統一宗教 

ユネスコの背後にあるルシファー信託、神智学、サタニスト団体の女性創立者であるアリス・ベイリーは、1919年に、今世紀の終わりには、「普遍的世界教会」の明確な輪郭が現れるであろうと予言しました。それは、「多くのキリスト教現代用語を伝達手段として用いて始めるために、外見においては宣教中心を保つ」こととする。普遍的世界教会、および、すべての真のメーソンの神聖なロッジと秘密結社の側近グループの間には、どのような分裂もないでしょう。このようにして、国連の目標と仕事は固定され、すべての宗派およびすべての霊的グループによって導かれた神の新しい教会は、分裂という大いなる異端を終らせることになります。1

 1995年の6月に、「グローバルな組織の中に世界の宗教を団結させる」ために、異教徒間サミットが、サンフランシスコで開催されました。宗教統一組織(URO)は国際的なものとなり、その後、宗教間相互の組織が形成され、これは国連と提携しました。 報道官のW.B.ハワードは、「その文献によれば、UROは、1997年6月に文書宣言で開始し、この組織は2000年6月までに完全な形で存在することとなります。そして2005年までにはグローバルに実働できる状態になるべきです」と語ります。2

「U.R.(統一宗教)は国連との関連において、その政治的、外交的、そして社会的な指令を補足し、国連方針に影響を与え、そのプログラムをサポートするために密接に国連とその組織とに協力するでしょう」。 その公式な本部は、2000年6月サンフランシスコにあるワールド・クラス支部で開始されるる予定になっています。3. 

異宗教間会議で、英国国教会ウィリアムE.スウィング司教は新しいグローバルな文明をまくし立てました。 われわれは、新世界秩序の入口に立っている。新世界秩序とは、闘争と暴力をエスカレートさせる線上に、さらに油を差すような増幅する対立として定義されるかもしれないし、或いは、国際間で民族的宗教的な境界線を越える、より大きなグローバルな善に貢献するべく人類を呼び覚ますような、増大する世界的協力関係として、定義されるかも知れません。4 

異教徒間のサミットにおける提案として、ソビエト連邦の前大統領ミハイル・ゴルバチョフのリーダーシップの下で10月に開催される世界フォーラムの次の段階の課題が発表されました。 「世界フォーラムの次の段階では生命の霊的、倫理的領域に強い焦点が当てられるでしょう。それは、特に、この危機的歴史の変遷の中で宗教組織間における協力を増すことを可能にする宗教倫理の共通法典の開発を求めることになるでしょう。」

 前の共産主義の独裁者の持っていた命の霊的、倫理領域の尊厳に対して、全幅の尊敬を払うために、おそらく大きな信仰の飛躍が人類全体に要求されることになるのでしょう。この開発に先駆けて、英国の出版社クリストファー・ストーリー、および彼の仲間はゴルバチョフ財団の活動と出資についての研究を指揮しました。それはプレシディオ(要塞、流刑地)にある米国政府公有地に本部が置かれます。「ゴルバチョフ財団は、新しい文明に向かって働くと説明しています」とストーリは言いました。それは、プレシディオ(要塞)を基盤とする、国連に似た事務総長を備えた宗教団体であり、「統一した宗教組織」を開始します。ゴールは、世界の各宗教を環境整備のため「衛生的に洗浄すること」、それらを「母なる地球」への感謝と結び合わせることです。「財団の哲学は、レーニン主義者によって開発された国の価値を変更するための卓越した戦略に基づく。注釈として、ゴルバチョフ夫人は成人して以来、生涯一貫した独自なレーニン主義の学生であったことを付け加えています」5

聖書を衛生浄化して、ゴルバチョフはヨハネ福音書1:1のことばを「最初に言葉がありました。それは、知的な力の強力な業績を一般化し要約するものである」と解釈し、「この言葉は大いに言い広められるべきである」というわけです。6 

そして、有識者たちによるあらかじめ予定されていた助言から導き出された世界正典の集大成は、すべての宗教信仰の主要な教義の合成物となります。7

それは、すべての宗教は等しく有効であるとして、それらの真理を抱擁する文鮮明の「神主義」をモデルとします。信仰のこの合成から、「世界宗教の10の原則」が一般的な理想として認められています。新世界秩序の中では、これらの原則は十戒の狭い独断に対して、実用的な選択肢を提供することになるでしょう。どの様な形態で、統一宗教組織が出現するのでしょうか? ディアクリシスの働きのアラン・モリソンは、彼の本、「ヘビと十字架」の中で、それがエキュメニカル連合、またはまだ個々のアイデンティティ(独自性)を保持してはいるが、教団、カルト、セクト、および宗派のネットワークの形態であって、それらはすべて共通のゴールを共有する国連宣言と同様なラインに沿ったものにすることを企てています。

「私達は、単一の一枚岩で一つの世界宗派に関しては、それが事実上不可能であり、潜在している分離主義と一致しない教義が内在していることを考慮して、特に言及していません。世界のすべての様々な宗教の要求を満足させる一つの世界宗派を創り出すことは難しいでしょう。しかし、私達は、彼ら世界中の教団、カルト、セクト、および宗派が、まだ彼らの個々のアイデンティティを保持しながら、共通のゴールを共有することを公言しつつ、そのような方法で国連との類似するラインに沿って共通の組織体として協力するような日が来ることを思い描いています。「この世界宗教の議会に続く年のうちに最もありそうなシナリオは、現在の世界教会会議または国連に類似した方法で機能する‘宗教の世界会議’のゆるやかな編成が起こることでしょう」。

これらの違いにもかかわらず、宗教のこのリーグは次の三つの特定のエリアで最も結合できるでしょう:

1 すべての宗教(彼らはこの中に間違ってキリスト教を含めています)は同じ神を共有しており、彼らの究極の望みにおいて一つだという見方を育成するため。

2. 世界政府(例えば国連)と同じ様な同盟形態の協力体勢を通して永久的な世界平和と公正を創り出すため。

3. 聖書的で、福音主義のキリスト教は、この地球上の‘進化的な’発展と精神的発達への障害物であるという概念を普及するため。 これらのことがらは、現在地球規模で行われているエキュメニカルと異教徒間における‘隠された思惑’を示す一致した目的なのです。 例えば、1993年のシカゴで開かれた世界宗教の議会において、主要な講義の中の一つは、「この議会を宗教の国連へと、発展させる提案」という表題が付けられました。 この基調演説において、国連実務官のロバート・ミュラー博士は、国連のラインに沿って1995年までに宗教の永久的な世界会議の設立を呼びかけました。多くの代表者が宗教の世界会議の実際の設定については懐疑的でしたが、しかしおおむねこの議会によりグローバルな異教徒間の運動に向かう協力関係は近いと感じ取られました。 議会を統轄したデイビッド・ラメージ博士は次のステップは、世界の様々な重要な地域、それらの間のネットワーキング関係であり、異教徒間協力センターを設置することと見ました。しかし、他の人はグローバルな宗教の協議会の設定は次の数年間において非常に現実的な可能性があると考えました。」8------- これらのグローバルな働きと同時に、マルクス主義の教義の提供者、および解放の神学と世界教会会議は、一般的なキリスト教協議会開催を2000年にと呼びかけました。 
 

エキュメニカル世界カトリック教会は、「ローマ教皇制の役割を含めた、(教派間の)目立った差異を解消するための話を始めるために、主要なキリスト教」への「呼びかけ」をしました。ヨーロッパ中のプロテスタント教会は、「いまだに残っている(カソリック、プロテスタント間の)、信仰告白の相違をわきへ置くこと」を強いられています。世界カトリック教会書記長、コンラッド・レイザーによると、「ヨーロッパは、異なるプロテスタント教派間にあった伝統的な区分は不適当であると認識する状況」へと急速に接近しています。(訳注:各プロテスタント各派の区分を強調するのはよくないという風潮が広まっているという意味か)9

「法王ヨハネ・パウロ二世も、西暦2000年7月までに「信仰の統一体」が出現し、すべての諸宗教が一緒に礼拝するようになるであろうと予言しました。」サンフランシスコ・クロニクルの1995年5月31日版は報告しました:「法王ヨハネ・パウロ二世は、ローマ教皇制の将来の役割として、他のキリスト教教団と協定を結ぶことに意欲を持っていると昨日語りました。」 法王は、過去何千年の間、互いに分裂していたキリスト教会に呼びかけ、115ページに及ぶ回勅「彼らすべてが一つに」の中で、統一体への望みを提案しました。(全てのキリスト教派の間において)法王が単なる象徴的なローマ教皇であるなどということは受け入れられない、またローマが、キリスト教徒の間で主要な場所を保持する必要があるということを明らかにしました。また法王は、信仰の基本的な教義について、無謬の宣言をする権限を持つべきであると語りました。10 

ローマ教皇制のコントロール下にある国連にならって作られたグローバルな宗教のシステムの区分、それに「新世界秩序」の提案者の参照事項が与えられる、その様な宗教の統一体に関する提案が、まさか福音主義のコミュニティ内の当局者の間から起きて来るなどということは、誰ひとり到底想像できないことです。
 

祝賀2000年 


ジャドソン(ジェイ)ゲーリーは有名ではないが、高く尊敬されており、何年もの間福音主義者の団体に積極的な関係を持っていました。 ジェイ・ゲーリーは一見したところ申し分のない肩書きを所有し、キャンパス・クルセードやビリー・グラハムのローザンヌ世界伝道委員会[LCWE]、グローバル世界福音伝道協議会[GCOWE]、マーチ・フォー・ジーザス、および青年宣教などで強力な影響を及ぼす人でした。

1994年に、ゲーリーは「2000年の星:希望への私達の旅」というタイトルが付けられた本を制作しました。その中で11 彼は、キリスト教徒が西暦2000年に「世俗と宗教」の多元的な千年期的のお祝いに参加することを提案しています。 イエスの名によるグローバルなお祝いは、始めは価値ある事業のように思われました。 しかし、ゲーリーの他の文書とプレゼンテーションの調査をした研究者たちによって、彼の思考は、完全にニュー・エイジ思考に影響された世界観であることが暴露されました。 
 

ジェイ・ゲーリーの組織(多元的な千年期的なグローバルな活動ネットワーク[B.E.G.I.N.])は、新しい文明の始まる命と希望のお祝いのために全世界が一緒になることをもたらすグローバルなイベントとして、多元主義の千年期的お祝いを促進する研究報告書を出版しました。「私達は、無限のスパークが各人間の中に置かれているという簡単なアイデアを回復しなければなりません。私達は、この炎(各人の中のこの小さいスパーク)を燃やし、どの政府、どのグループ、またはどの権限も、この神聖な炎を包み消すことは許されないと保証しなければなりません。21世紀の初期の市民として、この惑星の長さと幅にまたがる、このトーチを運ぶための神聖な義務をわれわれは持っています。
祝典トランペットを吹き鳴らして、政府、教育、アート、メディア、ビジネス、および宗教の間で、この来るべき復興(ルネッサンス)を伝達しましょう。」12 
 

ある人は、各人間の中の「神聖な炎」とか、キリスト教徒がノンクリスチャンと一緒に「宗教の復興」を祝福するための召集という言葉を聖書の中に見出そうとして、それに失敗しています。その代わりに、ジェイ・ゲーリーによって伝達された来るべき宗教復興とは、黙示録17章の「不思議」「大いなるバビロン」のように不吉に聞こえます。現在「宇宙の意識」と定義される新しい精神性を持たない人々を迫害する「異教の宗教」とは、世界的に復活する大バビロンのことです。

ジェイ・ゲーリーはキリスト教コミュニティでは有名ではないが、しかし、彼を2000年の星であるとみなす祝賀2000を承認した多くの人は卓越した福音主義のリーダーでした。そのリーダーたちの中にはキャンパス・クルセードのビル・ブライト、祈りのコンサートのデイビッド・ブライアント、全国的な宗教アナウンサー協会会長E.ブラント・グスタフソン博士、米国福音自由教会の前会長およびミッション・アメリカの現在の会長ポール・セダ博士等がいました。 プロミス・キーパーズの雑誌「新しい人」も、好意的にゲーリーの本を評論し、祝賀2000に参加するようにクリスチャン男性に勧めました。13 これら偽りのキリスト教の働きは新しい千年期に対する平和と統一を軽率に追求するばかりであり、終わりの時に起こる背教についての預言的な警告にはまるで気づかない様です。(第Uテサロニケ2:3) 

多元主義的千年期の祝いの準備においてジェイ・ゲーリーの組織と密接に働きをともにした、ロバート・ミュラー(以前の国連次官補)もその一人でした。ミュラーはニュー・エイジ信奉者であり、新しいグローバルな霊的秩序を提案する何冊かの本の作者です。さらに重要なこととして、ミュラーは世界コア・カリキュラムの作者です。コアカリキュラムは「グローバルな私達の子供のために公民権、地球中心信仰、社会主義者の価値、および21世紀の労働力の要件として集合的な思考様式を操作する」ように計画されています。14 

ロバート・ミュラー学校によると、世界コア・カリキュラムは、神智論者、アリス・ベイリーの作品に基づいています(それは彼女がチベットの教師、Djwhal Khulから導かれたものです) 「世界コア・カリキュラムは個々の学生が、学生生活において自分自身を発見し、その中で容易に人間成長を理解できる有効な洞察力を持つべく、個人と我らの惑星の宇宙的視点に基礎を置きます」。

すなわち学生は次のことを教えられます。
1) 宇宙の中における彼の惑星という本国および位置、
2) 全体としての人類とその中の彼の位置
3) 時間(歴史)の中の彼の位置、および
4) 各個人の生活の奇跡。

「アリス・ベイリーまたはチベットの教師、Djwhal Khulの本と、その詳細を示します。学生はその生活経験の中で、それが事実であると認識していきます。教える時、どの程度の詳細を含むかはそれが提出されている文化に依存しており、それは世界コア・カリキュラムを実施するすべての教師に委ねられています。これらの本は必ず宇宙論全体を含みます。 世界コア・カリキュラムは、宇宙論の部分のみ実施することも可能です。

もし、うまくいく様なら将来、より多くのことが世界の子供のためのカリキュラムの中に含まれるでしょう。 世界コア・カリキュラムは、その中で学生が、一生の発達の中で「忘れるべきこと」は、何一つ彼に提示されないという例外を除くなら、あらゆる点において他の何よりも柔軟なカリキュラムです。 どのようにそれが学生の文化と生活に適する様になるか正直に評価されていく中で、学生には、すべての学問的な資料が与えられます。学生は、分与された知識がどのようしてか、あるいは自分の人生においてこれが有益であるかどうかについて疑いを持たされたままにされることは決してありません。

学生は、自分が広大な宇宙に貢献するその一部と考えさせられ、彼自身の創造性がどのように全体の美に貢献することができるかを示唆されます。 ベイリーまたはチベットの本の中身の詳細が、子どもたちの最も高い意識あるいは魂へと影響を与えることができるためには、事前にかなりの研究と応用が必要とされます。そんなわけで、カリキュラムを実施する多くの試みの間には、多くの失敗があります。しかし、「継続してやり続ける」精神的勇気を持つ人々は成功へと向かっています。15

 ジェイ・ゲーリーは彼の本「2000年の星」の中で、ロバート・ミュラーとデイビッド・スパングラ、マシュー・フォックス、ブライアン・スウィム、およびトーマス・ベリーなど、他のニューエイジ・リーダーを寛大に、好意的に引用します。 たぶんゲーリーは、自分たちの世界観と「キリスト観」がキリスト教へ貴重な貢献をなしていると信じているのでしょう。 

しかし、これらの人は福音を信じてはおらず、また、彼らは、聖書の主イエス・キリストではなく、逆に、リバイバルとグローバルな調和の黄金時代の中に人類を導き入れようとする偽キリストを説いています。 ジェイ・ゲーリーの多元主義千年期的研究報告書は、西暦2000年を「時間にぶら下がった莫大な磁石」「歴史の終わりと平和と繁栄のグローバルな文明の始まり」と呼びました。

 この年はまた、ニュー・エイジ信奉者によって、魚座の時代、キリスト教時代の終わりの年、水瓶座の時代の始まり、すべての宗教の統一と「宇宙的キリスト」の出現に立ち会う分岐点の年として特徴づけられています。 ニュー・エイジ運動家たちは、人はみな各自が自分の内において神性の「普遍的な意識」に達し、個人的な神性という彼の可能性を悟る時に、「キリスト」が来るであろうと信じまた教えます。

最早人々の困窮に役立たないか、あるいは満たさない(既存の)宗教組織を後にして、このリバイバルは「惑星ペンテコステ」となり、進化的な計画の中で、圧倒的にそれ(古い宗教)に取って代ることでしょう。16 ニュー・エイジ・リーダーのバーバラ・マルクス・ハバードはロバート・ミュラーにとって21世紀の真の女性理想像です。 ハバードは、「この命の限界と人間性の無価値さに焦点を絞っている正統的信者の反進化的なリーダーが存在します。彼らは、超越した私達の能力を破壊するのでしょう。」と論じました。17 

ハバードとデイビッド・スパングラとマリリン・ファーガソンなどの他のニューエイジ・リーダーは、「来るべき惑星の変化のためには、地球住民の4分の1までが、癌のように削除される必要がある」という計画を立てています。18 聖書もこの計画について語ります。イエス・キリストの再臨に先がけ、1人の霊的指導者への普遍的忠誠を持つ統合された世界宗教システム、大いなる淫婦教会が存在する様になるでしょう。偶像を拝めとの指令に従うことを拒む人々は殺されることになるでしょう。(黙示録13:11-15、17:6、6:8)

謎のバビロン 


黙示録17:5は、終わりの時に悪い行いと正しい者への迫害に耽ることに酔う謎の宗教、古えより(これは初めに創世紀11章に記載されています)年を経て継続するシステムとしての「大いなる淫婦」を描いています:「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン。」という名であった。そして、私はこの女が、聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。私はこの女を見たとき、非常に驚いた。」(黙示録17:5) 黙示録17:9は、この最終的な世界的宗教システムがローマによって導かれるであろうということを示します:「ここに知恵の心があります。七つの頭とは、この女がすわっている七つの山で、七人の王たちのことです。」ここで多くのキリスト教徒は、かろうじて淫婦宗教をカトリック教会と認めました(その本部はローマにある7つの丘の上の都市に置かれています)。しかし、ローマ・カトリック教会は長い間その大敵、国際的なフリーメーソンによって潜入され、コントロールされています。 

4世紀では、キリスト教とローマ帝国の異教の宗派の間で平和な共存をもたらすためにエキュメニカル・ベンチャーとして画策されたことがありましたが、ヨーロッパの君主国と同盟したローマ教会は、中世時代に様々な変装を装ったグノーシス派のカルトの猛攻撃に対し、少なくともキリスト教正統性の物差しを保持するために、戦ったことは、ともかくも信用されうるかもしれません。この期間の審問は、オカルト伝統(フリーメーソンの前身で、その存在と活動が西ヨーロッパにおける正統的教義が残したものを破壊する恐れがあった)の調達者に対して向けられました。 

ルネッサンス(12世紀から14世紀)の期間には、ヨーロッパには芸術の復興と文化の洗練というみせかけの下でオカルト伝統が押し寄せていました。 ジェームズ・ウェブ(オカルト地下組織の作者)によると、オカルト、魔法、および占星術への興味は正統の信仰の代用品としてふさわしかったのでした。 ウェブの「ルネッサンスの新しい人」の以下の言及に注目ください。「すなわち、オカルト伝統の基本は、形而上の思索の精錬された形態または魔術の現実的な顕示いずれにせよ、それが共通の価値基準でした。これは、文化的人間と教養の無い人が共に、過ぎ去った安全を追求していた期間の、不確実時代に起因していました。

彼の中世の刑務所から解放された「ルネッサンスの新しい人」は自分の筋肉を動かして、伝統の上でそれらを試しました。魔法使いを忘れるならば、ルネッサンス人の姿は完全ではありません。フィチーノは学者、聖職者、および魔法使いでした。」19 マルシリオ・フィチーノ(1462年、フィレンツェのアカデミーの創立者)は聖書と共に、理想主義的な文学と錬金術の科学(占星術、錬金術、および魔法)を取り込みました。 ネオプラトン哲学がキリスト教の一形態であると公言する(1473年に聖職者になった)フィチーノは、ヘルメスとプラトンが、聖書を受け入れようとしない宗教を説得するための助けになると考えました。20 

カトリック教会は教会の教義を世俗的な立場から支持するものとしてプラトンとネオプラトン哲学から派生する理論を制限された方法ではあるものの、それを許可しました。 フィチーノとルネッサンスの研究者によって供給されるネオプラトン主義の教義、その源流は古代ギリシャのオカルト伝統です。 オカルト主義者が彼らの秘密の伝統を導入した別の源泉はネオプラトン哲学と呼ばれる思索の学派です。ネオプラトン教義の種がプラトン自身によって蒔かれたものかどうかは議論があります。

しかし、その創始者がアテネのアカデミーにおけるプラトンの弟子、その第一世代であることは十分あり得ます。 ネオプラトン哲学の「魔法と宗教の」外見さえ、悪魔研究とオカルト現象への興味を持つアカデミーから湧き出たようです。21 ヨーロッパへのオカルト侵略のために開けられた別のドアは、西暦1118年にバチカンで開設された、「寺院の命令」団がイスラム教徒から聖地を取り戻すための最初の十字軍を実施したことです。 
 

エルサレムを占領している間、聖堂騎士はバビロニアの伝統のブラック・アートに出会いました。それは、その後ユダヤ・カバラとして騎士たちによって採用され、彼らの教義と慣習の基礎となりました。 彼等がキリスト教正統教理からの離脱したため、バチカンは1309-13年に公式に「寺院の命令」団を解散し、否認しました。カタリ派、ワルド派、およびアルビ派と同様に膨大な数の異端者、すなわち聖堂騎士団とカバラ信者、を排除するための審理が続きました。これらは、現在グノーシス派の異端を復活させようとしている人々によって「クリスチャン」として誤り語られているグノーシス派のカルトです。 

教皇の審理の法廷から生き残った人々は秘密のエリート、「シオン賢者」によって統治された地下活動においてオカルト伝統を存続させました。 聖堂騎士団はスコットランドに再潜入し、のちに「バラ十字会の教義」と「フリーメーソン」としてヨーロッパで再浮上しました。 カバラ主義者との同盟により「シオンの賢者」は、復讐、革命、および世界征服をもくろむ、ヨーロッパ中にまたがる秘密結社のネットワークを形成してゆきました。 この誇大妄想狂患者の野心は、神聖ローマ帝国を計画的に破壊すること、さらに秘密結社がコントロールする新世界社会の設立についての計画をもくろみ、これを実施することです。

18世紀の出来事の年代記は、彼らのその計画の成功を物語っています。
1717年 イギリスのフリーメーソンの最高位支部(グランド・ロッジ)が設立されました。
1721年 フランスで最初のフリーメーソンの支部が設立されました。
1731年 ベンジャミン・フランクリンはフリーメーソン会員として入会しました。
チャールズ・ラドクリフのスポークスマンであるシュヴァリエ・アレキサンダー・ラムゼーは1736年 設立されたスコットランド・ライト・フリーメーソンが、彼らが聖堂騎士団伝統の相続人であることをフランスメーソンに通知。
1738年 ローマ・カトリック教会はフリーメーソンを非難します。フランシス卿ダッシュウッドは「地獄の業火クラブ」を設立します。
1758年 ベンジャミン・フランクリンはアメリカ植民地の未来をダッシュウッドと議論するために、イギリスを訪問します。フォン・フント男爵による厳格な(33)儀礼の財団。
1768年 聖堂騎士団の伝統に基づいたフォン・フント男爵プロシアのフレデリックはアフリカの「建築家の命令」を設立し、彼のネオフリーメーソンの支部を開設し説明するために「イルミナティ」というタイトルを使います。1770年 ベンジャミン・フランクリンはパリで9つの姉妹ロッジのグランド・マスタに選ばれました。1771年 フランスでグランド・オリエント・フリーメーソンが設立されました。
1776年 「完全主義者または啓蒙主義者の命令」が設立されました。アメリカ革命。
1778年 教皇ペテロ第T世は「秘密の円卓」を設立しました。
1785年 伝えるところによるとグランド・フリーメーソン議会はフランス革命を企てました。イルミナティはババリアで禁止されて、地下に潜りました。1789年 フランス革命。
1784年 ハプスブルク家、神聖ローマ帝国の君主を倒すイルミナティの共謀。ローマ・カトリック教会を支配することは、最初から、フリーメーソン計画の重要な目的でした。 真のカトリック教会の情報筋によるなら、彼らの計画の成功は気絶するほど圧倒的なのものであった、とのこと。「言及された最後の問題としての、カトリック教会を内側から転覆する計画はフリーメーソンがあらかじめもくろんだ通り実行されました」。 フランスでは、彼らは特に成功していました。
1778年と1790年の間で、およそ27のフランス・フリーメーソンロッジが、自分たちの信心深いグランドマスタである聖職者を誇っていました。(訳注:カソリック聖職者がフリーメーソン、メンバーで占められるということ)13人以上の牧師が「フリーーメーソン9人姉妹ロッジ」のメンバーで占められ、1つのロッジは完全にベネディクト会士修道士から構成されていました。「1世紀前において、秘密結社メンバーは、ローマで800を超える聖職者のうち、何人かの司教と枢機卿を占めるだけでなく、彼らの間に多くの教授と高位聖職者がいたことを自慢することができました」。 マルチネスは「信頼できるフリーメーソン・ソースによると、のちに法王ピウス9世になるMastal-Ferreti修道士は、伝えられるところでは、
1837年に46歳でパレルモのエテルナ・カテナ・ロッジに入ることを許された(フリーメーソンである)。ハーツ誌はこの主張を語る。」に注目しています。 10年後に法皇ピウス9世となるこのMastal-Ferreti修道士は、すべての兄弟関係の中で最も革命的な思想を支持するカルボナリに(不可解な)一般特赦を与えました。

このカルボナリは、グレゴリーXVIの命を受けた、フランス・イエズス会士、ジャック・クレティノ−ジョリーが教皇領内で展開しているフリーメーソン活動の調査を停止させるべく干渉している人間だというのにです。(「カトリック教会を蝕む」30ページ) 追放の2年の後、法皇ピウス9世は別人となりました。彼の帰還後、彼はクレチノ修道士ジョリーを働きに復帰させ、そして敵に対して教会を防御するために「彼を」捧げました。 フリーメーソン原理の上に設立された米国においては、(教会にフリーメーソンが)「潜入する」という言葉はほとんど意味をなしません。 チャールズ・キャロル(高位メーソンと米国の初代ビショップの親族)は、独立宣言にサインした唯一のカトリック教徒でした。 1895年まで、アイルランド大司教はフランス人に以下のように話すことができました。「私は、神性なる任務がアメリカ共和国に割り当てられていると信じます。その任務は、模範と道徳的な影響によって、人の自由と権利の全世界支配のために世界を準備することです」(「ユートピア」から引用、113ページ)22
 

- 今世紀のうちに、これらの強力な秘密結社はローマ教皇庁にうまく潜入しました。 あるカトリック出版物、「消滅の中にある教会」は、ローマ・カトリック主義の方向を根本的に変更した第二バチカン会議の法王ヨハネXXIII選出の際に、法王選挙協議会の背後に隠れていた、重大な陰謀を明らかにしています。: 1977年に、ケープの前侍従、彼の聖剣、ロゼルバトール・ロマーノへの貢献者フランコ・ベレグランディは「ニキタロンカリ」と題された本を書き、1994年に出版しました。その発表の時、出版界に全国的な騒動が起こりました。なぜなら枢機卿シルビオ・オディが、登場人物の中にいたからです。 この本の中で、彼は、自分がバチカン宮殿で何を見、また聞いたかを話しています。

それは1958年9月のことであり、著者がその機密情報に関与している教皇選挙会議の直前でした。「私は、バチカンと接している高位メーソンとともに車の中にいました」。 彼は私に言いました:「次の法王はシリにならないでしょう。彼があまりにも独裁的な枢機卿なので、あるローマ関係団体の中に陰口があるのです。調停法王は選挙されることになるでしょう。その人はすでに選ばれていて、ベニス、ロンカリの家長です」 これに私が応じて、「教皇選挙会議の中にメーソンがいますか?」ときくと、 彼は「確かに」と言いました。「教会は私達の手の中にあります」。 短い沈黙の後、私の対談者は、「リーダーがどこにいるかを言える人などいません。リーダーは隠れています。」と言いました。

 現在の法王、ヨハネ・パウロ二世は、多くの知名度のあるカトリック教徒により、オプス・デイ(神の作品)、現代のカタリ派のメンバーであると信じられています。あるカトリック教会出版物はヨハネ・パウロ二世を、ポーランド・メシヤニスト、アダム・ミツケーウィチ、「フランス学派のアナバプティスト」としてのミツケーウィチ、フィオーレのヨアキムの霊的子孫、ルター信奉者を表明しているジェイコブ(ヤコブ:ユダヤ人のことか)、成熟したメーソン、成熟したユダヤ人カバラ主義者と呼ばれ、そして秘伝の最も危険な思想家の間では「フリーメーソン・クリスチャン」と結び付けられています。 アダム・ミツケーウィチは、聖ヨハネ教会が聖ペテロ教会に取って代わると予言しました。ヨハネとは、洗礼者ヨハネのことであり、フリーメーソンの絶対者守護聖人はヨハネなのです。(訳注:要するにキリストの弟子ペテロから始まったとされる、カソリックはいずれ、ヨハネの名で呼ばれる、フリーメーソンにのっとられるという予言) 

1978年10月16日彼が選ばれた夕方、枢機卿カロルWojtyla、今やヨハネ・パウロ二世となった彼はローマの聖ペテロのバルコニーからカトリックの信仰と自由の証しとしてミツケーウィチにあいさつしました。 そして、この追放された詩人が、決して、見ることができなかったはるか遠いクラクフに、アダム・ミツケーウィチからカロルWojtylaまでの歴史が、遂に微笑みかけるように思われる、同じ希望の連続性があることを私達に示しているポーランド歴史のヒーローを尊敬することによって、独断的な選出を祝福している行列がありました。(ラ・クロワ、27/10/1978) 

しかし、ミツケーウィチとはどの様な人だったのでしょう?ミツケーウィチ(トウィアンスキ)について、彼は「神からのメッセンジャー」のようになりました。「ミツケーウィチは2年間をフランスの大学で費やした後、残る3年間を、自分自身を「トウィアニズム」の先駆者とするべく決意しました。」(ページ253-25)[sic]トウィアンスキは、「メシア信仰」の熟達者であり、Wronski (1778-1853)によって始まった「キリスト教の終わり」(ページ251)を告げることが自分に課せられていると信じ、その流れを使命とする人物でした。 

ポーランド人の有名な二人(ジグムント・カシンスキ(1812-1859)とオーギュストCieszkovski(1814-1894))もまたメシヤニストでした。 一番目は「ペテロの教会がすべて古いものがそうであるように、その終焉に近づくことを告知し、2、番目は、3番目の導入と歴史の終わりの時代を言い渡しました。「古代(それは父の時代であり、その子キリスト教の時代でした)の後、神と人との意志の統一を実現する、神の国を地上に実現する聖霊の時代があるでしょう。そして、聖パウロによって告げられた国家の完成が成就されることになるでしょう。」(ページ250-51) 

トウィアンスキについて言えば、彼はナポレオンの後の、第3番目のキリスト顕現であり、ポーランド国家から誕生し、キリストのように殉教者および贖い手となることが運命づけられたリーダーであると自分で信じていました。彼は「神秘文学のオカルト主義者」でした。恐らく、彼は多くの秘密結社に加入していました。(p. 252).以下はミツケーウィチの教会に対するアイデアを巧く要約してあります。「それは1844年1月16日でした。フランス大学が設立されて以来、全てのそこに出席している人々の誰からも、その椅子の1脚からも、決してその時、聞いたほどの事を聞くことはありませんでした。その日、スラブ文学の歴史家ミツケーウィチは、彼のカトリック・ビジョンを宣言しまし
た。ミツケーウィチは、4年前にクラシンスキによって書かれた伝説を学生に物語りました。(18)
「クリスマス。ローマの聖ペテロ寺院で、法王は疲れている老人が取り囲むミサを告げます。すると突然、彼らの中に、紫の衣を着た若者が現れました。それはヨハネという人物で、それこそが未来の教会です。(19)

 彼は巡礼者の群衆に、「時が満ちた」と語り、それから使徒の筆頭(であるペテロ)の墓に行き、その名前によって彼を呼び、ペテロが墓から出るように命令します。死体は起き上がり、嘆きます。「不運!」 そして、バシリカ聖堂の丸屋根にひび割れが入り、開きます。若い枢機卿は、「ペテロ、私を知っていますか?」と尋ねます。死体は、「あなたの頭は救い主の胸にもたれかかっていて(訳注:ヨハネが最後の晩餐の時、救い主イエスの胸によりかかったこと)、一度も死んだことがありません。(訳注:福音書に書かれたヨハネは死なないとのうわさのことか)私はあなたを知っています。」と答えます。ペテロはヨハネに自分の立場を明け渡した後に、墓に戻ります。 ポーランド巡礼者は、忠誠心から聖ペテロのバシリカの廃墟の下で死にます。ペテロは永久に死にました。ローマ教会は終わり、その最後まで忠実であった信者は死んだのです。

「破壊は完璧」 

ミツケーウィチはクラシニスキの寓意を回復させつつも、その話の終わりを変えました。 未来の教会を捜しているポーランドの田舎者たちは廃墟の下でも滅びずに、教会を救います。彼らとはミツケーウィチの剣です、天の光のためにこの丸屋根を開き、その原型のパンテオンのように思われ、また宇宙のバシリカとも見られる、そのパンテオンに全宇宙と全地域、すべての寺院の諸霊を抱き込むようにします。(20) 

そうして、私達に伝統と哲学のすべての鍵を与えるようになるでしょう。(P.271) 秘密結社の普遍的な兄弟同盟の究極の目的は、ただにローマ教会だけの破壊のみならず、一般の正統宗教の破壊と古代のミステリー宗派の再設立です。 私達は、聖書預言「謎のバビロン」の実体が、「シオンの賢者」によって活生化され、調和し、世界のグノーシス派の伝統との合成物になるだろうと予測しています。国際的なフリーメーソンは、エキュメニカル計画のための最前線としてローマ・カトリック教会をハイジャックし、ローマ教皇の位を使って、正統的教会のすべての形態を打ち破り、世界宗派の乗っ取りと最終的な統一世界宗教の設立を達成することでしょう。

それは古代バビロンのミステリー宗派の復活となるでしょう。獣が淫婦教会を利用した時に、「その獣は、この淫婦を憎み、彼女を荒廃させ、裸にし、その肉を食い、彼女を火で焼き尽くすようになります。」 (黙示録17:16) 「神聖な血、聖杯」によると、「シオンの賢者」は、ローマ・カトリック法王の代わりに、神性な血統の聖職者王が「国際的な教会の家長」になることを提案します。「賢者たち」は「神政の欧州合衆国−超または汎ヨーロッパ連合が、現代の帝国の中に組み込まれ、イエスから下った王朝によって統治される」ことを想像しています。この王朝は政治的、または世俗の権力のみではなく、おそらく聖ペテロの王座をも占めることになるでしょう。23

 この最も重要な主題をより幅広く取り扱うためには、読者は「ばら十字会」「バチカン」vs「シオンの賢者」の関係に注意を向けるべきです。

「処女マリヤ」カルト 


1995年の7月に、「イスラム教徒とキリスト教徒の間の兄弟関係」を促進するために、26か国とローマ教皇庁から赴いた宗教のリーダーはバグダッドの古代バビロンの地において会合しました。ローマ教皇の位を「マリヤ、すなわち邪悪な処女」に献げている法王ヨハネ・パウロ二世は、現在イスラム教世界との協定を協議するべく働いています。

1996年10月のカトリック教徒世界リポートはヤセル・アラファトの「国務長官枢機卿ソダーノとのバチカン宮殿において行われた長い非公開のセッション」について語りました。24 パレスチナの郵便局は、パレスチナの旗、クリスマスの時のベツレヘム、および法王ヨハネ・パウロ二世とポーズをとって光を放っているパレスチナ自治政府大統領ヤセル・アラファト」をデザインした切手を発行しました。25 ごく最近、2000年の2月に、法王はエジプトを訪問しました。「エジプトに帰った」を見てください。 ローマ教皇通信社はその時、「キリスト教と世界文化はエジプト教会に大いに恩恵を受けています。」と述べました。「ローマ・カトリック法王は初めて、ファラオの土地に行きます。」

ロイター通信は、ヨハネ・パウロ二世が2000年、聖書遺跡への一連の旅行の一部として2月24日-26日エジプトを訪問するであろうと語りました。彼はホスニ・ムバラク大統領、コプト人正統派の法王シェヌーダ、および国の最上位イスラムリーダーを含む政府と宗教のリーダーと会うでしょう。法王はカイロでカトリック・コプト人大聖堂のミサを祝福し、そして、モーゼが十戒を受け取った場所の近くにあると考えられている、シナイ半島の砂漠の聖キャサリン修道院を訪問することになっています。」26

 聖キャサリン修道院は、コンスタンティン・ティッシェンドルフ(ドイツ原文の批評家でヨーロッパの最初の聖書批評家)がアレクサンドリア写本、シナイ写本アレフを発見した所にある、カトリック女子修道院です。その発見は、聖書の現代の翻訳の基礎となったウェストコット・ホートの新ギリシャ語テキストの基礎として教皇令とともに使われました。 現代の原文批評家とバチカン出版物によって与えられた考えは、シナイ山がエジプトにあるという考えです。 しかし、モーセの律法が与えられたところについて聖書を参照するなら、それは、シナイ山がアラビアにあると述べています。

「このハガルは、アラビヤにあるシナイ山のことで」(ガラテヤ4:25)「信仰の宣伝のための権威主義的な社会」「法王はシナイ半島を訪問し、エジプトの希望を激励するでしょう」とフィデース通信社は述べました。エジプトの希望とは何ですか? 1999年8月11日の日食の間のエジプトで行われたイルミナティ式典は、エジプトのイシスとして知られている闇の母やブラック・マドンナまたはブラック・ヴァージンと呼ばれた様々な女神を呼び起す意図があったとされます。

 聖堂騎士団の黙示録は、シオンの小修道院の初期の会長よりも上位の権限に、イシスを黒マドンナと同一視しています。「黒マドンナ・カルトは(シオンの)小修道院の中心です」彼らには、少なくとも、黒マドンナの重要性についての疑いが全然ありません。ピエール・プランタ聖クレアは、「ブラック・ヴァージンはイシスであり、彼女の名前はノートル・ダム・デ・リュミエール(私達の光の婦人)です」と明白に書いています。27 ローマ教皇庁内部の人、マラキ・マーチンは、(法皇)ヨハネ・パウロが個人的なマリヤの訪れとメッセージを基礎として、以下の様に語るといいます。

「イスラムの心がキリストとキリストの母マリヤの姿に共感する日が来るでしょう。それが必要だという啓示を彼らは受けることでしょう。これは、第二のファティマです。その中でイスラム教徒はキリストを、地上における神の代理牧師であると認める様になるでしょう。そして、法王は英国国教会、英国聖公会および同様な霊の他の同調者により、世界の人口の半数以上の人々によって、無謬の神聖な父として拝される様になるでしょう。」28 ゲイル・リップリンガーは、彼女の本、ニュー・エイジ・バイブルの訳本の中で、イスラム教とバチカンの統一の希望について次のような、可能な解釈を提案しています。 

ニュー・エイジャーのマデリン・エル・エングルの本「鐘のごとき叫び」で、処女マリヤこそが世界のエキュメニカルへの焦点となるであろう、と示唆しています。約百年前、宗教歴史家のアレクサンダー・ヒスロップは、処女マリヤが、艱難時代の間、礼拝される「獣の刻印」となる、という結論を下しました。 処女マリヤという刻印は、多神教の宇宙的聖像です。遂にこの女神が汎神論者たち(例えば、ヒンズー教徒、アニミズム、仏教徒、アメリカ国民たちを)さらに、非汎神論者たち(イスラム教徒、カトリック教徒たちをも)を率いて、偽預言者の祭壇へと導く「くびき」となるでしょう。 処女マリヤの幻は、世界中で起こっており、ある特定の宗教セクトによる排他的経路によらないものです。

最近、エジプトのカイロから2、3マイルの場所で、数十万人のイスラム教徒が、マリヤ聖堂の上に現れた宙に舞う光る物体を見に集まりました。その幻は、3年間度々その教会の上に現れ、アラブ系新聞の一面を飾りました。キリスト教会の階級組織のコプト人とイスラム教徒たちは、この現象を「神からの使い」として見ています。29 トリエント宗教会議は、プロテスタント宗教改革の発展を阻止する試みとして1545年〜1563年に開かれました。この協議会は「聖書のみ]そして「恵みのみ」の教義を含むすべての宗教改革の教義を否定し、マリヤ礼拝、さらに聖徒の肖像を掲揚します、これは十戒における第二の戒め「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」に対して明らかに違反しています。

 1969年の第Uバチカン公会議の冒頭に、法王ヨハネXXIIIは、「私は、トリエント宗教会議で決められ、宣言されたすべてのことがらを完全に受け入れます」と述べました。法王ヨハネ・パウロ二世は1984年の聖週式典の間に、1982年の暗殺の企ての時、マリヤにより重大な危険から彼の命が救われたことを信じ、世界全体をマリヤにささげました。後期のカトリック伝統の中においては、たとえそれが聖典と矛盾する場合においてさえ、マリヤの霊に対しては、聖書に与えられるべき(対等の)名誉が与えられています。ファティマのマリヤは、十字架の完全を否定し、「われわれは罪のための犠牲をささげる必要がある、だれも彼らのために犠牲をささげず、彼らのために祈らないので、まだ多くの魂が地獄に行かねばならない」と語り、また、メジュゴリエのマリヤは、「神は誰をも裁かない。そうする必要はない!人が死んだ後、神は、その人が自分でどこへ行くべきかを自分で決めるように、特別な恵みと祝福を与える。」と言います。30 

メジュゴリエとその他のマリヤの霊は、すべての悪霊が地獄から解放される三日の暗闇に続いてすぐ、空に発光した赤い十字の合図がある、とカトリック夢想家に告知しました。悪霊たちはすべての人間、すなわちドアと窓のまわりに聖水を蒔き、ロザリオに祈り、祝福されたろうそくを灯し十字架像の前でひざまずいて、自分たちの家にとどまっていないすべての人間を滅ぼすでしょう。忠実なカトリック教徒はたとえ自分の子供のためでさえもドアを開けてはいけないのです!31

これら宇宙的な出来事は、黙示録9章の記述に相当すると思われますが、20、21節は、「これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。」と書きます。 この聖書箇所が列挙している宗教習慣は、まさしく「われらのマリヤ」が促進している罪です。この聖書箇所は、これらの霊の源が神ではなく、サタンであることを証明しています。従って、マリヤの予言は、大艱難時代の最後の最後の接近した時点においてカトリック教徒が悔い改め、来たるべき主の審判に備えることを妨げるべく、偽りの教義を立てあげているものなのです。

悪霊と非聖書的なメッセージが伴う聖母礼拝を伴うローマ・カトリック教会の強調点は、実際はアリス・ベイリーのようなニュー・エイジ信奉者による「Djwhal Khul」などの霊的ガイドに類似する悪霊への関係を促進することです。 かつてニュー・エイジ信奉者であったアラン・モリソンは、このように述べています。「主要な教団の中にある神秘主義的な伝統は、容易に世界の異宗教と相互作用をなしえます。メディテーション(瞑想)習慣、「視覚化」テクニック、および呼吸運動は、現在、霊的な領域「に入り込む」ために使われています。

この点において、法王とダライラマ(仏教)のような宗教のリーダーは多くの共通次元の上にいます」。32 主流プロテスタント教団は、惑わしの中に入り込む神秘主義的な行列に参加すべく、「再創造1993」のために集まりました。1993年の11月に催されたこの会議では、フェミニスト神学者たち、や彼らは伝統的なクリスチャン信仰を破壊し、イエスの神性と十字架上の彼の贖いを拒絶しする、古代の異教の信仰を採用し、彼ら自身の像(ソフィア--異教的なマリヤに匹敵する女神)を造り、同性愛を主張し、さらに自然礼拝などに話題が集中しました。33 

申命記18:10-14は、異教の慣習やそれを行う人々との交際を禁じています。黙示録18:4において、神は、「わが民よ。この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。」と明確に語ります。 エペソ人への手紙5:11と第Uコリント6:14-18にも、はっきりと、キリスト教徒が暗闇の実を結ばないわざと交際ができないことが述べられています。 しかし、私達の多元的共存の文化は宗教の分離を「非寛容」とみなし、政治的に正当なものとして、エキュメニカル思考様式を価値付けています。 神の言葉よりも、この世界に適合しようとして、パット・ロバートソンとフランシス・フランジペインなどの福音主義者のリーダーはマリヤの幻とアニメーション化した彫像を「神からの顕示」と呼びました。 フランジペインは、イスラム教徒を赦すように、とのメジュゴリエのメッセージが受け入れられたならば、ボスニアの戦争は回避されたであろうと信じています。34. この虐殺が、霊媒と相談した国家の上に下った神の審判である可能性など、フランジペインの心には浮かびもしませんでした(申命記18:11、 12) 

リバイバルとグローバルな平和というバラ色の未来予測に反して、マタイ福音書24章や他の預言的な章句は、終わりが近づく時に、世界がキリスト教に改宗するよりも、完全に異教主義に退行する時に、戦争と欺きが荒れ狂うであろうと予告しています。終わりの時に関する聖書預言の急速な実現の記録と多くのしるしを見るなら、エキュメニカル統一体を説いている福音主義者のリーダーは、むしろ、これは間もなく成立する「背教の教会」に関するクリスチャンへの警告と受け止めるべきです。この運動こそ黙示録の中にある「謎のバビロン」の記述と正確に一致するのです。
 

福音主義者たちとカトリック教会が共に(ECT文書) 


ある公式な宣言は明確に、世界で社会改革を引き起こすために共に働く福音主義者とカトリック教会との約束を文書化します。「福音主義者とカトリック教徒が共に」35 第三のクリスチャン千年期におけるクリスチャンの任務は、実際に、福音主義者が自分たちの固有な教義を脇へ追いやり、西暦2000年までにカトリック教会と他の宗派と連合するべくその基本的土台を据えることです。 ECT文書は刑務所フェローシップのチャールズ・コルソンとローマ・カトリック聖職者、リチャード・ヨハネ・ノイハウスによって1994年の5月に制作されて、提出されました。1993年に、毎年ニューエイジ財政家、ジョン・テンプルトンによって提出される「宗教における進歩のために」の賞金としてチャック・コルソンは1,000,000ドルを受領しました。

国際刑務所フェローシップは国連の非政府組織(NGO)としてその特別な助言的立場を誇ります。 創始者リチャード・ノイハウスは、宗教と公民生活研究所のディレクターです。以前ルター派信者であり、かつ神学生だった彼は、イエス・キリストへの信仰による義認の教義を拒絶し、現在ローマ・カトリックの聖職者です。36 ECT文書は、20人のカトリックのリーダーおよび20人の福音のリーダーによりサインされました。その中には、キャンパスクルセードのビル・ブライト博士(ブライトは全国方針のための秘密協議会のメンバーでもあります)、CBNの会長およびCNPメンバーであるパット・ロバートソン、「今日のキリスト教」のJ.I.パッカー、南部バプテスト協議会(フリーメーソン会員によりコントロールされた名称)のリチャード・ランド、ラリールイス、世界教会会議とローマ・カトリック教会の全般的なミーティングに出席するアセンブリーズ・オブ・ゴッドのジェシー・ミランダ、ジュネーブ大学の会長であり福音主義者全国協会の運営委員長、ドクター・ジョン・ホワイト、(福音主義者全国協会は1851年に結成されたイギリスの連合グランド・ロッジの福音主義者同盟から発展した)、三位一体フォーラムのオス・ジネス、およびホイートン大学のマーク・ノル博士などが含まれます。 

「福音主義者とカトリック教徒が一共に」(ECT)文書の支持者は、これは神学的な協定ではなく、道徳、かつ社会改革の実現のための一致した宣言であると主張します。しかし、ECTは、「福音主義者とカトリック教徒はキリストの中で兄弟姉妹です」と述べています。 そして、「ひとりのキリストを曖昧にし、教会が一つとなる働きを妨げるような現存する不一致」は、「キリストがすべての彼の弟子のために意図している統一に対して罪である」と書かれています。福音主義者とカトリック教徒の間における協力と一致のためにであると提出されている聖書の支持箇所はヨハネ17:21のイエスによる彼の弟子のための祈りです。

「それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。」 ECTはその文脈からこの節を都合よく抜き出していますが、イエスの言葉を受け取り、実行する人々こそが弟子であるという他の聖書には言及せず、結果としてこの節を誤用しています。「それは、あなたがわたしに下さったみことばを、わたしが彼らに与えたからです。彼らはそれを受け入れ、わたしがあなたから出て来たことを確かに知り、また、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。わたしは彼らのためにお願いします。世のためにではなく、あなたがわたしに下さった者たちのためにです。なぜなら彼らはあなたのものだからです。わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。(ヨハネ福音書17:8、9,20、21)

 神の言葉を受けいれることはキリストの弟子としての必須条件であり、教会または個人の真の性質を明らかにします。ローマ・カトリック教会と協力しようとする人々は、最初にその教義と習慣を検討し、それらを聖書の中で示されている教義と比較すべきなのです。 ECT文書は、「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」と宣言はするが、(イエス以外の)多数の仲介者を認め、カトリック教義の中で奨励される恵みの方法を認めることによって、逆に救い主としてのイエス・キリストを拒絶します。

教皇制度の命令を通して聖書を無効にする独断的な権利をいわゆるキリストの代理者に授与することによって、ローマ・カトリック教会は、神の言葉であるイエス・キリストの上に法王を立てることになります。幼児洗礼を受けた後、カトリック信者は聖書に反する行いを周到に教え込まれていきます。例えば、
*血を流さない「購い」と共に、イエスとの共同救済者としてのマリヤへの愛着
*文字どおりのキリストの体と血の礼拝と参与(記念ではなく現実の存在。「聖餐奇跡」参照*毎週のミサへの強制的な出席。完成した働きではなく、イエス・キリストの継続的な犠牲
* 神との仲裁人である司祭への罪の告白
* イエスの名前による神への祈りでなく、死んだ聖人への祈り。
*彫像への敬慕と聖像への偶像崇拝
*煉獄で苦しんでいる人々のためのミサ、祈り、およびロザリオの供え物、死後の最後の審判の否定*諸霊と相談しているマリア霊によって伝えられた聖書に反するメッセージへの従順 

ECTは「新生」という概念におけるカトリックと福音主義者の教義間の不一致を認めて、寛容にも、伝道する人々が「洗礼による新しい誕生」というカトリック教義と「洗礼後に続く新生」を説く福音主義者の教義の両方を提供することを持ちかけます。この協定の構成者によると、「彼らがキリストの中で自分たちの新しい人生を送るコミュニティを決める時に、私達が、あえてその責任行使することによって彼らを妨げたりせず、改心した彼らには完全な自由と敬意が与えられなければなりません。」 しかし、これはキリストの大使に要求されている重大な任務「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」(マタイ28:20)のみことばへの妨害以外の何物でもありません。

 福音の要求に対するこの巧妙な中立状態は一面、福音主義者の武装を解除します、一方カトリック的福音伝道を推進するために福音主義者を利用する計画的な企みです!「両方の考えを示すこの規則が洗礼に関してあてはまるならば、なぜそれは他のすべての教義に関しても妥当とされるべきではないのですか?」 これはそのような提案への唯一の論理的な結論です。(訳注:他の教理に関してもカソリック、プロテスタント両方の教理を併記するべき、すなわち、たとえばマリヤ礼拝に関しても;カソリック:それは崇敬であり、正しいことです。プロテスタント:マリヤを礼拝すべきではありません。これら両方の意見を併記すべきということ)

これを行うことによりローマ・カトリック教会は、福音主義者のキリスト教徒を使って、間接的にローマ・カトリック主義に改宗させることになるのです。私達は、真理を犠牲にしてまで、カトリック教会のエージェントになるべきなのですか?37 「福音主義者とカトリック教徒が共に」(ECT)文書の署名者はキリストの教義に対する彼らのこの暴行の手をポンテオ・ピラトのように洗い、政治的な都合という名の祭壇の上で神の言葉を犠牲にするのでしょう。 

1995年1月に、公式的な討議が行われました。D.ジェームズ・ケネディ、ヨハネ・マッカーサー、 R.C. スプラウル、および他の福音主義者のリーダーがECT上における福音主義者の非聖書的な位置に挑みました。聖書的な認識によると、 ECT協定は、プロテスタント陣営の中で大変な議論を発生させたので、コルソンは、歴史的な正統性によって認められている真理についての理解、明確化、および調和の手段を達成するために1995年1月にミーティングを召集する必要を認めました。(1/25/95、刑務所フェローシップ新聞福音主義者リーダーは「福音主義者カトリック教徒新聞」上の相違点を解決します)

1995年1月19日、フロリダのローダーデールにおけるカトリック同情者D.ジェームズ・ケネディのコーラル・リッジ長老派教会で開かれた平和協議会に出席したのはECT署名者コルソン、パッカー、ブライト、およびケントヒルなどと共に、いわゆるECT反対グループ、批判的な福音主義者の、ジョン・アンカーバーグ、ジョン・マッカーサー、 R.C. スプラウル、 D.ジェームズ・ケネディ、ジョセフ・ストーウェル、マイケル・ホートン、およびジョン・ウッドブリッジなどでした。 「ミーティングの後で、コルソン、ブライト、パッカー、およびヒルはECTの上の彼らの教義上のポジションを明確化する共通の声明を出しました。しかし、ECTへのいかなる変更も求めず、また、だれも元の署名を削除しないでしょう。

実際のところ、J.I.パッカーは1995年の6月に、マイケルホートンと共同で「ローマ・カトリックと福音主義との対話のための決議案」というタイトルが付けられた文書を制作しました。 キリスト教価値と行動様式が危うくされている時に、この文書は、カトリック教徒と福音主義者が結合することを励ましています!しかしこの連合は、教義の協定とはみなされていません。ローマ・カトリック教会が多くの信者を有しているという事実をも受け入れています。 

そして1995年の末、「福音主義者とカトリック教徒共に」における「共通任務に向けて」(コルソンとノイハウスにより編集された)が出版されました。 その本は、J.I.パッカーによるものを含め、ECTを弁護しているエッセイ文章のコレクションです。この本全体の論旨は、福音主義者とカトリック教徒に、互いが破壊的な個人主義と唯物論に取りつかれている腐敗文化を改良することが必要であるといい、キリスト教福音の違いや矛盾した神学を無視してまでも、誠実なキリスト教徒たちに一致を強要することです。(1995年12月23日付けの報告、ヒューストン・クロニクル)38 

1995年の討論を批評して、パット・ロバートソンは、「教義上の違いの少ないポイント」についての論争でECT文書の最終ゴールを曖昧にさせてはいけない、と言いました。39 ロバートソンの政治的運動組織や、キリスト教連合は「その目的は、市民社会の正しい秩序に対する教会の責任を果たすこと」であるので、彼のECTへの支持を弁護しています。40 イスカリオテのユダもまた政治的な課題を持っていて、パリサイ人のように、イエスが現世における王国を設立することを期待していました。「キリスト教徒が政治的行為のために信仰の純潔を犠牲にすべきでしょうか?世界を神の審判から救うために反キリストの思想と協力できると考えるキリスト者は、まさしく神のわざに対して戦っている人です。」41 

聖書は明確です。イエス・キリストが地球に戻った時にのみ、世界の道徳的で、社会的な改革が実現すると語っています。歴史家のエドワード・ギボンによる「ローマ帝国興隆と衰退」によれば、「初代教会、そして一般的な千年王国の教義は密接にキリストの再臨に関係していました。しかし、コンスタンティヌスの後、ローマ・カトリック教会はイエス・キリストが千年期以前に再臨するという聖書の教えを、法王がカトリック教会の努力によって地上に王国をもたらすことを意図して、ポスト・ミレニアムの終末論(千年期後再臨説)へとゆがめました。」42 コラムニストのジョージ・ウィルはかつて「ロー対ウェード」の最高裁判所判決を「知的な脱線」と呼びました。
 

この合法的で画期的な事件と比較して、「福音主義者とカトリック教徒と共に」文書は知的で、聖書的な完全性に欠けています。 その「教義のすべての風」の周辺に集まる人々は、結局、信仰の狭い道を捨てて、「信仰の難破」を経験することでしょう(第Tテモテ1:18、19)。クリスチャンの霊的羅針盤は、エキュメニカル統一に対して動揺しないものです。「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ。(第Uコリント6:14〜17)
 
 

福音主義者と神智論者が共に? 

ローマ・カトリック教会が国際的なフリーメーソンによってコントロールされているならば、カトリック教会と協調している福音主義者は、結果的に全世界のフリーメーソンと協力していることになります。 メディア・スポットライトのアル・デイジャーは、「ローマ・カトリック教会一致主義の主要な目的は、ローマ・カトリック教徒の福音伝道に反対する非カトリック・キリスト教徒を眠らせて静めることです」と書きました。ECT文書はその文章の終わりで、カトリック教会からの「改宗または羊泥棒」をする福音主義者の行動を非難します。「われわれは、そのような活動を控えることをキリスト教徒に求めます」 

福音を恥じるかのようにさえ見えるある宣教団体(ナビゲーターのことか)は、(いいがかりに対して)イエス・キリストの大使としては不相応な服従を行い、他の「信仰の人々」をキリストに導いたことを悔いています。1993年に、コロラド・スプリングズでユダヤ人とカトリックの若者が学校で伝道されたとのカトリックとユダヤ人のリーダーたちの反対に応じ、キリスト教リーダーは「相互尊重の契約」にサインしました。 この契約の中では、家族、若者の生活、外国人学生団体の上に焦点が置かれ、そしてナビゲータは、他の宗教的信仰への敬意を越えてまで、そのような活動することの中止を承諾しました。

「フォーカス・オン・ザ・ファミリー」の元社員ランディ・シェーファーは、この偽りのキリスト教組織の予定表にある、まれに見る内部事情を暴露しています。「フォーカス・オン・ザ・ファミリー」にフォーカスしてみましょう。「次に、ジェームズ・ドブソンという、エキュメニストを一見しましょう。私はこの取締役会議に出席し、そしてこの文書声明を記述しました。情報源はスティーブ・アレザケズで、「フォーカス・オン・ザ・ファミリー」の配布センター出荷部門のマネジャーです。日付は1995年11月2日木曜日でした。 

引用文:「最近−すなわち、先週、フォーカス取締役会」の十人の取締役会メンバーは、ドブソンと法王との会見に投票し5対5でした。それは決められていたことで、票が割れたので、この時点では、実現しないことになっていました。」ジェームズ・ドブソンは、法王と会うことを望んでいるのでしょうか? 私はまた、ここに一枚のコピーを持っています。1995年の8月のバチカン市国で行われる「家族のための司教協議会」が社長に送った手紙のコピーです。「フォーカス」とローマ教皇庁との間、また国中いたるところの様々なカトリック組織とのやりとりが現在まで継続していたのでした。
 

「ジェームズ・ドブソンについてのアイテムNo.2 − ファミリー・フォーカスと教会一致主義」。 


1995年5月2日に、「異教徒間同盟」と呼ばれたこの小さいパンフレットはすべてのファミリー研究所に送られました−ファミリー研究所とは、米国の周辺にある様々なアメリカのファミリー協議会で、これらはたぶん、「家族」のために働いている人々で - 多かれ少なかれ活動家グループです。このパンフレットの中で異教徒間同盟の取締役会に名を連ねた多くの人々がキリスト教会全国協議会メンバーであったり、ユダヤ教牧師またはローマ・カトリック教会に関係している人々です。「その中でも特筆すべきは、国内および世界教会会議の両方のエキュメニカルと開発イニシアチブを勤めた会長、アルバート・M・.ペニーバッカー博士です。彼はケンタッキーのレキシントンにある、レキシントン神学校でエキュメニカル研究の教授です。」前述の人々に対して、フォーカスはこれらを送付しました。「私達はハワードJ.ヒルシュと名付けられたユダヤ教牧師をある地域に持っています。

その引用文をお見せしましょう。」「20世紀にユダヤ人の悲劇が起こりました。2,000年の歴史の中で、この時、クリスチャンは彼らとの関係において最も低いレベルだったのです。私は、20世紀の終わりの年々と21世紀の初期の年が、特別な恵みの時、つまりユダヤ人とキリスト教徒が、私達の共通の遺産と相互の必要−すなわち、互いに愛、親切、理解によって私達の人生の質を豊かにさせるために一緒に働く必要への新たな見直しができる恵みの時、特別な時であると信じます。」 もし私が正しくローマ人への手紙1:16を覚えているならば−福音はまずユダヤ人に、そしてギリシャ人にもであり、私達は、ユダヤ人を愛すべきでしたが、私達は確かにそれほどそうはしてきませんでした。彼らは今もイエス・キリスト、彼らの救世主を拒絶し続けています。そして、彼らがコロラド・スプリングズの「クリスチャン/ユダヤ人の対話のためのセンター」と呼んでいる取締役会の一人として、誰が契約したかをご想像ください?

他ならぬジェームズ・クレイトン・ドブソン博士、ファミリー・フォーカスの社長です! 次に(確定期日を把握してはいませんが、私は、それが1994年であったと信じています)ある地域の宗教のリーダーのグループが、新聞の地方紙で4ページの広告を出しました。それは単に「コロラド・スプリングズの人々へのメッセージ」とあり、続いて: 「相互尊重契約」と呼ばれる協定に私たちは互いに契約を結びました。カトリック教徒、プロテスタント、およびユダヤ人のリーダーはこの契約にサインしました。 私は、そのすべてを読むつもりはなく、確かに長いもので、2、3の長い段落分けになっており、さらに私達は1時間半のテープを渡されました。

しかしこの(エキュメニカル的な協定書の)、2番目の署名者はジェームズ・ドブソン(ファミリー・フォーカスの社長)でした。−ですから今も、ドブソンの活動のもう一つの部分で、エキュメニカルの動きが続いているようなのです。ですから、 ファミリー・フォーカスの目的について、キリスト教徒は、はたしてこの団体が重大な宣教任務を果しているのかどうかを問い合わせるべきです。「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け」(マタイ28:19)

 キリストの使徒は一体この契約とECTのどちらにサインしたのでしょうか? ランディ・シェーファーの暴露はファミリー・フォーカスの今後の真の課題とドブソン自身の関心事について重要な情報と手掛かりを提供しています。その関心事とは、リベラル・カトリック教会と呼ばれた神智主義のカルトです。 私は、ジェームズ・ドブソンが彼の重要な管理人と話しているテープのコピーをテープファイルの中に持っています。その時の取締役会で、彼とチャック・コルソンが、1997年までには「国家を義に呼び戻す」という会議を催すことが決められたと思われます。

実際、それはエキュメニストの動きです。 ドブソンは、スタッフに必ずしも知らせる必要のない、より大きい青写真がファミリー・フォーカス計画にあることを、必要あって詳しく説明しました。それから、彼は黙り、そして言いました−「グローバルな計画」 彼は、続けて、これをまずアメリカのより大きい教会の牧師のミーティングから始め、その後より小さい教会の牧師たちに、たぶんグループ単位で彼らと会うであろうということを説明しました。彼はその詳細には立ち入りませんでした。

「彼らが、会うことを望んだグループの一つはリベラル・カトリック教会でした。これは彼が重要な人員と話していた時には述べられず、もう少し後で送られた手紙の中で現わされたことでした。これらの手紙とは、米国内の牧師への招待の手紙でした。少なくとも二通の手紙が送られており、より早くアメリカの最も大きい教会の牧師に、そして特にリベラル・カトリック教会の担当牧師宛(前に言及した)に送られました。「これらの手紙は、新しい宣教活動分野とファミリー・フォーカスのための世話人である副社長H.B.ロンドンによって発送されました。

ロンドンはジェームズ・ドブソンのいとこです。この一日ミーティングに出席するすべての人は、その一泊で計画された会議に出席し、ホテルまたはモーテル代、および彼らの食事はフォーカスの費用で供給されることになります。その会議は、8月26日の月曜日から8月27日の火曜日まで開催されることになっていました。しかし、ある「言葉」が出たので、その計画は実現しませんでした。「ファミリー・フォーカスは、‘印象的なイベント’とするためにリベラル・カトリック教会の担当者にその会議に合流するように嘆願し、彼らが出席できないなら、何とか、代理の担当者を、彼らの席に(2人の指定された代表者の席)送って欲しい」(これが正確な引用文です)
 
 

さて、私はあなたに、リベラル・カトリック教会とは何であるかを知っていただき、それから、私はこの質問をしたいと思います。「ジェームズ・ドブソンはなぜ主要なアメリカ牧師とリベラル・カトリック教会の人々とを関係付けようとしているのでしょうか?」「教会一致主義」に私は‘最新の’というラベル付けをして申し上げたいと思います。 リベラル・カトリック教会とは、実際何であるのか、また彼らが立つ位置を見てみましょう。 ここに、私が最初に思いつく、いくつかの出版物があります。女神宗派、グノーシス主義者キリスト教、東洋神秘主義、意識の神秘主義的な階層、キリスト教における再受肉?、神性の女性面。勿論彼らは「瞑想」についての小冊子を持っています。 彼らは、リベラル・カトリック教会のポジションを表しているのは「キリスト教への神秘主義的なアプローチ」だと言います。彼らはすべての宗派の共通性をも強調します。 手紙を差し出した人々は、この返信を受け取りました。「研究のために、リベラル・カトリック研究所への関心を寄せてくださり感謝します。私達はキリスト教の深遠かつ神秘主義的伝統の教えの研究が専門です。」
 

私は、この組織の多くの文書を、勿論他の文献と共に持っていますが、彼らは再受肉を教え、すべての宗派の妥当性と単一性ー再びエキュメニカル・アプローチがありますーを認めています。彼らは宇宙の主キリストというキリスト教と、知的な自由の大気の中の七つのサクラメントを当然施しています。私が印刷物から確かめることができる限りにおいて、約130の会合と世界中で約1500人のメンバーがいます。さらにもう少し資料があります。「変化の風は常に増加する速度に達していて、これらの変化を認めようとしない彼らはきっと押し流されるでしょう。

私達が、信仰を持ち、このニュー・エイジの聖霊によって導かれているならば、私達は、追放を警告している根本的な変化の準備をする必要があります。」 私は、彼らが「特別聖書的」として意味しているものが何か疑問です。そして、私達自身の信仰を再解釈することを要求するキリスト教の働きの中での彼らの急務は、今日、人類発展を手助けすることにさえなっています。文化的なキリスト教徒は、宇宙とともに進化するか、滅びるかのどちらかです。 宇宙的キリストが今日何かを私達に語っているとするならば、それは、「発展か、滅びか」です。彼らは、すべての人が潜在的な「キリスト」であると言い続けます。 私が、言及したいもう一つのことは、彼らの声明であり、次のことです。「それはローマ・カトリック教徒またはプロテスタントなのではなく“カトリック(普遍的)”であること。」彼らがこの「カトリック」を使う時、それは大文字‘C’で綴られます。 
 

基本的に、彼らは、自分たちがプロテスタントではなく、またローマ・カトリックでもなく、「カトリック(公同の普遍的な)」と言っています。彼らは地球の上の神の代表者です。 これは明白にオカルト的であり、ニュー・エイジ・グループとジェームズ・ドブソンの逸脱であり、これが彼の組織がしてきたことです。彼が、その知識によって、その宣伝者のひとりになろうとしていたので、ファミリー・フォーカスの陣営は、米国の主要な教派と接見するため、この逸脱したグループ(リベラルカトリック)からの代表者を招くという逸れた道へ行ってしまったのだ、と私は確信しています。 リベラル・カトリック教会の小史によると、この学派は神智学協会であり、このグノーシス派の宗教ソースはオカルト地下組織文書から生まれており、それによると、20世紀初期の世界救世主の有力候補はジッドゥ・クリシュナムルティでしたが、失敗しました。
 
 

その救世主は、のちマダム・ブラヴァツキーとなる神智学協会アニー・ベザントとの共同会長で悪名高い同性愛の神智学論者、チャールズ・リードビーターによって見出され指導されました。リードビーターはまたリベラルカトリック教会のビショップに任命されました。 特に、千年期至福ムーブメント(神智学)としてのその後の段階で、そのようなムーブメントがいつも吸収する同種の新メンバーを起こしました。ノルマン・コーンは私達に、中世には‘下層知識階級’からミレニアムの予言者が出たと言います。彼らは、下層の牧師(教区を失った聖職者や修道院から出た修道士、年少の事務員たち)がすぐクリシナムルティを取り囲む中に、リードビーターと彼の仲間のリベラル・カトリック教会の司教と上役、ジェームズウェッジウッドなども不満をもった牧師たちで、そこにいました。「修士から救世主までは長い旅でした」。 

マダム・ブラヴァツキーの神智学は、続く多くの出来事を証明しました。彼女が修士たちと‘その現象’に関係しなかったならば、彼女のオカルト秘密の知識はよりいっそう多くの効果があったかもしれません。 一方ベザントは彼女の世界的指導者によって宣言されたミレニアムを有利にするため、神智論の信条の最もオリジナルな部分を捨てました。ここにおいて、彼女は単に、すでに確立していた19世紀から20世紀への転換における前例にならったに過ぎません。

 ローマ教会では、司教がある主要な違反のために破門されても、彼の監督能力を奪われることがない、とされています。さらに彼は、命令が正式に有効となる他の司教を奉献することができることになります。それゆえ彼は実に思いのままに彼の教会の私的な支部を設立することができるわけです。結果として、教会分離論者が虚偽の教会法を作成し、一種の‘カトリック・プロテスタント主義’を出現させることができたのでした。 

この方法で、1813年に、オランダ牧師の大多数が、ジャンセニズムを非難しているローマ教皇の大勅書を認めずにカトリック教会を離脱した時、彼らの命令は当然有効であり続けました。彼らは「古いカトリック教会」を成形し、1908年にウトレクトの「古いカトリック」大司教、ゲラート・グールというアーノルド・マシューを奉献したのでした。マシューは、人を楽しませるキャラクターの持ち主で、かつてドミニコ修道会士でした。しかし、そのタイトルを「ランダフのプロボレリ・ディ・ビチェンツァ、デ・ジュール・アール」という、イギリスの古いカトリック主教の職に結び付けて、より魅力的な立場を有利にするため、彼はローマを放棄しました。彼の手柄の中には、ブライトンの動物園を設定する試みがありました。

神智学協会のリードビーターが彼の主教の職を得たのはマシューを通してでした。マシューの小さい教会は、ほどなくしてオランダの古いカトリック教会を離脱し、第一次世界大戦の最初まで、ゆゆしき神智学に感染したのでした。43 このリポートの中にないが、他のウェブサイト上で扱われている神智学とファミリー・フォーカスとのつながりの証拠があります。どうぞ見てください。ファミリー・フォーカスと神智学会との詳しい相互作用の実際については、ファミリー・フォーカスと公然たるオカルト組織がアメリカにおけるニューエイジ活動に火をつけたのです。 

読者に
は、キャシー・バーンズ博士の「ほとんど知られざる、ファミリー・フォーカスの事実」という本を読んで頂きたいのですが、私たちのウエブ・サイトでもその本のある部分だけはお読みいただけます。そこでファミリー・フォーカスと国際捜査との密接なつながり、ニュー・エイジの一般教育現場に対するカリキュラムを手に入れることができます。
 

大いなる堕落 


聖書預言は、終わりの日に大いなる堕落またはイエス・キリストの正統信仰からの背教があると予告しています。「だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。」(第Uテサロニケ2:3) 黙示録17章は、「7つの丘の上の都市」ローマによって導かれる謎のバビロンと呼ばれるグノーシス派宗教システムを説明します。「それから、御使いは、御霊に感じた私を荒野に連れて行った。すると私は、ひとりの女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神をけがす名で満ちており、七つの頭と十本の角を持っていた。この女は紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものや自分の不品行の汚れでいっぱいになった金の杯を手に持っていた。その額には、意味の秘められた名が書かれていた。すなわち、『すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン。』という名であった。七つの頭とは、この女がすわっている七つの山で、七人の王たちのことです。」(黙示録17:3〜9) 

預言者ダニエルは、幻の中で神から語られ、「大いなる遊女教会」は比喩的に「獣」と呼ばれるその世界帝国が、文字通りの神の王国を地上に設立しようする悪霊的欲求によって地を滅ぼし尽くす政治組織と同盟を結ぶようになると告げられました。 

「それから私は、第四の獣について確かめたいと思った。それは、ほかのすべての獣と異なっていて、非常に恐ろしく、きばは鉄、爪は青銅であって、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。彼はこう言った。『第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。(ダニエル7:19、23)

 ローマ・カトリック主義との統一を促進する福音主義者のリーダーと彼等に関連するフリーメーソン大物たちとは知らずにか、または意図的にかフリーメーソン新世界秩序という背教した宗教システムの中にキリスト教徒たちを先導しています。 悲しいことには、多くの信者は、世界宗派との統一をキリスト教復興などと呼ぶ偽予言者を信じることをむしろ好み、聖書の預言的な警告を拒絶することを選びました。それは神の国福音メッセンジャーの中で適切に描写された現代の「信仰の言葉」世代という惑わされた思考様式です。古い伝統的千年期前再臨説に立って「殉教者の血」の見解に関する「否定的」な教理によって束縛されているすべての人間たち、(マタイ24:21)神の怒りの火は、反キリストの追随者たちに注ぎ出され、キリストの再臨の必要とその日が少なくされなければ、肉なる者、クリスチャンであれ、クリスチャンでなくとも、だれ一人救われない(マタイ24:22):この様な信仰を持っている人々は急速に少なくなっています。 

このような見解は、「文字どおり信じる者には、何も不可能なことはない」という「積極的な告白」の教理で育てられた世代にとっては、あまりにも「信じられないこと」と見なされます。もし、あなたが、自分はその日を見る、と考えるなら、不信仰者であることになっています。今は、聖書の預言と警告を拒絶することが、「信仰」であると考える時代なのです。そして、それにもかかわらず、彼らは他のいかなる歴史におけるクリスチャンよりも自分たちが神聖で、聖いのであると語る世代なのです。44 イエスが、「羊の皮を着たオオカミに似ている」と警告した当の人々、現代の霊的指導者が異教の宗派との統一を促進するため、多くの信者は、反キリストを拝むよう仕向けられるでしょう。

選ばれた者さえ欺かれるとは信じがたい言葉(マタイ24:24)です、私達が欺きが福音主義の最も高いランクの人々からやって来ることを理解するまでは。信仰のための戦い 私達の社会の中で荒れ狂っている「霊の戦い」に対してキリスト教徒の大群衆が、熱烈に力を入れている一方で、人々の魂のためにより陰険で、高価な犠牲の伴う戦いが、教会内部から、教会へ向かって行われていることをほとんどの人々は、洞察できません。 社会的な変化へと駆り立てる熱意のためにか、これらのエキュメニカル改革者は、福音派教会の中で神の言葉からの大いなる離脱が起きていることに気づかないようです。重大な犠牲を払いつつ教会史を通して守られてきたキリスト教の教義は、今や現代的キリスト教において、より実利的な再定義を模索するべく、遺憾にも引き渡されています。 それでも、イエス・キリストの設立された教会は、政治的なあるいは背教した世界システムではなく、「真理の柱と地」にあるのです。  (第Tテモテ3:15)「もし土台が破壊された場合、正しい者が何をすることができるか?」と新契約の主は、教会がその信仰の基礎を保存することこそが、最高の任務であることを宣言しました。

社会活動は個々のキリスト教徒にとっての天職であるかもしれないが、しかしそれは聖書の中で確立された真理の目標という適切な文脈の中でのみ、存在し得るのです。 世俗もしくは宗教の領域にかかわらず、何をするにしても私達が教理的な純潔さを維持しているかどうかが重要なのです。教理の純潔さとは、良いわざから離れてではなくその良いわざのために聖書的な枠組を主張することを意味します。ヤコブは、行いのない信仰は死んでいると語ります。確かに信仰のない行いは、木材、干し草、および切り株と同様に死んでいます。イエス・キリストの弟子は、両方面の真理に召されています。つまり聖書的な信仰(それは防御が必要とされており)(ユダ書3)またすべての人に対する(キリストの同胞あるいは敵かどうかにかかわらず)犠牲的愛の行為とに。45 妊娠中絶反対活動家は胎内の子供のためにどんな努力の労をも惜しみません。

言葉の実践者であろうとする人々にとって、行進、ミーティング、政治運動、抗議、カウンセリング、および未婚の母のための家を巡る働きは、わずかな時間の犠牲としばしば、生存権を確保するという名声にあります。箴言24:11は、「捕えられて殺されようとする者を救い出せ」をキリスト教徒に要求します。しかし、教会が政治システムと関係する時に、そのシステムはかえって教会をコントロールします。このことは、立法という方法で流産堕胎を止めようとする実体のない結果で中絶反対運動の単調な仕事に何年もの間働いた人々において明らかです。事実に直面することへのこの拒絶の理由は、反妊娠中絶キリスト教徒が、主として、前進が必ずあると信じ、勝利がまさに曲がり角にあると信じるようにと思わされているからです。 

中絶反対運動が実はロックフェラーの金によって資金提供された、大いにコントロールされた反対運動であるなどと、だれが疑うことでしょうか。堕胎産業がその目的に対する反対者をコントロールするためには、失敗するべく組織化され計画されている運動を編成すること以上によい方法があるでしょうか?このことは、連邦政府が人の胚幹細胞研究に出資するためにと2001年の8月にジョージ・ブッシュ大統領が発表した前堕胎政策において明白でした。意図的な誤報キャンペーンが、直ちに、チャック・コルソン、D.ジェームズ・ケネディ、ジェームズ・ドブソン、および大統領の方針を「反中絶団体勝利」、「勇敢なクリスチャン、ジョージ・ブッシュ」と宣言した他の新福音主義の変更エージェントによって始められました。連邦政府が胎児の研究に出資するクリントン前大統領による1993年のプログラムが、1年後NIHによって禁止されたというのに、ブッシュ大統領により、かろうじて復活に成功したことに注目してください。

しかし、ブッシュ大統領は、いつ人命が始まるかとの根本的な問題について国民に向かって、彼の演説の中で言葉をにごしつつ、生物医学の設立の前堕胎目的を促進する方針を出したことなどには注意を払わないでください。 もちろん新世界秩序が、実際には、堕胎、胎児の研究、および実験、遺伝学研究、および他の形態における優生学/人口抑制の研究を事実上反対なし継続させている時に、あたかも反対運動の進歩が促進されているかの雰囲気を与えるためには、中絶反対運動をコントロールし、指示された人々としての、コルソン、ケネディ、およびドブソンといった表向きの顔を創り出すことが必要なのです。キリスト教徒が、実際には自分たちが信じていることと正反対である世俗的な目的を達成するために利用されているという現実に気付くのを手助けするために、私達のリポート、「勇敢な新しい赤子」の、この主題についての重要な情報を提供します。(訳注:この文がいわんとすることは、クリスチャンが熱中する中絶反対運動は、実は裏でロックフエラー等の怪しい人に操られており、結局は成功には至らない、実を結ばない様に始めから計画されているという意味あいか) 

キリスト教徒は、彼らの文化の中で光、塩として召されていますが、教会の最も高い使命は、イエス・キリストへの信仰を通して永遠の命へ至る救い、その純粋な福音を保持することです。 F.B.マイヤーは古典的な書物「イザヤの中のキリスト」で別の「中絶反対行進」を描写しています。「この世界を通って、人間の目によっては見えない、行列は、時間の大陸を横切って進んでいます。それは、聖なる器を運んでいます。神聖な真理が安置されるという表現は、「いにしえの摂理、神の真実」という器、見えざる永遠の物を確信させるもの、贖いの事実の宣言と比較されるかもしれません--それこそが私達の聖なる義務です。私達は一度聖徒に届けられた信仰のために真剣に戦わなければなりません。

あなた自身と、そして教義に注意を払ってください。教会が世界に与えることができる最も大きい奉仕は、神の存在、贖い、審判、そして来るべき世界の事実という真理について、その永遠の証人であることです。これらすべてについて、昔からの義務が、われわれに委ねられています。「主の家の部屋にて、祭司とレビ人の首長の前でそれらを量るまでは、それらを見張り、保持しなさい。」46目を醒まして祈れ エルサレムについて、エゼキエル22:25は「そこには預言者たちの陰謀がある。彼らは、獲物を引き裂きながらほえたける雄獅子のように人々を食い、富と宝を奪い取り、その町にやもめの数をふやした。」と話しています。 獲物をむさぼり食っている吠えているライオンのように、彼らは魂をむさぼりました。 同様の陰謀が教会に襲いかかっていることに気がついた人々は、パウロがしたように、くり返し警鐘することによって「誰がこれらのことに十分ですか?」と、抗議しなければなりません。 

しかしパウロのように私達は自分たちが十分ではないと認めることができます。しかし、私達の十分とは神をもっていることです。(第Uコリント2:17、3:5) 私達それぞれは、この危険な時に効果的に教会をとりなす者としては、不適切さを自分の中に感じるかも知れません。しかし、ぜひ祈りましょう。神が私達の充足のためにすべてを供給するであろうということを祈り、この働きのために祈らせてくださるように。・教会の内部に、霊的な洞察と霊を試しすべての物を論証する気質のために。・キリスト教徒が健全な教義と預言のための基礎としてキリストにだけ目を向けるように。・牧師、教師、および牧会に携わる人々が欺かれず、群れに警告し、保護するために。・偽預言者と偽教師が暴露され、彼らの教えが教会によって拒絶されるように。・神が、真剣に信仰のために戦う男性と女性を育てるために。・神が、この危険な時代に教会を取りなすために祈る男性と女性を募られるように。
ENDNOTES(引用文献)
1. LユEglise Eclips仔 (The Church in Eclipse) by Les Amis deChrist-Roi (by The Friends of Christ the King), EditionsDelacroix, 1997 Paris, from Chapter 1, titled: Toward the Marriage of the Cross and the Triangle, quoting Alice Bailey,Esteriorizzazione della gerarchia, Ediziones Nuova Era, Rome,1985, p. 476.) [Externalization of the Hierarchy],, 1985, pp. 476,478 and Il destino delle Nazioni, Ediziones Nuova Era, Rome, 1988,p. 155 (quoted by Professor Carlo Alberto Agnoli, op. cit.).
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11. Ibid.
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13. Jay Gary, Get Ready to Celebrate the Year 2000, (Colorado Springs: AD 2000 Global Service Office, 1993), p. 2.
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15. "The State of the World: According to Gorbachev," op cit.
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17. Spiritual Counterfeits Journal, Volume 19:2/3, 1994, p. 47.
18. Ibid., p. 15.
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21. Ibid., p. 196.
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