それから、毎年数百本のユダヤ欧米映画が日本を襲撃したから、日米開戦まで、合計、約一万本のユダヤ映画が日本国民に注入した毒は、はかり知れない。それに、日本の映画会社も、映画評論家も、映画ジャーナリズムも、ユダヤ映画を至上のものとして崇拝し、その模倣をこととした(とくに、東宝が著しい)から、洋和あいまって、この十年のうちに、日本国民は、『プロトコール』の三S(セックス、スクリーン、スポーツ)政策の餌食となり、拝欧拝米、アジア蔑視の呪縛にかけられ、ユダヤ・アメり力文化の植民地奴隷に仕立てられたといえよう。その証拠として、一九三五年(昭和十年)三月に公開されたユダヤ映画「ベンガルの槍騎兵」に対する、日本国民の熱狂ぶりをあげることができる。この映画は、ユダヤ・アングロサクソンのインド征服を正当づけ、アジア民族を威嚇する目的をもって、反乱するインド民衆を討伐する英国軍を英雄として描いたものである。当時の日本国民は、英国軍がインド民衆を残酷に殺戮する機関銃の昔に酔った。ここまで日本人は、米英ユダヤに魂を奪われていたのである。昭和二十年、対米敗戦となるや、一夜にしてマッカーサー元師を救世主として仰ぎ見、「どうか日本をアメリカの属国にしてください」と懇願する手紙を送るような日本人に化けたのも、別に不思議でもない。