教皇の不可謬性


メアリー=アン=コリンズ
(元カトリック修道女)

www.CatholicConcerns.com
2002年2月配布

ローマ=カトリック教会の教理によると、教皇とカトリック公会議のする事には間違いがないらしい。このことは、信仰と道徳に関し公式見解を発表する時はいついかなる時も、神の超自然的な力に守られ、間違いを犯すことはないといっているに等しい。教皇の不可謬性とは、現在、過去、未来すべてのローマカトリック教皇と公会議に適合するらしい。(注1)

 ウェブスター辞典は、“教皇の不可謬性”とは、“誤りうることは断じてない”と定義付けている。ローマ=カトリック教会が使っている不可謬性とは、信仰や道徳に関して教理を定義するにあたり、間違えることは断じてないということを意味するようだ。

 もしある時代のひとりの教皇もしくは、カトリック公会議で“教皇の(教理に関する)不可謬性”の宣言をしたとする、また別の時代の教皇もしくは公会議で見解の違う“(教理に関する)不可謬性”の宣言をしたとしたら何が起こるか?当然矛盾が生じることになる。

 そんなことになったら、真理が真理でなくなってしまう。それゆえ教皇とカトリック公会議の宣言には“間違いがない”ということが真実であるとするなら、他の“間違いがない”という宣言とお互いに矛盾することは決してない。もしたった一つの矛盾点があったとしよう、そのときは教皇の不可謬性という教理自体おかしいことになる。 

 教皇の不可謬性という主張は歴史上証明されたとは言いがたい。ゾシムス教皇(AD417−418)は先代の教皇の宣言をひっくり返した。また以前自分で携わった教理上の宣言すら自己否定し、撤回している。ホノリウス教皇は、第六回エキュメニカル公会議(680-681)において異端者扱いされ集中砲火をあびている。(このことは、ローマカトリック的信仰に反する教理上の声明をしたことを意味する。)彼はまた教皇レオ2世にも異端者扱いされ、それどころか11世紀まで他のすべての教皇にも同様の扱いを受けたのだ。よって“間違えるはずのない”教皇が、別の“間違えるはずのない”教皇を異端者扱いするという奇妙な現象が発生する。1870年、第一バチカン公会議において“不可謬性を誇る”教皇の布告と“不可謬性を誇る”二つの公会議の布告が廃止に追いやられた。(注2)

 聖母マリアの被昇天の教理は、1950年11月1日にローマカトリック信仰の絶対的な教理として公式に宣言された。このことが意味するところは、カトリック教徒である限り、この教理を無条件で信じて受け入れなければならない!ということである。しかしながら、言わせてもらえば、マリア被昇天の教えは異端的著書に端を発しているし、原始教会は公式にその著書を認めていない。

495年、教皇ゲラシウスは、この教え(マリア被昇天の教え)は異端であり、その支持者は異端者であるとして拒否した内容の布告を発している。6世紀、教皇ホルミダスも、マリア被昇天の教理を説いた著者連中を異端者として非難している。ここでも“間違えるわけがない”教皇の教理を異端として宣言している。それから1950年11月1日、教皇ピウス12世(また別の“誤りなき”
教皇)が“マリア被昇天は事実である”との説をローマカトリックの公式見解として宣言している。当然ながらカトリック信徒はマリア被昇天の教理を信じなくてはならなくなる。(注3)

そういうわけで、1950年11月1日以前は、マリア被昇天を信じているカトリック教徒は異端とされていた。(“間違いのない”教皇の宣言によって)しかしそれ以降はマリア被昇天を信じないカトリック教徒が異端扱いされるようになった。 (教皇ピウス12世が “間違いのない” 手の平を返した内容の宣言をしたから)

1864年、教皇ピウス9世は“間違えることなく”人々が良心の自由とか礼拝の自由とかいう権利を持つことは、狂気であり、邪悪、堕落、神に見捨てられたものであるという考えを宣言した。彼はまた、カトリック教国に住む非カトリック教徒が公然と自分の信仰を実践するのは許しがたいことであるとさえ宣言した。1888年、教皇レオ13世はこれまた“間違えることなく”自由に物事を考えることや、自由に礼拝することは間違っていると宣言している。(余計なお世話であると考えるのは私だけではないでしょう。)これらの回状はウェブ上で閲覧できます。(注4参照)

第二バチカン公会議(1962-1965)は“信仰の自由に関する宣言”と題した文書をつくりあげ、その声明によるとすべての人々は信仰の自由という権利を持っているとしている。(注5)

今となっては、確かに信仰の自由という考えは当たり前であろう。しかしながら、教皇ピウス9世とレオ13世の“誤り無き”宣言は総体的にいうと、信仰の自由に矛盾している。そして信仰の自由といいながら、トレント公会議におけるアナテマの儀式、異端者の殺戮、宗教裁判、一般大衆向けに聖書を翻訳した人たちの火あぶり、プロテスタントの迫害の事実は、明らかに信仰の自由とは程遠いではないか。

信仰の自由は現代の聖典法(1988)とも矛盾している。1366年度の聖典によると、両親が子供の洗礼や教育を非カトリック的に行ったならば、その親は“ある特定の刑罰”をもって処罰されなければならないとある。洗礼に関して言うならば、洗礼はいわゆるキリスト教に帰するものであり、ローマ=カトリックのものではない。(注6)
(宗教裁判の時代、“ある特定の刑罰”には、拷問や火あぶりの刑も含まれる。宗教裁判は聖典法に基づいているのだ。) (“異端狩り”という記事を御覧なさい)
ここにカトリック教会は、ジレンマの角に乗っているという事がいえないだろうか?もし人々は信仰の自由という権利を持っているとカトリック教会がいうならば、カトリック教会も間違えることがあるという事を認めてしまう。しかしカトリック教会が間違えるはずが無いというなら、信仰の自由という権利を純粋に認めるわけにはいかなくなってしまう。

 カトリック教会は不可謬性を主張するか、それとも歴史上の誤りを認め今では信仰の自由を支持すると主張するのか。しかしどちらも違うようだ。
 
 歴史上の二つのローマ=カトリックの組織体に関して、第二バチカン公会議においての“誤り無き”教理上の宣言と、教皇ピウス9世のこれまた“誤り無き”教理上の宣言とは互いに矛盾しているといえる。(注7 これらの矛盾点を指摘する記事がウェッブ上にあります)

 保守派(カトリック正統派)は、それゆえ第二バチカン公会議は正統的なものではないと結論付けている。一方リベラル派(女性司祭を認めている)は、それゆえに教皇ピウス9世は間違ったことを説いたと結論付ける。どちらにせよ、
“間違いのない“教皇の公式教理の宣言と“間違いのない”公会議との間には、矛盾が生じるのだ。

 カトリック正統派が主張するところによると、ヨハネ=パウロ2世は、“過失無き”教皇と公会議が宣言した“過失無き”カトリック教理に反する教えを101も説いているらしい。正統派は、ヨハネ=パウロ2世が、それゆえ異端であり、聖典法によると合法的な教皇ではないとする。そういうわけで彼を反教皇と呼ぶ。(注8 ウェッブ上に記事があります)

 もしヨハネ=パウロ2世が、違法な教皇であるとするならば、教皇のイスは空位状態であるといえよう。この状況を打破する為に、正統派はある教皇を選出した。1998年5月20日、教皇ピウス13世が選出された。(注9 ウェッブ上に記事が載っています)

 そういうわけで現在、教皇であるとされる人物が二人いることになる。〜つまりヨハネ=パウロ2世とピウス13世なる人物というわけだ。同時代に教皇が二人いるということは、中世においては制限されていなかったようである。

要 約

 お互いに矛盾する“過失無き”教理上の宣言が存在するという事。それゆえ教皇の不可謬性という教理は、真理であるとはいい難い。“過失無き”教理がお互い矛盾することにより、カトリック保守派はヨハネ=パウロ2世を教皇と認めず、第二バチカン公会議は無効な会議であるとする現象が起こるのである。そのことはまた、カトリック=リベラル派がピウス9世は誤った教理を展開したとする原因となっているのだ。

以下訳者コメント
 要するに教皇や公会議を聖書の上に置くからこのようになるのではないでしょうか?プロテスタントだからいうわけではありませんが、やはり聖書を最高法規として判断基準とすべきだと考えます。
教皇といえども我々と同じ人間なのですから。間違えることもあるのです!
                                        以上

記事の活用について

 さあ勇気を出してこの記事をリンクしてください。公正に正確にされる限り、この記事から引用してくださってもかまいません。この記事をコピーして友人に差し上げても結構ですし、研究会で使用してくださってもかまいません。

注 釈

1.“カトリック教会における教理問答”(ワシントンDC:アメリカ=カトリック教議会、2000)891節
  この本は多数の版、言語で出ています。節ごとに番号がふってあるので、版が違っても番号をたどっていけば、声明を正確に読むことができます。サーチエンジンで検索も可能
  http://www.christusrex.org/www2/kerygma/ccc/searchcat.html

2.ウィリアム=ウェブスター、“歴史法廷におけるカトリック教会”(カーライル、ペンシルバニア:The Banner of Truth Trust,1995)63〜71ページ

3.ウィリアム=ウェブスター、“歴史法廷におけるカトリック教会”81〜85ページ

4.教皇ピウス9世、“Quanta Cura”(“ 誤りを非難する”)1864年12月8日、その“誤り”とはセクション3の第二節に
あります(もっとも数の多いセクションが一つの節のみから成っています、このセクションは二つの節に分かれます)、
 教皇の回状の残りの部分に述べられているあらゆる過失に関する非難が、6節にあります、この回状はウェッブ上で閲覧できます。
 http://www.pax-et-veritas.org/Popes/Pius_IX/quantacu.htm
http://www.catholic-forum.com/saints/pope0255e.htm
http://www.dickinson.edu/~rhyne/232/Six/Quanta_Cura_Both.html
 教皇ピウス9世“過失に関する要旨”、1864年12月8日、15,77,78節、それは回状“Quanta Cura”に添えられています、それを読む限り教皇ピウスは、それらの声明をすべて非難していることがわかるでしょう、
 この回状はウェッブ上で閲覧可能です
 http://www.geocities.com/papalencyclicals/Pius09/p9syll.htm
http://www.stthomasaquinas.net/encyclicals/Pius09/P9SYLL.HTM
http://www.reformation.org/syllabus_of_pius.html

教皇レオ13世、“Libertas Praestantissimum ”(人間の自由なる本質について)、1888年6月20日、42節、この回状はウェッブ閲覧可能です
http://fsspx.free.fr/en/popes/Leo_XIII_LIBERTAS.htm
http://www.saint-mike.org/Library/Papal_Library/LeoXIII/Encyclicals/Libertas.html

5.“Dignitatis Humanae”(信仰の自由に関する宣言)オースチン=フラナリー編集、“Vatican Council 2 ,The Conciliar and Post Conciliar Documents”新改訂版、第一巻(ノースポート、ニューヨーク、コステロ出版社1975年、1996年)799〜812ページ

6.聖典1366、“聖典法典”ラテンイングリッシュ版、新英訳(ワシントンDC:アメリカ聖典法協会、1988年)427ページ聖典法に合致している限り、ローマ=カトリック教会が公式になすことはすべて法的根拠があるとされる。宗教裁判、プロテスタントの迫害でさえも、聖典法により支持、弁護されてしまう。

7.“教皇ピウス9世の過失”、この記事を見ると、教皇ピウス9世の回状と第二バチカン公会議の文書を参照しながら、広範囲にわたって引用しているのがわかります。ウェッブ閲覧可
 http://www.womenpriests.org/teaching/piusix.htm

“第二バチカン公会議における最も重大なる過失に関する要旨”この記事はウェッブ上で閲覧できます
http://www.truecatholic.org/v2ecclesio.htm
ルシアン=パルバーマーチャー、“第二バチカン公会議〜信仰の自由の容認、異端の定義”、“Caritas News letter”より1989年8月19日、インターネット上に記事あり
 http://www.truecatholic.org/car8908.htm
8.パトリック=ジョン=パロック、“反教皇ヨハネ=パウロ二世の101の異端”
インターネット記事 http://www.truecatholic.org/heresiesjp2.htm

9.ルシアン=パルバーマーチャー、“コンクラーベ”、“Caritas Election News #1”
 インターネット記事 http://www.truecatholic.org/electionnews1.htm

Copyright 2002 by Mary Ann Collins.
E-MAIL: MaryAnnCollins@juno.com
www. CatholicConcerns.com
 
  -----------------------------7d58c3a202ac Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream