ジェニンの虐殺(2)

 

       【エルサレム 10 日】

       明日、アメリカのパウエル国務長官がこちらに来ます。しかし、それで何かが変わると
      は思いません。

       シャロンはせいぜい「ベツレヘムからの撤退」と「ラマラのアラファトの拘禁解除」を
      おみやげにもたせて、パウエルをアメリカに帰せばいいと思っているでしょう。どうせベ
      ツレヘムなど、すぐまた再占領できるし、アラファトもすぐ拘束できると、シャロンは思
      っています。

       アメリカも馬鹿にされたものです。

       私がここに来たときは、ベツレヘム他あらゆる町が「軍事閉鎖地区」下におかれ、ジャ
      ーナリストも近付くだけで撃たれているという状況で、それは今も続いています。

       到着した日は催涙ガスに見舞われ、翌日はベツレヘム、その次の日もベツレヘム、そし
      て、ラマラ、ラマラ、ヘブロンと回ってきました。

       どこでも撮影は困難を極めています。

       ベツレヘムでは、それまでジャーナリストが誰も行けなかった生誕教会の前の広場に出
      て撮影していたら、イスラエル兵に拘束されました。

       イスラエル兵の目を盗んで入ったラマラでは、宿泊したホテルにジャーナリストが 20 人
      ほどいましたが、窓から外を見ただけで、撃たれるという状況でした。

       この間に、ジェニンは最悪のことになっています。200 人以上の死者、未確認情報では、
      1,000 人近い死者が出ているという報告もあります。ほとんど民間人で、子どもも多くいる
      ということです。死体は運び出すこともできず、ほとんど腐乱し始めています。今日、イ
      スラエル軍は、これが世界に知られると大変だからと、死体を運び出して破壊跡を清掃し
      始めているといいます。軍関係者は、ジェニンで何が行われたか外部に知れたら、世界が
      許さないだろうという発言もしています。

       ジェニンはシャロンの戦争の最大の悲劇の象徴になり、やがて彼は戦争犯罪で裁かれる
      でしょう。こうしたことをやってのけた首相を選んだイスラエル国民、最後まで連立を割
      らなかった労働党、すべて、このジェニンの悲劇の重さを、これから数十年間、負い続け
      ることになるでしょう。

       そしてイスラエルは、ジェニンの名をかぶせた自爆テロの嵐に、これから見舞われるこ
      とと思います。パウエルが来ている間に、それは始まるでしょう。そしてそれを理由に、
      シャロンは第 2、第 3 のジェニンを作るでしょう。「テロに対する正義の戦争」を掲げたア
      メリカは、シャロンを説得できる言葉をもちません。

       しかし今、シャロンの敗退は確実に準備されているように思います。昨日、ジェニンで
      は、イスラエル兵 13 人がパレスチナ抵抗勢力に殺されました。今日はバスの爆破で 8 人が
      死んでいます。

       ジェニンはイスラエルにとっての「スターリングラード」の始まりなのです。

       私は明日、ジェニンに向かいます。
 
 

                                           アーカイブ