自分自身で判断しないのか:KJV)。
他の箇所ではこう語られている。
イザヤ6:9主は言われた、「あなたは行って、この民にこう言いなさい、
『あなたがたはくりかえし聞くがよい、
しかし悟ってはならない。
あなたがたはくりかえし見るがよい、
しかしわかってはならない』と。
6:10あなたはこの民の心を鈍くし、
その耳を聞えにくくし、その目を閉ざしなさい。
これは彼らがその目で見、その耳で聞き、
その心で悟り、
悔い改めていやされることのないためである」。
エゼキエル書のゴグ、マゴグの箇所を見て、ロシアのことしか頭に浮かばない人には大変失礼な言い方だが、まさにここでいう”『あなたがたはくりかえし聞くがよい、しかし悟ってはならない。”とのことばがまさに成就しているように思える。
ロシアとゴグ、マゴグとは無関係
<ロシはロシアであるとのごろ合わせは聖書の解釈原則ではない>
メセクとトバルの大君であるマゴグの地のゴグに
マゴグの地のゴグということばをどう理解するべきなのか?
そのことばの意味合いを見ていくべきだろうと思われる。
なぜなら、聖書はたとえや、謎の隠された書ではあるが、その解釈をするのに、
そのことばの意味合いを見る、という原則があるからである。
そんな原則がどこにあるのか?以下を見ていきたい。
へブル7:1このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司であったが、王たちを撃破して帰るアブラハムを迎えて祝福し、 7:2それに対して、アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えたのである。その名の意味は、第一に義の王、次にまたサレムの王、すなわち平和の王である。
7:3彼には父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、生命の終りもなく、神の子のようであって、いつまでも祭司なのである。
ここでは、ヘブル書の記者がサレムの王であるメルキゼデグの預言的な意味合いを解説している。その時、記者はこのメルキゼデグの意味合いを解くのに、
そのことばの意味合いに注目している。
すなわち、メルキデゼグというヘブル語の意味合い、義の王ということばに注目している。さらに彼を形容する「サレムの王」ということばに注目し、
サレム、すなわち平和の王であることに注意を払っている。
そして彼の結論は、このメルギデゼグという人物は、
義の王、平和の王であるキリストを預言,予表したものであるという結論である。そしてそれは、全く正しく、であるがゆえに今でも聖書の中にヘブル書が加えられ、その記述を今でも教会は尊重しているのである。
この箇所はヘブル書の数ある記述の一つに過ぎないといえば、言えるが、しかし、聖書のたとえの解釈や、理解のためには、重要な部分だと私には思える。
重要?
何が重要か、というとこの箇所で、ヘブル書の記者は、聖書のたとえや、謎を理解するのに、そのことばの意味合いに注目する、という方法を用いている、その結果、その方法が、
聖書のたとえや、隠れた謎を理解する聖書的方法、原則であることを示すからである。
彼はメルギデゼグという言葉の原語の意味合いに注目し、それから解釈している、さらにサレムの王という言葉の原語の意味合いに注目し、それから解釈している、これが原則であることを示しているのである。
そしてこれが聖書の解釈、理解の原則なら、ことはこのメルギデゼグという言葉にとどまらず、他の箇所の解釈にも通じるはずだし、私の理解では、他の言葉の解釈にもこの原則は通じる。何を言っているのかというと、預言の解釈にはその原語の意味合いに注目する、という方法である。
ここではっきりしなければならないことは、少なくともヘブル書の記者は、このメルキデゼグの聖書的な意味合いを解釈するのに、その発音に注目したり、ゴロ合わせなどはしていないということである。すなわち、メルキゼデグ?うーむ、このことばはメルキ、すなわちミルキーににたことばだ、不二家のミルキーとかかわりのある意味合いだなどと脱線してはいないのである。
こんな風に書くと冗談を書くようであるが、しかし、ロシはロシアに似た言葉だから、これはロシアをさすとか、メシェクはモスクワに似た発音だとか、トバルはトバルスクなどと真面目に論じ、本まで書いているような人々は、同じような
冗談を言っている人々と変わりがない。また聖書の原則を知らない、硬い食物に精通していない、ミルクやベビーフードを食べる類のレベルの人々なのである。以下の様に書いてある。
ヘブル5:11このことについては、言いたいことがたくさんあるが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、それを説き明かすことはむずかしい。
5:12あなたがたは、久しい以前からすでに教師となっているはずなのに、もう一度神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要としている。
5:13すべて乳を飲んでいる者は、幼な子なのだから、義の言葉を味わうことができない。 5:14しかし、堅い食物は、善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである。
ここでヘブル書の記者は、堅い食物を食べられず、乳を飲む段階の人々に
キリストの奥義を語ることは困難であることを語る。
このことは今でも真理であり事実である。聖書の正しい解釈の方法など知らず、
ロシはロシアであるなどのごろ合わせを本気にしている程度の人々に
堅い食物を語ることなどとても難しい。
メルキデゼグのことばの意味合いから解釈すべき
<ゴグとは惑わされたクリスチャンをさすことば>
それでは、ゴグ、マゴグとは何か?
私の今の理解では、ゴグマゴグとは惑わされたクリスチャン、終末の日に背教して
正しいクリスチャンを迫害する、惑わされたクリスチャン、教会をさす表現と理解できる。
何故、そのような解釈になるのか?少し説明したい。
<ゴグ(山)、マゴグ(神の地)は教会をさす表現>
たとえば、以下の言葉
メセクとトバルの大君であるマゴグの地のゴグに
この節のマゴグとのことばの意味合いは、ゴグ(山)、マゴグ(神の地)との
意味合いである。いわんとしていること、たとえの意味合いは、教会をさす表現と理解できる。何故そうなるか?説明すると、神の地(ゴグ)との表現は、新約で言う神の国に通じ、教会に通じる。神の国、英語でいうKingdom of Godとは、神が統治する国という意味合い。そしてそれは、他でもない教会をさす表現である。
ゴグ(山)との表現も教会に通じる。
山には木が生える。ぶどうの木、オリーブの木など。ぶどう、オリーブはクリスチャンをさす表現。そして、山は多くの木(クリスチャン)がいる場所として教会のたとえである。
<楯、剣はクリスチャンに通じる>
以下の節をみていきたい。
エゼキエル38:4わたしはそして私はお前を集める、そしてお前の全ての君主を、馬と乗り手を、彼らはみな胸当てをつけている、大群衆は盾とかぶとと剣を持つ。(70人訳)
この箇所では、ゴグ、マゴグと関係して彼の軍隊が、胸当て、盾、かぶと、剣を持っていることが語られている。
何気ない表現だが、しかし、以下のエペソ書の記述を見ると、この節の隠れた意味合いが見えてくる。
エペソ6:14すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、15平和の福音の備えを足にはき、16その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。17 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。
ここで見るように、エゼキエル書のゴグに関連する胸当て、盾、かぶと、剣の記述は、そのままエペソ書に記述されていることがわかる。
これらは偶然か?聖書は神の知恵によって書かれた書なので、偶然ということはありえない。聖書を書かれた神ご自身がヒントとしてこのように書かれたと思った方が正しい。
このエペソ書はパウロがエペソのクリスチャンにあてて書いたもので、
胸当て、かぶと、盾、剣などはみな、クリスチャンの信仰や戦いに関連して書かれたものである。その同じことばが、エゼキエル書に書かれている、そしてその書かれているという事実を通して神が我々に語られていることは、それは、このゴグ、マゴグは、明らかにクリスチャンの人々である、ということである。しかし、このゴグ、マゴグが、自分たちの剣や、盾、軍隊を用いて正しい神の民であるイスラエルを攻撃している、という事実を見る限り、単なるクリスチャン、教会ではなく、惑わされた教会、クリスチャンを指すと理解できる。
ゴグ、マゴグは惑わされたクリスチャンをさすことば
<ゴグの民をあらわす羊、牛という表現>
さらにエゼキエル39章では、ゴグ、マゴグの民を指して、
羊、牛と表現している。
エゼキエル39:18 お前は勇者の肉を食らえ、地の君主たちの血を飲め、羊、牡牛、ヤギ、そして彼らは全て太った牛だ。
19 そしてお前はお前が満腹するまで脂肪を食らえ、お前が酔うまでぶどう酒を飲め、私が用意した私の犠牲の。
羊、牛は聖書的には清い動物であり、クリスチャンをさす表現である。
主もクリスチャンを羊にたとえ、こう語っている。
ヨハネ10:27わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。 10:28わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。
であるので、この面からもエゼキエル書が語っているゴグ、マゴグの民とは
ある種の教会であり、クリスチャンであることが確認できる。ロシアの軍隊でもなく、未信者でもないのである。
牛、羊はクリスチャンをさす表現
<エゼキエル書の解釈>
上記理解、すなわち、ゴグ、マゴグとは、終末の日の惑わされたクリスチャン、教会であるとの理解を踏まえたうえで、この章を順に見ていきたいと思う。
エゼキエル38:1主の言葉がわたしに臨んだ、 38:2「人の子よ、メセクとトバルの大君であるマゴグの地のゴグに、あなたの顔を向け、これに対して預言して、
ゴグの意味合いは、山であり、山は木、すなわち、オリーブやブドウの木が生えるとこととして、教会のたとえである。クリスチャンはよくオリーブやぶどうの木にたとえられる。
マゴグの意味合いは神の地であり、このことばも教会をさす。
メセクは、引き出す、トバルはあなたたちは運ばれる、との意味合いでこの
ゴグ、マゴグが終わりの日に神の計画の中で、引きだされ、正しい民への迫害へと駆り立てられることを暗示しているように見える。
38:3言え。主なる神はこう言われる、メセクとトバルの大君であるゴグよ、見よ、わたしはあなたの敵となる。
ここで、神は彼ら、ゴグに対して明確に敵となることを語られた。
すなわち、終末の日、惑わされ、背教に陥った多くの教会、クリスチャンが神の敵となり、神の怒りをかう存在となることが書かれているのである。
38:4わたしはそして私はお前を集める、そしてお前の全ての君主を、馬と乗り手を、彼らはみな胸当てをつけている、大群衆は盾とかぶとと剣を持つ。(70人訳)
この箇所を70人訳で見ると、ゴグ、マゴグと関係して彼の軍隊が、胸当て、盾、ヘルメット、剣を持っていることが語られている。
それは、
以下のエペソ書の記述とそっくりである。
エペソ6:14すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、15平和の福音の備えを足にはき、16その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。17 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。
エゼキエル書、ゴグに関連する胸当て、盾、かぶと、剣の記述はこのエペソ書のクリスチャンに向けた記述と同じである。すなわち、ゴグ、マゴグもクリスチャンの1種であることがわかるのである。
38:5ペルシャ、エチオピヤ、プテは彼らと共におり、みな盾とかぶとを持つ。 38:6ゴメルとそのすべての軍隊、北の果のベテ・トガルマと、そのすべての軍隊など、多くの民もあなたと共におる。
エチオピアの意味合いは黒であり、罪に染まるクリスチャンをさすたとえと理解できる。彼らも「みな盾とかぶとを持つ」すなわち、クリスチャンの範囲の人々であることがわかる。
38:7あなたは備えをなせ。あなたとあなたの所に集まった軍隊は、みな備えをなせ。そしてあなたは彼らの保護者となれ。
備えをせよ、と書かれているように、この終わりの日に正しいクリスチャンを罪に定め、非難するための周到な準備がされる。それは、かつて主イエスを訴えるためにパリサイ人たちが用意をしたような用意である、
38:8多くの日の後、あなたは集められ、終りの年にあなたは戦いから回復された地、すなわち多くの民の中から、人々が集められた地に向かい、久しく荒れすたれたイスラエルの山々に向かって進む。その人々は国々から導き出されて、みな安らかに住んでいる。
このゴグ、マゴグが起きるのは終わりの年、終わりの日のことである。
そして、ここで書かれているゴグ、マゴグの戦いはすなわち、艱難時代の一つの表現である。
イスラエルの地に住む、「国々から導き出されて、みな安らかに住んでいる。」人々とは、中東に住む、今のユダヤ人をさすわけではない。彼らは悪魔教徒であり、キリストとは無縁である。そうではなく、終わりの日に回復した教会、クリスチャンである。
38:9あなたはそのすべての軍隊および多くの民を率いて上り、暴風のように進み、雲のように地をおおう。
軍隊、民すなわち、ゴグにつく全てのクリスチャンは軍隊のように、正しいクリスチャンを害するように用意をする。
38:10主なる神はこう言われる、その日に、あなたの心に思いが起り、悪い計りごとを企てて、 38:11言う、『わたしは無防備の村々の地に上り、穏やかにして安らかに住む民、すべて石がきもなく、貫の木も門もない地に住む者どもを攻めよう』と。
「あなたの心に思いが起り、悪い計りごとを企て」というように、惑わされたクリスチャン、教会であるゴグは、正しいクリスチャン、イスラエルといわれる民に対して悪だくみをもうける。具体的にはどういうことか?彼らをカルト、異端と呼ぶ法案や、法律を求め、実行することかもしれない。
38:12そしてあなたは物を奪い、物をかすめ、いま人の住むようになっている荒れ跡を攻め、また国々から集まってきて、地の中央に住み、家畜と貨財とを持つ民を攻めようとする。
「国々から集まってきて、地の中央に住み」とは要するに散らされ、真理の道、まっすぐな中央の道から、それていたに以前はいたが、今は回復し、あるべき場所に戻った回復したクリスチャン」の意味あい。
「人の住むようになっている荒れ跡」とは、すなわち、今までは回復され、正しい歩みにはいったクリスチャン、教会をさす表現。中東のユダヤ人をさしているわけではない。
これは、神の前には回復であり、正しい道へ戻った喜ばしいことであるが、しかし、
ゴグの目にはそう見えず、けしからん異端、冒涜と見える。そうであるがゆえに、彼らを攻め、「また国々から集まってきて、地の中央に住み、家畜と貨財とを持つ民を攻めようとする。」のである。
このことは、主イエスの初降臨の日を思い出せば理解できるだろうか。
何故、当時のパリサイ人、律法学者、また、彼らに導かれる群衆はこぞってイエスに反対し、弟子たちに反対したのか?その理由はイエスの教えは彼らにとり、のっぴきならない、許されない異端教理に見えた、ということに尽きる。
そして彼らに先導された群衆はあのゲッセマネの園でイエスを弟子たちを逮捕しにきたのである。彼らには真理が異端に見えたのである。
同じことが終わりの日に再現し、惑わされたクリスチャンは真理に立つクリスチャンを迫害する。
38:13シバ、デダン、タルシシの商人、およびそのもろもろの村々はあなたに言う、『あなたは物を奪うために来たのか。物をかすめるために軍隊を集めたのか。あなたは金銀を持ち去り、家畜と貨財とを取りあげ、大いに物を奪おうとするのか』と。
「あなたは金銀を持ち去り、家畜と貨財とを取りあげ、大いに物を奪おうとするのか」
とはたとえであり、いわんとすることは、ゴグがカルトとみなした、正しい民を攻撃し、金銀すなわち、信仰をとりあげ、家畜と家財をとりあげ、すなわち、カルトから人々を奪回し、連れ戻そうとすることを表現している。
38:14それゆえ、人の子よ、ゴグに預言して言え。主なる神はこう言われる、わが民イスラエルの安らかに住むその日に、あなたは立ちあがり、
38:15北の果のあなたの所から来る。
北の果ては私の理解では、カソリックであり、この災い、正しいクリスチャンへの災いは惑わされたカソリックから来ると理解できる。カソリックはもうすでに進化論は科学的だとか、地獄はない、とかとんでもない、愚かなことをいっているので、その日、正しいクリスチャンへの迫害に用いられた、としても正直何の驚きもない。
多くの民はあなたと共におり、みな馬に乗り、その軍隊は大きく、その兵士は強い。 38:16あなたはわが民イスラエルに攻めのぼり、雲のように地をおおう。ゴグよ、終りの日にわたしはあなたを、わが国に攻めきたらせ、あなたをとおして、わたしの聖なることを諸国民の目の前にあらわして、彼らにわたしを知らせる。
ゴグよ、終りの日にわたしはあなたを、わが国に攻めきたらせ、あなたをとおして、わたしの聖なることを諸国民の目の前にあらわして、彼らにわたしを知らせる。」と書かれているように、この災いの日はある意味、神の計画の中で起きたことである。そして、「あなたをとおして、わたしの聖なることを諸国民の目の前にあらわして、彼らにわたしを知らせる。」と書かれているように、このこと、ゴグを通して、神は栄光を表す。それは、以下の様なことばの成就する日になると思われる。
2テサロニケ1:4そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、神の諸教会に対してあなたがたを誇としている。 1:5これは、あなたがたを、神の国にふさわしい者にしようとする神のさばきが正しいことを、証拠だてるものである。その神の国のために、あなたがたも苦しんでいるのである。 1:6すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報い、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとって正しいことだからである。 1:7それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。 1:8その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、 1:9そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。 1:10その日に、イエスは下ってこられ、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚嘆されるであろう――わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのである。
神のただしい民が滅ぼされそうになる、あわや、という時、キリストの再臨があり、奇跡的な介入がある、と理解できる。
38:17主なる神はこう言われる、わたしが昔、わがしもべイスラエルの預言者たちによって語ったのは、あなたのことではないか。すなわち彼らは、そのころ年久しく預言して、わたしはあなたを送って、彼らを攻めさせると言ったではないか。
ここでは、このゴグのことがらは、かねてからイスラエルの中で、預言されていた、聖書の中では有名な事柄であることが書かれている。であるので、このゴグの記述は単独な記述でなく、聖書の中で、何度も表現を変え、書きかたを変えつつしかし、一貫して預言されている、大事な事柄であると理解できる。
具体的には何か? 私の理解では、ゴグの記述はすなわち艱難時代を表現する記述と理解できる。
38:18しかし主なる神は言われる、その日、すなわちゴグがイスラエルの地に攻め入る日に、わが怒りは現れる。
38:19わたしは、わがねたみと、燃えたつ怒りとをもって言う。その日には必ずイスラエルの地に、大いなる震動があり、 38:20海の魚、空の鳥、野の獣、すべての地に這うもの、地のおもてにあるすべての人は、わが前に打ち震える。また山々はくずれ、がけは落ち、すべての石がきは地に倒れる。
ここでは、ゴグが攻めるその日、イスラエルの地で地震が起きることが書かれている。震動、地震のたとえの意味合いは、揺るがし、迫害と理解できる。
地震を通して、家の堅固さは、証明される。ある家は地震で倒れ、ある家は同じ地震に会っても耐えて倒れず、とどまる。家は地震を通してその堅固さが証明できる。同じく家、教会また、クリスチャンも地震のような揺るがし、迫害を通して、真価が試される。
38:21主なる神は言われる、わたしはゴグに対し、すべての恐れを呼びよせる。すべての人のつるぎは、その兄弟に向けられる。
剣は「御霊の剣、すなわち、神のことば」とあるように、神の言葉や、教理のたとえ。「すべての人のつるぎは、その兄弟に向けられる。」とは、すなわち、クリスチャンの兄弟姉妹の間で剣、教理の戦いがあることをさす。
38:22わたしは疫病と流血とをもって彼をさばく。わたしはみなぎる雨と、ひょうと、火と、硫黄とを、彼とその軍隊および彼と共におる多くの民の上に降らせる。
劉克、雨、ひょう、火、硫黄はみな、霊的なことがらをさすたとえ。
背教の神の民、ゴグは、その日霊の惑わしの中で、滅びる。
38:23そしてわたしはわたしの大いなることと、わたしの聖なることとを、多くの国民の目に示す。そして彼らはわたしが主であることを悟る。
このゴグのことがら、正しい民が背教の民により迫害される日、艱難時代はキリストの再臨をもって終了する。ヘブル9:28では、キリストの再臨の目的に関して、以下の様に書かれている。
「彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。」
キリストは来られて、ゴグに攻撃される、正しい神の民を助ける、これが、この章の結論であり、艱難時代の結論である。
キリストの再臨がある
以上
「