「後の雨運動、聖霊の第3の波に関して:ただ事実だけを与えよ」


更新日 2002年3月15日    レニー・ロドリゲス編、 訳:バルク

「ただ事実だけを与えよ」シリーズは、批評や解説を意図したものではありません。洞察の賜物を働かせて、本当に知恵を捜し求めるクリスチャンにとっては、事実そのものが彼に(本当の事を)語るであろうと信じます。

−ただ事実だけを与えよ−
・「顕示された神の息子、後の雨」の教えへの教会反応?
・「後の雨」は何を教えていますか?
・「顕示された神の息子」は何を教えていますか?
・これを教える責任がある人々は誰ですか?
・最近の「後の雨」の教えは今日、どこで見いだせますか、
・またそれを教えているのは誰ですか?

(編集:レニー・ロドリゲスによる)

第Uペテロ2:1,2
「しかし、イスラエルの中には、にせ預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現われるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。そして、多くの者が彼らの好色にならい、そのために真理の道がそしりを受けるのです。」

これは一世紀の教会における、異端の広がりの正確な叙述であり、ペテロは、偽りの教師たちが、現れ続けるであろうと警告していますが、これは今日カルトの偽りのクリスチャン宗派の成長において容易に見られることです。
最も興味深いことは、今日ポピュラーな異端は、教会の歴史を通して生じた同じ異端の単なるバリエーションであるということです。(訳注:同じ異端が単に形を変えて何度も現れてきたという意味あい)

この報告の中で、私達は「神の顕示された息子/後の雨」の教えを見るでしょう。
かつて教会は異端として「顕現された神の息子(MSOG)/後の雨」の教えをすでに非難しました。
1949年4月20日に、後の雨運動によって促進されている教義に対してアセンブリーズ・オブ・ゴッドは立場を決めました。
彼らの姿勢により、多くの会衆とメンバーの犠牲はあったが、彼らは自分たちの立場に立ち続けました。
総務会のエグゼクティブオフィスからの手紙の中で彼らは述べました:
どのような運動に対してでも真のテストは、それが神の言葉の光に耐え得るかどうかです。

すでに設立されたペンテコステ教会は、後の雨預言者と使徒によって教えられていたものの多くを、受け入れませんでした。そして彼らの会衆の中の多くの人々、数千人が教団を脱退しました。
多くの独立ペンテコステの働きはデトロイト・ミシガンのノース・バトルフォードブラザレンとマートル・ビオールによって生み出されました。1949年のアセンブリ教団は、この教えに直面しそれを非難した最初の団体でもなく、また、背教に対する(正しい)態度を取る最後の教団になるつもりもなかったでしょう。

これらは事実です。それは彼ら自身の評論と解釈です。
この報告書の目的は、この異端の教えが、もう一度今日浮上してきたという事実に対して読者に警報を出し、注意を促すことです。
(訳注:このかつてアッセンブリーズオブゴッド教団により否定された「後の雨の教え」は現在、
第3の波系の教会において大いに流布している)

それらは、「新しいことがら」という外観の下で、同じ古い名前と少しの新しい名前を使用しています。例えば、新しい使徒、宗教改革、預言的な現在の王国、ヨエルの軍隊、支配権神学(神の国支配)、勝利(凱旋)主義、勝利集団、初穂(最初の果実)、新しい種(人種)、息子であること、およびエリヤ集団などです。

これらの教えが今日、名の知れた教師たちによって提供されていますが、実際は、新しいものなど全くなく、(かつてと)同じく異端である、ということは事実です。

これらの教えを聞いたとき、気づかずにそれに捕らえられてしまうことのないために、改めて、私達はその事実を明らかにしなければなりません。

ホセア4:6 「わたしの民は知識がないので滅ぼされる。」
イエス自身が、マタイ24:24,25で、「にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。」と言われています。

1) 「後の雨」の教えとは何ですか?

アセンブリーズ・オブ・ゴッドの設立の前に、デイビッドウェスリーMylandは、1910年に、解釈の三つのレベルを記した「後の雨契約」という表題の本を書きました:三つのレベルとは、「字義どおり、典型・雛形的、霊的」解釈のことであり、人は特定の聖書のより深い意味を捜すべきである、と説いた。

このより深い意味とは寓話的・比喩的な解釈のための源泉です。それは後の雨教理のエンジンを動かし、後の雨リバイバルの火に燃料を供給することになります。
1949年にE.S.ウィリアムズとA/Gリーダーシップがまさしく指摘したように、後の雨の新秩序は本当は新しいものではありませんでした。40年代半ばの間に、大きな期待が促進されていました。神が、新しいことがらのために何かをしようとしているとされました。1946年に、ある本がペンテコステ派の間で広範囲に及ぶ多くの人々の人気となりました。それは一般的になっていた「新しい日への期待」に貢献しました。

それはフランクリンホールによって、「断食と祈祷による神と共なる原子力」と呼ばれました。それを受け取ることができた人々、断食して祈る人々を待ち受けているものは、祈りが答えられ、しるし、不思議、不滅、および重力からの解放さえ与えられるのだ、とされました。
1947年に、ジョージ・ホーティン(ペンテコステ牧師であり孤児院とバイブルスクールの校長)はバンクーバー、ブリティッシュ・コロンビア州で開かれたウィリアム・ブランハムの集会に出席しました。彼と、彼の兄弟アーネスト、およびパーシーハントはカナダのペンテコステアセンブリを去りました。彼は何人かの学生と教職員とともにブランハムから按手を受け霊的分与を受け取りました。

1948年7月までに、ホーティンのグループは、「新しいことがら」の一部となるために、米国、カナダ、および世界中から数千人を引き付け莫大なキャンプミーティングを開催しました!
その後すぐに、後の雨の新秩序は世界的な現象となってゆきました。

アセンブリーズ・オブ・ゴッドの執行部長老会は、書記長、J.ロズウェル・フラワーに権限を与え、彼は公的および、私的なミーティングに出席し、この話題についての多くの記事と小冊子を熱心に読み、録音された記録を聴き、後の雨の指導者と話し、また文通し、1949年の春に、次第に大きくなっている問題に対処するための特別な6ページの手紙を準備しました。

総裁E.S.ウィリアムズは、彼が1906年と同時期にアズサ通り運動において観察した残念な前例を引用しました。
彼の言葉にいわく、いかなる場合に於いても、この新しい教えが、どこで導き始めるかを知ることは、私たちのだれにも洞察できなかったのでした。私達は、この40年の間、災害に会うたびに、別の時にそれが繰り返されるのを見てきたからです。

1949年シアトルで開かれた総会で後の雨の新秩序の教義に不賛成の決議案が採択されました。
短い討論の後、それが圧倒的多数によって採択されたことをその協議会の覚え書きは記録しています。
決議は当時明らかに最も多くの影響を与えている、以下の問題を扱いました。

1. 分与、識別、賜物の授与と確認、按手と預言に関連する過度の強調。
2. 教会が現代の使徒と預言者の基礎の上に構築されるという誤った教え。
3. 人に向かって罪を告白すること、実際に救い出すなど、キリストにのみ属する事柄への人間の特権的仲介を主張する新秩序の極端な教え。
4. 宣教者の奉仕についての特別装備としての語学の才能の分与についての誤った教え(異言が話せれば
外国語を話せるので、語学の勉強は不要との教え)。
5. 言の賜物(知恵、知識のことば)によって個人的な導きを分与したり課すこと、極端で、聖書に反する実行。
6. 一般に私達の間で認められた教えと習慣に反対する歪曲され歪められた聖書解釈。

上記4以外の全ては、現代(行われている第3の波系の)後の雨リバイバルにおいて現存しています。

後の雨リバイバルは、その周辺に数項目の主題があります。

(1)5職の回復(エペソ4章)、(特に使徒、預言者)これらの人々は、現代の真理と呼ばれている事柄を、或いは今日聖霊が何を語っておられるかとの指示を提供します。かれらにより語られた言葉は聖書と同等の権威を帯びます。

(2)完全なキリストのからだの一致が重要な強調点でした。(訳注:したがって、エキュメニカル推進となる)この考え方による、使徒、預言者の新秩序が、教会を結び合わせ、キリストの体を完成するのです。勿論、使徒、預言者という指導者の周辺においては、既成の教会の構造と選ばれた指導者に取って代わる予定の新秩序がそれにあたります。従って、当然、これらの教えへの追従者はすべてまさしく反教団であり反組織的な人々でした。
教団主義はバビロン捕囚であると見なされ、後の雨によって影響された教会の次の支配者はこれらの教団を壊して、無所属教会にし、その多くは新しい使徒による「みからだ」の中に入ります。
現実的に言って、各地域の長老会によるアセンブリーズ・オブ・ゴッド聖職規定さえその価値を下げられました。(彼等によりあまり尊重されなくなった)任命された者が働かせるべきである特定の働きと賜物の預言的な任命に全然関係していなかった按手だったからです。これらの使徒と預言者は地域の会衆の中でさえ強力で、尊大でより高い地位を装いました。
(3)個人預言の回復
(4)按手による霊的賜物の分与、または伝授、聖霊の分配、癒し、バプテスマ

総務会の行動は「後の雨」運動の継続を阻止しませんでした。
新秩序の教えは、ダルースとヒビング(MN)、ホーネルNYなどのポケットと同様に、デトロイト、セントルイス、メンフィス、オクラホマシティー、ボーモント(テキサス)、タコマ(ワシントン)、ポートランド(オレゴン)などで強力なセンターを形成しました。「後の雨」は生き残り、過去40年の間に起こされた他の運動に影響を与えました。

中でも最も注目すべきは、救いと癒しのリバイバルでした。様々の癒しのミニストリーがこの教義を取り上げました。AA・アレン、ウイリアム・ブランハム、ジャック・コウ、その他です。A/G白書の中の過去に規定された問題の多くは、後の雨教義の中にそれらの根を持っています。
この川はカリスマ的な運動、言葉/信仰運動、道案内運動を通してブドウ園の中に流れ込み、カンザスシテイー預言者の間で積極的なものとなり、トロントリバイバルにおいて公然たる表われを見出しました。時間は、この川と一緒に来たすべての奇妙な茂みを扱うことを許さないでしょう。
しかし、私達が確信をもって知っていることは、この同じ川が ブラウンズビルを通してアセンブリーズ・オブ・ゴッドを再汚染したことです。
(訳注:かつてアセンブリーズ・オブ・ゴッド教団において否定された「後の雨の教え」はブラウンズビルを通して再度この教団に潜入したという意味あい)

現代の指導
復習しましょう。アーン・バクスターは(一般的に1970年代のフォート・ローダーデールにおける5人のガイドリーダーのうちの1人として知られています)、ウィリアム・ブランハムの秘書であり、1949年から1953年に彼と幅広く奉仕しました;彼はカリスマ的なリバイバルにおいて広く知られました。
1975年に、彼はフロリダ、フォート・ローダーデールにおける教会成長ミニストリーと密接に関連しました。ミズーリのスプリング・フィールドのビル・ブリトンは、後の雨信仰と実践をカリスマ的な運動に至らせる最も突出した働きをした一人です。
ポール・グラッブによって指導されたテネシーのメンフィスにおける信仰寺院においてビル・ブリトンは集会を通して1950年5月に後の雨に入りました。
来賓講演者は、フレッド・C・プールでした。彼は手をビルの上に触れて、彼が福音伝道者、またよいニュースの出版者となるであるであろうと預言しました。
ビル・ブリトンは80年代半ばに死に、彼の人生を通して、多くの文書を世に出し、運動に寄与しました。

ジョセフ・マトソン-ボウズとジェラルド・デルスチン:
ロゴジャーナルは、カリスマ的リニューアルの最も広く流布した雑誌のうちの1つであり、出版物から成長し、「信仰/収穫の時のヘラルド」はジョセフ・マトソン-ボウズとジェラルド・デルスチンにより編集されました。マトソン-ボウズは1948年の後の雨リバイバルにおける役割を果たし、ジェラルド・デルスチンは、1948年の後の雨とのいくらかの接触を持っていたJ.プレストン・イービと共に数年の間関係しました。
オズにおけるカリスマ的なリバイバルの最も突出したリーダーの1人は、ジョンプールであり、ここにおける主要な「後の雨」教師でした。
1970年代初期のジョン・プールは、「新しいワイン」(カリスマ的なリバイバルの最も重要な雑誌)の中に度々書いた寄稿者でした。ジョン・プールは、40年代に後の雨運動と緊密な関係のあったフレッド・プールの息子でした。

ジョージ・ワーノックは1948年にダビデ礼拝の幕屋の概念を取り上げました。
彼は「幕屋の宴会」の作者であり、これは後の雨運動の中から生まれた中で最も有力な本の1冊であり、1948年のリバイバル直前、それに先がけて2〜3年の間アーン・バクスターの秘書として活動しました。

エリック・シミラ
1975年のアーン・バクスターの秘書。ジョージ・ワーノックの協力者で、アーン・バクスターにとって「テモテ」となった人物。カリスマ的リニューアルにおいて広く知られるようになった。ワーノックは、今まだ健在で、今日西カナダに居住しています。

ビル・ハモンは、リバイバルにまでさかのぼらないが、しかし後の雨のオリジナルな教義と霊を維持するフロリダの預言者の学校を設立しました。
彼の本、永遠の教会のある章にビル・ハモンは「カリスマ的な運動」--後の雨運動の拡張という表題を付けました。また、「永遠の教会」において、私達は、MSOG(顕現された神の子)の教えに関連して、彼がこう述べているのを見ます:

「主の軍隊の回復的な進歩が、聖別を維持する責任とその真理の力を与えられる教団の砦を設立しました。新メンバーは現在選抜され、訓練されていて、より年長の兵士と将軍たちは教会軍の次の進歩のために強められたトレーニングを通らせられています。彼らは火のバプテスマによって清められています。
用意できていますか?
どこから始めますか?
何をしますか?
新しい政府が設立されなければならないこと、それらの数百万人の人々のための新しい生活様式。あなた方は現在、勝利者たちの王位について、支配し、君臨する用意ができています!」

では、この先何があるのでしょうか?神の顕現の息子。ビル・ハモンは同じ本の385ページで、そのことを描き出しています。

「地球とすべての被造物は、神の子どもたちの顕現、彼らが円熟と不滅に入る時を待っています。教会がその時その完全な相続と贖いを受け取る時に、被造物は腐敗、変化、および死の呪われた状況から贖い出されるでしょう。教会は被造物の残りに対して責任と奉仕を持っています。地球とその自然の被造物は、、教会が完全な円熟に達し、完全な息子となることを切望し待ち望んでいます。教会がその完全な息子であることを実現する時に、そのからだが贖われることは被造物のすべてにわたって贖いの連鎖反応を起こすでしょう。」(パラダイム・シフト)
 
 

ポール・ケインは、カンザスシティ預言者の中のリーダー、および年長者預言的な権威で、ウィリアム・ブランハムの前の仲間です。ポール・ケインは、知恵知識のたまものとして人々の人生、隠された罪、および彼らが秘密に話した事さえその詳細を人々に話す能力を示しました。ケインは主の恐怖と高く評価されています。彼が奉仕する場所で、電気のパワー急増が起こると報告されています。カンザスシティ預言者は一時ビンヤード運動に行き、ビンヤードと現在のリバイバル運動の両方の上で強い影響力を主張しました。

後の雨信仰をアセンブリーズ・オブ・ゴッドの中に働かせることにおいて有力であった二人の人物はジョン・ウィンバーとC.ピーター・ワグナーです。
彼らは教会成長コンサルタントとして国中いたるところで私達の教会のにおいて歓迎されています。
以前クエーカー教徒でありロックギターリスト、ビンヤード運動の創立者、ウィンバーは、西洋的ロジックで考えることから離れて、東洋的考察のもっぱら経験的な方法へのパラダイムシフトを公然と主張します。
彼はまた、最初の世紀におけるセム系の人々は仮定から結論に至る議論をしなかったと主張します;
彼らは合理主義によってコントロールされていないというのです。

これは非常な誤りであり、有害な論述です。
歴史的に不正確であるだけではなく、それは論理を中傷し、奇跡の否定と聖霊の超自然な働きを冒涜する(不健康な)合理主義とクリスチャンにとって必要な洞察を行使する(健康的な)合理主義との違いを識別することに失敗しているカリスマ運動の中の典型的な重要な混乱を示しています。
最初の世紀における究極のセム人はおそらく主イエス・キリストでした。
それでも、彼の敵対者を粉砕するために、彼は継続的に最も破壊的なロジック(論理)を使いました。
今日ほど、健全な精神が教会の生活において必要な日はありません。

ジョン・ウィンバーは、彼の最近の死まで、どのように奇跡をするか、そしてどのように予言するかを教えて、そのようなセミナーへの出席に対して料金を請求しました。
そして、ビンヤードはいまだに、テクニックのいくつかを使っています。たとえば、神がどこで働かれるかがわかるように、体が熱を持つ部分を感じるべく、その人の手をゆっくり前後に数インチずつ移動させる、あるいは、その人の心を空白にさせ、起きて来るどのような考えでも話させて、オカルトにドアを開きます。しかし、聖書における預言者は決してテクニックを学びはしませんでした。

C.ピーター・ワグナーは、彼の集会の中で、根本的な主題は、この話し合いをコントロールするであろうし、経験(起こっている出来事)が先行する主題が、神学を生み出す、逆ではない、と言いました。

私達はアセンブリーズ・オブ・ゴッドにおいて一度もこれを信じたことがありません。
私達は、すべての神学が御言葉の中にその根を持たなければならず、いつも、御言葉によって検討されなければならないと信じていました!

ワグナーはウィンバーを自分の師と呼びます。
ウィンバーは、自分たちは神学を開発することができるように、自分たちの経験のすべてをカタログに記載しています、と言いました。

最近、C.ピーターワグナーは脱教団教会(教団教派にたたない教会のこと)の全国的なシンポジウムを召集しました。ゴールは、教団に代わる組織を建て上げ、設立することであり、21世紀の教会のための構造を提供することです。

もちろん、新秩序の中では、使徒と預言者がこのカリスマ的な合併の新しいリーダーになるでしょう。この種類の活動は1940年代の後の雨教えのページからストレートに関係しています。
E. S.ウイリアムズ、J.R. フラワーとR.E. マクアリスターはこれらの問題に上書きしました。文書資料はA/Gアーカイブで見つけられます。

一つの川:
後の雨は、簡単に提示できません。
それは複雑であり、さまざまな間違いから成り立っています。
それは偽りの教義のごったまぜ料理を提供しています。
様々なグループはそれぞれ誤りの別の部分を強調します。
しかしどれにおいても、聖書の寓話的な翻訳、使徒と預言者がいること、および彼らの反体制な霊など、いくらかの共通性があり、彼らを統合している傾向があります。

この川を降る信仰システムは実質的には1940年代からそのままです。現在は「後の雨」ということばはほとんど使われず、多くの人はこの用語を認識さえしない状況ですが(しかし語られている)、教義は事実上同じものです。それは単に再パッケージされ、再包装されているだけなのです。「川」という用語はこのリバイバルを示す最適な図です。この川の上流にあるものは何でも必然的にその下流へと進ませられるでしょう。
「リバイバル」という用語は受けいれる心のドアを開きます。
ラクダがテントのフラップを通ってその頭が入るならば、その体全体が結局入り込みます。
後の雨預言者の特有な教義は簡単にリストすることはできますが、それらには多種多様な変異があるため、若干困難を伴いはしますが、今日の数百に及ぶカリスマ的なグループを追跡研究することはできます。
これらは以下を含みます:

1. 後の雨理論そのもの。
2. エペソ書4章の「五職の働き」の回復。
3. 神の顕示された息子。
4. 「王国は今」終末論(最近「再建主義」による影響も受けてきている)
5. 道案内の弟子訓練の方法。
6. 積極的な言葉の告白、「創造的な話された言葉」。
7. 按手による「賜物の分与」。
8. 他の教会を抱き込もうとするために長老チームの巡回旅行をする。
9. 統一を促進するための反教義主義
10. 種の信仰テクニック。
11. 個人と教会の両方をコントロールし、影響する指示的預言。

(訳注:すなわち、以下のリストに示された教理を強調、教示する教団、教会は
皆、後の雨運動にその根を持っている、影響されているといえる。)
 

以下は、後の雨教義を構成しているものの簡潔なアウトラインです:

置換神学 - 教会はイスラエルにとって代わります。
例えば、神が彼の聖霊を与えられたゆえ、「後の雨」はエゼキエル37章の死んだ渇いた骨を、教会、すなわち新しいイスラエルと考えます。
その結果、イスラエルはもう果たすべき主要な役割を終わりの時のシナリオの中に持っていません。

前の雨 - 後の雨教義は、新約のペンテコステは「前の雨」であり、まだ来るべき「後の雨」を残している、と教えます。

「後の雨」:
- 後の雨教義:
ペンテコステが「前の雨」と考えられるので、幕屋の宴会という教会の後のお祝いにおいてのみ後の雨は成就するのです。それはヨエル2:23の「後の雨」としてペンテコステに取って代わります。

幕屋:
- 後の雨は、この宴会のお祝いは以下の段階を成就すると言います:
統一、「後の雨」リバイバル、収穫、教会の敵の打ち破り、王国の設立。
幕屋は喜びと楽しみの収穫感謝祭として霊的に理解されています。従って、それは現在の笑い現象にたとえられます。またそれは、キリストが個人に内住された時のペンテコステと対比され、統合体に内住するためのキリストの不可視的、霊的再臨と考えられます。
統合体に内住するためのキリストのこの到来は、現在「新しい真理」を通して表現されています。神は、ヨエルの軍隊を「引き起こす」彼の教会を、神の国を導き入れるための手段として満たしています。

回復:
- 後の雨は使徒3:21の回復の概念に基礎を置きます:
すべての物が回復されるまで、イエスは戻ることができません。大きな必要は五職の働き人(エペソ4:11-12)の回復であり、特に使徒と預言者の職。
これらは聖徒の完成をもたらすでしょう。

啓示:
- 後の雨の使徒と預言者の新しい進歩的な啓示により、聖徒が罪のない完全の状態に到達する。聖書は寓話化された理解とするか、霊的に解釈されます。
教会の進む方向は、これら「新しい、神聖な真理」を通して供給されます。

不死、不滅:
- 後の雨は、聖徒が完全にきよい状態に到達する時に、死が滅ぼされると教えます。
彼らは、キリストが戻る前に、受肉するキリストによって不滅を達成する顕現された息子(ローマ8:19)です。しるしと奇跡は、神の顕現された息子によって実現され、栄光ある世界的な終末の収穫を引き起こすでしょう。

統一:
- 神の顕願された息子、という団体的な人々はヨエルの軍隊として知られています。
キリストは分割された「からだ」の中に受肉することはできないので、グローバルな教会の統一は、後の雨教義にとって絶対に必須事項です。

終末論:
- 後の雨教義においては、教会が諸々の天における悪魔のような軍勢の能力を剥ぎ取り、それに取って代わるまで、イエスは肉体をもって戻ることはできません。
戦闘は事実上領土です。
死に打ち勝ち、最後の敵である死を含むすべての神の敵が破壊され、地球が彼の足のための足台にされるその時まで、ヨエルの軍隊のメンバーは君臨するでしょう。
艱難時代とは、神の国を設立するために、顕現した息子が神の審判を実行し、悪から地球を浄化する期間であるとして置き換えられます。
 

(訳注:このあたりは終末に関する聖書の健全な教えを全く変質させたものとなっている。
聖書は、明らかに終末の日にみことばについたため、艱難を受ける、小数の聖徒達について語る。
黙示録を書いたヨハネがみことばの為パトモス島へ流されたことは、その象徴である。
しかし、後の雨教理はこの艱難時代に関する聖書のみことばを全く書きかえて、怪しいリバイバルに浮かれ、霊の戦いなどというたわごとにだまされた、
圧倒的多数のクリスチャン達が、「みことばに最後迄忠実な小数の人々を」頑固な古い世代、反キリストの霊にやられた人と罵倒し、攻撃する日のことだと言い換えている)

後の雨はキリストの再臨、ミレニアム、およびミレニアム以前の携挙教義についての古典的な理解を割引きます。(変質させます)

表面的な信仰:
-宗教的「古い世代」である「古い道」を固守し新しい教えを拒絶する教団のクリスチャンは、「土地を所有するために」に中に入ることはできず、また「(聖徒の)完成」にも到達しません。

後の雨によると、ヨエルの軍隊がこの時代に諸々の天から君臨する一方、これらの人間は「艱難時代」の期間に滅ぼされることになります。現在進行中のキリストの受肉化をした、顕現した息子は、「悔い改めること」を拒絶するすべての人を滅ぼすことによって神の敵を審き、教会を浄化する力を持つでしょう。

(訳注:ここでいわれている教理は、キリストの2度にわたる再臨のうち、最初の時は、目に見えない
霊として、再臨する。そのキリストの霊を受肉する顕現した息子とは、現代売り出し中のピーターワグナー、ベニーヒン等の使徒、預言者のことであり、彼等は地上におけるキリストそのものの様な権威を帯びる。
彼等に従わない者は反キリストであり、滅ぼされる:というトンデモ教理)

進化:
- 後の雨教義は、キリストの肉体的な再臨の前には、地上において彼の王国が設立され、彼の霊を受肉化できるポイントにまで、教会が円熟する様進歩しなければならないと仮定します。
しかし、聖書は、キリスト教徒は「キリストにあって、満ち満ちている」コロサイ書2:10と語ります。それは、私達が彼の中で完全であることを意味しています。
私達は、新しい人生に歩き始めることだけが必要なのです。
(Compiled By Ed Tarkowski http://www.ncinter.net/~ejt/LatterRain1.htm)

2) 顕現した息子とは何?

以下が関係しています。
  ヨエルの軍隊、人の子の集団、新しい種、息子たち、勝利者たち、支配権神学、王国は今、王国メッセージ、凱旋主義、エリヤ集団、歩行、− 回復、再建主義、カリスマ・リニューアル、道案内、弟子訓練、積極的告白、御言葉信仰、ギデオンの軍隊(おそらくこれ以上多くのもの)
関連するみことばは以下;
「なぜなら被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われ(顕現された息子)を待ち望んでいるのです。」(ローマ8:19)

統治主義の神学とは、終わりの時に神は、キリストの敵を破壊する特別なリーダーたちを造り出す、彼等は世に打ち勝ち、世界中を神の国に導くパワーを達成する、という信仰です。主要なペンテコステメッセンジャーの何人かの説教の中にはこの要素があります。

このビジョンのひとつのバージョンは、世界支配をサタンの手から取り、奴隷を奪うために超自然のパワーにより武装される顕現した神の子(ヨエルの軍隊として時々知られています)について述べています。これらの人々は(現在完全な息子であることを達成した人々)彼らの完成した新しい王国組織を持つでしょう。そして、彼らは、神々のように地球を横切ってまたぐことができるでしょう。

彼らは王国を道案内し、教会を完成する、、彼らの成功が体なしで頭となるまで、イエス自身を完成しさえします。

MSOG
後の雨は教会の中の同じエリートグループに関して、上記の名前に加え、更に多くの名称を与えます。彼らは、地上で受肉したキリストであり、頭であるイエスの地上の彼の体としてキリストと等しいと考えられます。彼らの教えは、キリストがが教会に来る前に、まずキリストが教会の内側に来なければならない、というものです。
この教えは、教団と伝統的な組織の分裂が起き、教会の中で内戦と、流血(フィニアス司祭職)に至るまでの裁きが起きる、このリバイバルを受け入れない人々に対しての審判があることを想定します。
彼らはキリストのために世界を引き継ぎ、世界のほとんどは(彼等の)教会の支配の下へと来る様になるでしょう。

1948年の後の雨といくらかの接触を持ったJ.プレストンイービは、同時代の後の雨教師として生きました。
自分達の動きを次の3番目の流出の準備がなされた人々と規定することにより、彼は自分達の任務を要約します。聖霊のこの3番目の大いなる仕事は、呪い、罪、病気、死、および肉欲から解き放つ完全な贖いに人々を案内することです。

ヨエル書2章の寓話的な解釈に基づきイナゴとは、教会戦士(ヨエルの軍隊)であるとみなされます;
黙示録12章における女性は、鉄のむちによって国家を支配するエリート「人の子集団」を生み出す教会のことです。
教会とイエスはキリストの一部として等しいものです。
イスラエルについてのすべての旧約聖書の預言は教会に適用されます。
キリストの支配についてのメシヤの預言の多くは教会に適用されます。

(訳注:サタンの目的と働きは、キリストの栄光を隠し、
それを輝かせないことですが、キリスト教会の歴史において、
キリストの栄光を奪い、すりかえるため、あらゆる物がその代用として、
用いられてきました。マリヤ、法皇。またルター、カルビン、ウエスレ、ビリーグラハム
等の器崇拝。そして、教会時代の最後には、教会さえ、キリストの栄光を隠すべく、そのかわりに
持ち出されて来ます。また教会の頭として怪しい、ピーターワグナー、ベニーヒン等の
使徒、預言者がキリストの栄光を隠すべくしゃしゃり出て来ます。)

ブラウンズビル、A/Gでこれらの意見を宣伝する預言者リック・ジョイナーは、「地獄の大群が行進している」と題された7ページの記事を書きました。
この教義を支える賛美が多くのリバイバル教会においてポピュラーに用いられています。

その中には、「シオンでトランペットを吹き鳴らせ」と「私と一緒に乗りますか」があります。最初のものは、教会をヨエルの軍隊として描写します。2番目は、彼らが征服する(支配)時に、彼の教会と共にこの国を馬で横切るイエスを描写します。ところで、イエスが白い馬に乗ってアメリカを横切るなどという箇所は、聖書のどこにあるのでしょう?

神の顕現息子の教えへと一致する、キリスト教の三つの別のレベルという、ある種のグノーシス主義信仰がここで話されます。

すなわち、30倍の(栄光化した?)キリスト教徒(義)、60倍のキリスト教徒(聖化)、および百倍のキリスト教徒(栄化)がいます。
長い間メンバーであった者の説明によると、30倍のキリスト教徒は、「単に」救われている人々であり、60倍のキリスト教徒は、異言で話す人々、聖霊のバプテスマを受けた人々であり、百倍のキリスト教徒が、勝利を得た人々、神の顕現した子である。このエリートグループの中にいる者のみが神の息子でありキリストの花嫁と考えられています。
キリストの再臨に先がけて、これらの人々が「栄化されたからだ」の中に完成されることが要求されます。その完成は、彼らがイエスのために地を征服することを可能にするでしょう。
この教義の提案者はまた、「神性」を持っているキリスト教徒が「神」になると主張します。
彼らは、キリストが「種」として私達に入り、「預言者」に成長すると言います。
従って、キリストは物理的に戻らず(再臨せず)、私達の中に(霊的に?)戻ります。
携挙、すなわち、携え挙げられるという信仰は、この教義によると、悪い考えとなり、正しい信者の考えではないことになります。

この教義はまた、イエスは共同体の教会のための型(パターン)として遣わされたという考えをも含んでいます。(共同体教会とは、文脈上、教会がキリストになることを意味します。
彼がその頭であり、私達がそのからだであるので、キリストは私達なしでは完全でないと考えられます。)
現在この見方を持つ教会は「反キリストの霊」を持っています。
この教えは、グノーシス主義と類似しています。この教えは今日の疑わしいリニューアルとリバイバル運動(例えばポール・ケインによるもの)のいくつかにおいて促進されています。
(弁証学インデックス)
 

最も初期のMSOGの教えについては、以下で見つけることができます。

バシレイデスによると言って、ハブドマスの統治者は出エジプト記について話しました:
「私はアブラハム、イサク、およびヤコブの神であり、私はそれらに神の名前を明らかにしませんでした。」と。ローマ書の中で、パウロは書きました:
「被造物自体がうめいて陣痛の苦しみをしつつ、神の子の顕現を待っている。」彼らが、グノーシス主義者になった時、これら顕現した神の子は真理を知る者になり、真理の霊が天からの息によって満たした時、それに気づかない魂たちを天の秩序に導き入れることができ、彼らを完成への道に連れて行けるようになる。

霊的な教師として知られているところから落ちはしても、バシレイデスの生涯には歴史または伝説として認識可能な軌跡が残されていません。

サマリア人の魔術師シモンは、初代教会においてその最高の敵として指摘されました。
エイレナイオスによると、彼の最初の弟子とサマリア人仲間、メナンドロスは「魔術的な芸術(アート)の頂点」をも達成しました。
 
 

霊的なバプテスマを通過することができた人々に対して、彼の本物の魔法または魂の知恵は意識的な不滅を約束しました。それは知ることのできない最初の力の下のすべての天使と主権への繋がりを洗い落とします。
メナンドロスはアンティオキアのサトルニロス、およびアレクサンドリアのバシレイデスという2人の主要な弟子を持っていました。
バシレイデスはアレクサンドリアで生まれたと伝えられ、一時ペルシャ人の間で説教していたとも言われているが、AD130年ごろ彼の人生の全てを、彼の出身地で教えることにささげました。彼と同時代人アレクサンドリアの住民でもあった、バレンチノスとは違って、バシレイデスは、あらゆる方面から彼のところに来た人々を教え、勧めることを好み、弟子の学派を設立することはしませんでした。
彼の唯一の同一視可能な弟子は彼の息子イシドロスでした。
彼の「エシカ」(Ethika)には彼の父の形而上学の倫理の労作を含んでいました。
バシレイデスの教えは神智学とニューエイジの教えの中に今日残存します。
 

彼らの「自身のことば」から:
次に、私達は(これらの教義を教える)教師自身の言葉におけるこの教えを見てみます。
よく繰り返されるものの中から、私はほんのわずかの用語を選びました。これらからこの教理の考え方を理解できるでしょう。

ローマ人12:2にある、「変えられる」と翻訳された同じギリシャ言葉は、マタイ17:2で、聖なる山或いは「変貌山」でイエスのからだが変わったことと関連されています。従って、私達の体が、また変貌するか、変わることになっていると考えることは妥当です。実のところ、これは、幕屋の宴会の中心的意味であり、なぜ私達が最も神聖な場所に入るかのまさしくその核心部です。(ヘブル書10:19,20)
第一に、使徒として、パウロはローマ書12:2で「この世と調子を合わせてはいけません。」と書きました:私達は、一人一人が死ななければならず、或いはイエスが来られて直ちに私たちの体を変えられるというこの世の信仰(特に宗教の世界)を後ろにして、これから離れなければなりません。
宗教の世界は、私達すべてが死ななければならないことを、ヘブル書9:27を示して、人が一度死ぬことが定まっていることを教えています。これは真実であるけれども、私達の老人は死にました。彼はキリストと共に責め苦しめられました。それは老人または肉欲の人の死でした。神を讃えます。彼は死んでいます!
(ベニー・スキナーの新しい創造。福音の恵みミニストリー)
 

息子であること
息子であることとは、何ですか?
天的な破れが無限の世界へ。神の子の顕示

息子であることとは
超重力の力
限界(制限)の無い
無限のビジョン
無限の知識
無限の油注ぎ
無限の栄光
無限の空間移動
無限の権威
すべての自然界は従う
聖徒の中にある栄化されたキリスト

最後に、子どもと共にいる女(教会)が、出産のために旅をしており、産みの苦しみをしていると聖書が語っています。(黙示録12:2)

そして、「女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。」(黙示録12:5)

女は、力ある勇者、大人に成長した息子、「人の子」を出産したのであり、赤ちゃんをではない。それから、彼女は、神が備えた場所、荒野に逃げた。

神は、艱難時代の間、教会を「携挙」するのではなく、彼の教会を守るのです。
天で戦いが起こります。

10節「そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。」

良い知らせ:
「人の子」は神の息子たちで、最後の時代に出て行って、この長年の戦いの終わりにサタンとその悪霊どもを投げ倒します。
神の息子たちは戦いに勝利します。兄弟たちを告訴するものは、投げ落とされました。小羊の血と息子の証の言葉によって、女、すなわち荒野にいた教会に偉大な勝利をもたらします。私たちの敵に大いなる打撃となります。

これこそがすべての被造物が待ち望んでいることである、とパウロは言うのです。

「被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。」(ローマ8:19)
これが、栄光に至る最終段階です。息子であることのメッセージです。

父なる神は彼自身の子供達を受け入れます。子とされる霊は、聖徒に、またこの時代の終わりに臨んで、解放されたいと期待している者に、約束されています。

あなたがたが受けたのは、養子にする霊、子としてくださる御霊を受けたのです。(ローマ8:15)

ここに考えなければならない事があります。この世界にあって、私たちは、私たちの直接の家族の外でのみ、養子を受け入れています。一方神は、彼の直接の家族の中からその養子を受け入れます。ヘブル人にとって、養子とは、「息子として据える」という意味です。

ユダヤの儀礼
ユダヤ人たちは、30歳で成人男子になる時、美しいセレモニーをします。ファンファーレと同時に祝いの行事、音楽、ダンス、そして式典が、装束を身に纏った祭司がその男性の前に立って執り行われます。最高の装束を身に着けた男性の父親は彼の背後に立ちます。
親類たち、関係者と同じ町の住人は、じっと見ています。若者は祭司の前で跪きます。そして祈祷が捧げられます。歌が歌われ、若い女性たちは輪になって踊ります。彼らの旗が風にはためき、神、ヤハウェは間近におられます。

その後、宣言があります。「これは、わが愛する息子、わが心の喜ぶ者である」父親は彼の手を息子の肩の上に置き、口づけし、その時、子どもは、息子になったのです、30歳で、今の父親によって、同じ特権と責任とをもって受け入れられ(養子とされ)ました。最早家族の名を用いること、取得、主要な決断について、許可を得る必要はなくなりました。
父は彼を信頼します。彼の子は、「息子であること」に入ったのです。彼は、この時、受け入れられ、「息子として置かれ」ました。式典終了後、音楽が流れ、夜になるまで続きます。

イエスも、息子として受け入れられました。
イエスはヨルダン川の中に立っています。それは聖書全巻の中でも、最もよく知られている光景です。ヨハネによって、バプテスマを受けようとされているところです。

「こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」(マタイ3:16、17)

父なる神は、今まさにイエスを受け入れたのでした。

30歳の時、イエスはユダヤ社会の成人になられたのでした。そして、無限の油注ぎによって彼の公生涯のミニストリーに入られたのでした。ヨハネは、聖霊が天から下って、彼の上にとどまるのを見たと証言し(ヨハネ1:33)、彼は神がイエスに聖霊を無限に与えたと語っています(同3:34)。これが「息子であること」
無限の油注ぎによって奉仕し、聖霊があなたの上にとどまる。聖徒達よ、その日は来ようとしている。

ヨルダンでの日以来、イエスは3年間の歴史に比類無い宣教を彼の人々の間で始めました。
彼は、父である神から受け入れられた多くの息子たちの間の最初の息子でした。彼は「典型的」な息子で、私たちの先駆けとして幕の内側に入られます。(ヘブル6:20)私たちが後に続くようにと。私たちは続かねばなりません。息子であることの中に。
(リン・ライデンアワー著「栄光への階段」、息子についてのエッセー。リン・ライデンアワー、ワインプレス・ミニストリーはオザークの近く、ミズリーの中心で成長した。バプテスト公認牧師を36年以上務める。リンはモルモンの書物も読み、驚くべき改宗者が回復の福音に来た、とヨセフ・スミスによって宣言されている。)

人の子:
「人の子」とは誰ですか?
私達が霊的または比喩的な解釈の前に、聖書的な釈義の説教学理論は、自然に最も明らかで文字通りの翻訳を捜すでしょう。
ですからそこから始めると、私達は、これが子供または人々のグループの代わりに1人の子であることを認める必要があるかもしれませんが、必ずしもそうとはいえないでしょう。
キリストの再臨が「共同体のイエス」、または、彼の体としての私達すべての再来という意味であると提案されています。
また、「人の子」とは、エリヤまたは来るべき預言者とも考えられていましたが、これとは全く別問題だということが分かるでしょう。その「人の子」とは、支配するために立てられる者です。イエスは、支配者であるべきなのに、ご自分をむなしくして私たちの僕として来られましたが、終わりの時には、その支配が来るでしょう。

さて、「勝利を得る人」とは誰でしょう?世界中の国々への力を与えられている彼とは誰でしょう?彼の仕事を最後まで遂行するのは、たった一人の人なのでしょうか?或いは、その仕事をすることは、誰でも行いえるのでしょうか?もし、それがたった一人の個人ではないなら、多くの人間を意味し、そこに、顕示の息子たち、人の子の集団の実現として見なければなりません。

「人の子」について、お話ししているので、ここで、結論に至らなければなりません。つまり「彼」とは、共同体イエスであり、その中に、彼のからだとしての顕示の息子たちが再臨の一部となることでしょう。「回復」の中にいる別の人々は、すでにこのことを教えています。

さて、私たちは大祭司ではなく、全員が祭司の序列にあります。ヘブル書8:4に、「もしキリストが地上におられるのであったら、決して祭司とはなられないでしょう。」とあり、従って、イエスが大祭司として天におられます。私たちは、メルキゼデクの位で祭司として地上にいるのです。ですから、もし、イエスが大祭司であるなら、それは永遠ですから、このような地上にいることはできません。それゆえ、われわれ共同体イエスが、イエスに対して祭司となり、彼のからだの代理とならなければなりません。
われわれが、その「人の子」であり、われわれは、たった今産み出された預言の成就であるのです。われわれとは誰?真理のための証しを持つ終わりの時代の真の預言者たちは、五重の職責(五職)である使徒、預言者、牧師、教師、伝道者が、その序列に従って終わりの時代のメッセージを世界に運びつつ行進し(ヨエルの軍隊)、私たちは太陽を着せられ、イエスは、女の頭にその宝飾としての使徒の位の冠を私たちと共に置いたのです。この聖なる美しい数多くの「人の子」たちが、霊の満たしを受けて、主の約束どおり私たちの主としてイエスと共に国々を治めるでしょう。
この真理の宣言は、すべての物の回復とすべての地球にあふれ出る後の雨をもたらし、主の大いなる、そして恐ろしい日の前に収穫の準備において人と神とを和解させるでしょう。
この王立の司祭職は注ぎと力によって現れ、教会を最も神聖な場所に連れ行き、私達すべてがひとつとなるというイエスの祈りの成就を実現するでしょう。
敵は、その子供を滅ぼそうとして、奮い立つでしょう。
(ジャイ・アトキンソン「後の雨ページ」)

王国は今:
王国神学の基本的前提は、アダムとイヴがエデンの園でサタンの誘惑に屈した時、人間は地上の支配権を失ったとのことがらです。
神はその時点でサタンに対する地上のコントロールを失い、それ以来、地上で神の「代理」または「表現」となって、サタンから支配権を奪回する契約の民を捜し求め続けておられる。このことは、王国の時代のため、自分たちを神の使徒や預言者の権威の前に差し出すことによって「勝利を得る者たち」をとおして成し遂げられることになる。
これらの王国は、すべての社会的公共施設、王国教育、王国科学、王国芸術などによって定義される。中でも最も特殊なものとしては、そこには王国警察ないしは政府がある、という。

これは当然、軍隊の結集を示唆し警察力が、王国時代に支配権をもつ人々の手の中にあることが示唆されます。
彼らは、数多くの「人の子」として参照されている人々であり、王国神学を信奉者たちが信じているもので、黙示録12:1−5)の成就となるでしょう。
「また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。・・・女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。」

王国神学の擁護者たちの中には、後の時代の使徒と預言者の権威に服した教会(ある人々は、教会の中でもほんの小さなグループだけが、勝利を得る者と呼ばれる、と信じています)は、「人の子」であり、すべての反逆者を討ち滅ぼし、義を打ち立てる責任を持っている。
このことが、彼等には超自然的力や聖霊の賜物のフルに備えられることが必要とされるゆえんです。
この理論は、天と地にあるすべての権威がイエスに与えられている、という考えに基づいています。信者が同じ聖霊を内住しているのであれば、私たちも同じく天と地のあらゆる権威を持っている、私たちは、存在していないものに対して存在するよう信じ命じる力を持っており、それゆえこのように(見えない)王国時代を導入することができるのである。

数多くの「人の子」たちは、イエスが戻られる前に、地上の支配権を勝ち取らなければならない。王国時代に必要なものは、ダビデの幕屋が出来上がっていることである。これはシミもシワもないキリストの花嫁である完全な教会を指すとして定義されている。

王国時代の期間中(或いは、その他も結局この期間には服従させられるが)サタンとすべての神の敵は、数多くの「人の子」たちの足の下に踏まれるでしょう。これが第Tコリント15:25−26)の成就となるでしょう。「キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。最後の敵である死も滅ぼされます。」

数多くの「人の子」たちの理論的根拠は、神の敵を「その」足の下に踏む、とあるのは、キリストは頭であり、教会はキリストのからだである、というところです。足は、からだの中にあるものです。多くの王国神学運動にある人々は、この聖書がキリストを指しているのなら、それは本当に「キリストのからだ」である教会を指していると、主張します。それゆえ、彼らにとってクリスチャンの心の中に、キリストのからだとして、私たちがキリストである、というこの考えを確立することが必要であるのです。
 

 換言すれば、われわれは彼の天的な性質を持つ、ということです。油注がれているキリストとイエスを切り離し、ある知識と霊的な達成の立場に来るすべての人にそれを与える、心理科学や他の誤った宗教と似ているこの考え方には注意してください。
これは異端であり、教会の歴史の長さと同じほど古くからのものです。グノーシス主義として知られている哲学でありギリシャ学派に根源をもつものです。

(訳注:このもっともらしい教理の結論に注意。要するに力あるわざを行う使徒や、預言者、勝利者は
キリストと同じ立場、同じ様なものになると語っているわけです。
かつてのエデンの園における蛇の誘惑:「神の様になる」は、このもっともらしい、
教理の中でくり返され、サタンにだまされる者のみ、これに引きづられていきます。)
 

本質的には、王国神学は、イエスの再臨を二段階として見るものです。

最初に、信じる人々の肉体を通して(そして特に、今日の使徒、預言者の肉体において)そして次に、栄光を受けた人々(勝利者たち)によって、彼に王国が渡される国を引き継ぐ人の中に。

(訳注:かつてヨハネはその書簡の中で、「肉体を持って来る(再臨するの意味:この原語と時制は、黙示録1:4で再臨について書かれているのと全く同じ原語、時制)キリストを告白しない」異端について預言しました。2ヨハネ7。この霊として再臨して使徒、預言者に受肉するキリスト、すなわち肉体をもって再臨するキリストを強調せず、告白しない彼等の再臨の教えとは、
まさにこの異端である。)

ある人々は、勝利者たちが不死になるであろうと信じています。彼らは、いわゆる「復活の命」を達成するでしょう。
不死かそうでないかに限らず、勝利者たちはすべての地上の悪の影響を「浄化」しなければならないことが、王国神学にあって一般的に合意されています。「悪を行う者たち」は、回心させられるか、または、処罰を受けるか、それとも、地の面から滅ぼされなければなりません。
「悪を行う者たち」とは、様々に描写されており、麻薬密売人、殺人者、子供にいたずらをする痴漢、泥棒、売春婦、および「人間のくず」と評されている人々を指します:しかし、彼等のためにイエスは死なれました。読者は、この王国神学の教えを説く教師たちにとっては、「悪を行う者たち」とは、すなわち神の権威(終わりの時代の使徒と預言者)に従おうとしない人々の誰にでも当てはまることを知り、関心を持つことでしょう。

服従する人々は彼ら額の中に「神のマーク」で印されるであろうし、次に来る裁きを免れるでしょう。

それぞれの運動の中にいるすべての人が互いに同意する必要はなく、別の運動にいる人々と別に単一であって構いません。またそれぞれの運動は、神の言葉によって注意深く試験され根拠ある教理に対して、かなり常軌を逸脱した教えを持っています。
それぞれ自分たちの方法で、王国神学の要素のある部分か或いは全体を広く伝える任務を担っています。
別の教えで、ここで詳しく取り上げないものの中には、かなり奇妙で、王国神学の全体のオカルトに味を添えているものもあります。私達が進歩すれば、私達はそれらを取り扱える様になるでしょう。

言及された様々なムーブメントにおける誰もが、すべての王国神学の教えを信じているわけではないと理解することは重要です。多くの人は、もし彼等が持つその教義を真に理解するなら、怖がるべきはずの人々と無邪気に親しくします。
 
 
 

なぜその考え方を持つ人々を支持し、そして彼らと一緒に統一を求めるかを少なくとも問いただすのには十分な理由があると言えるでしょう。

すべての団体にあってそうであるように、王国神学にも特有な一定の専門用語があります。

言葉の用法の多少の理解は、別段何も証明しません。
しかし、王国神学に特有な専門用語の用法と依存の様式があることは、教師たちの教義についてある程度の、またはさらなる調査をすべき理由となります。これらの用語の多くは、その教えの本当の意味は、時期尚早の時においては、全体としてのキリストのからだに悟られない様に隠されており、彼ら内密グループを除く、他のすべてに対して、彼らが真に信じているその意味あいは隠されるでしょう。
一端、これらの専門用語に精通したのなら、独断的に裁かず、しかし、さらにその教師の真の信仰に関する知識を探し求めることをあなたに強く勧めます。(使徒17:11)しばらくの間、その人が何を信じているかを見分けるまでは、用心深くあってください。
多くの用語は、それを使う人々により「聖書的なものである」として弁明されるかもしれませんが、しかし、以下の王国専門用語に関しては注意する理由があります。
 

<いくつかの専門用語>

支配
勝利者
みことば信仰
語られた言葉
五職
後の雨
ダビデの幕屋
幕屋の祝会
数多くの「人の子」
王国の顕示
神の子たちの顕示
前進する受肉
霊による出産
あなたの霊にこれを入れよ
統一(からだの)
ヘビの種(子孫)
信仰の中の信仰
神の信仰
神に似た信仰
王国の言葉
王国の原理
キリストの原理
エリヤ集団
花嫁集団
そのキリスト
エクレシア

私は、これらの言葉が何度か使われたからといって、少なくとも適度に用いられているなら、その話し手や書き手を厳しく裁く根拠にはならないことを、繰り返したいと思います。(ヨハネ7:24を見て下さい)
私は、このことを強調しますが、私は結論を急ぎすぎ、ひとくくりにすることで非難されるであろうことを知っています。

彼らの専門用語だけに基づいて、誰かを受け入れたり、拒絶することについて、強く警戒していただきたいのです。
(アルバート・ジェームズ・ダガー「王国神学」メディア・スポットライト、VOL7.−NO.2、4月−6月、1986年)

歩行:
歩行は、ジョン・ロバート・スティーブンスによって1951年に組織されました。彼はフォースクウェアー・福音教会から職位を剥奪され、アッセンブリーズ・オブ・ゴッドに入会しましたが、再び職位剥奪され、今度は後の雨の教え(ニコルズ)に彼の環境を求めました。スティブンズは後の雨に深く関わり、それを自分流の拡張にまで発展させました。

彼は、すべての正規の教団は、みな古い秩序であって、バビロン的であり、世俗的、多くは背教的である。神は「歩行」を用いて、新しい秩序を設立させようとし、遂に神の顕示の子を「産み出す」、その最初の子がスティブンズである。と話しました。
彼は自分が使徒であり、預言者であると宣言し、果てしのない啓示の録音テープを出版し、その多くは数十冊の小冊子に書き写されました。それゆえこの「後の雨変形」文書は簡単に手に入れることができ、ここ30年間、関心のある研究者たちによって、利用されています。

スティーブンズの最大の重大な(そして異常に実りの多かった)大失策は、霊的実践とオカルト主義の力は真に中立的であり、それゆえオカルトの方法をもクリスチャンたちが用いることにより、似たような、またはさらにより良い霊性を達成する助けとして使うべきだという彼の決断でした。
実際、彼は、サタンはもともと正義からその方法を盗んだのだ、と語り、それゆえ信者は、オカルトとその適当なテクニックを彼らから学び、それを神のために矯正して利用することを奨励した。

JRSは、神はこの混合主義を祝福するであろう、そして後の雨の火は、遂に降り注ぎ、完成した教会を産み出す、と教えた。
歩行は(文字通り)顕示の息子たちに栄光化されて、それによって彼ら自身がキリストの「パルーシア」(再臨)となるであろう。それ自体が人の子集団である。(ニコルズのSCPリポート)

スティーブンズは、天使や、死亡した信者との対話も可能となるとも語った。ポール・ケイン、ボブ・ジョーンズは10年間、定期的に天使と対話していました。ステーブンズは、「雲のような偉大な証人たち」とも彼自身は会話していると主張しました。

ロイヤル・クロンキスト:
(ジョン・ロバート・スティブンズの「リビング・ワード教会」の前使徒、顕示の神の子「本部」)

クロンキスト
ジョン・ロバート・スティブンズの覆いを残したが、顕示の神の子教義のほとんどを維持している。彼のエペソ2:20の解釈は、古典的な顕示の神の子です。以下、その引用です。

「誰が基礎ですか?使徒と預言者です。イエス・キリストは基礎ですか?いいえ。彼はすべてのものの基礎ですが、文字通り教会に対しては、彼は隅の頭石で、彼の上に使徒と預言者という基礎がすべての教義の基礎を据え、すべての黙示、そしてすべての経験、すべての真理、すべての油注ぎ、すべての権威、すべての力、ただその上にだけではなく、神の民全体の下に、置かれているのです。基本的な働きの全体の目的、そして特に基本的な奉仕は、特別な方法で情報を知らせ、強化し、強くなり、励ましを受け、資格を得て、あなたの人生のために神の意志を創り出す非常に私的で、特定の方法であなたを装備することです。キリストのからだが、まだ幼い段階にあることを、想像できますか?

なぜなら彼らは本当に彼らの人生の基礎を拒んでいるからです。彼らが自分の人生の基礎を否定するならば、彼らの中に基礎を建てる他の方法はないのです。そして、私たちは聖霊によって私たちの心が変えられるように喜んで心を開かなければなりません。私たちが考え、理解した方法によって。彼は、真理の御霊が来た時、すべての真理にあなたを導く、と約束しました。2000年間、だれもすべての真理に導かれたものなどいませんでした。私が考え得るたったひとつの事は、そして、まだ栄光化されていないので、私は全てを知り得ないからですが、しかし、私は今や神が、世界の基礎が据えられて以来隠されていた秘密の封印を動かし始めていらっしゃると信じています。私は、神が王国の基礎である聖い使徒と預言者たちにそれを明らかに見せようとし始め、彼の民たちに神の真理を開陳して、彼らをその霊、魂、心、思いそしてからだを文字通りまさに天のイエス・キリストの本質にしようとされていると信じます。

それゆえ、あなたの天の父が完全であるように、あなたは完成されるのです。どのようにそれが起こされるのかと想像しますか?それは、聖なる使徒、預言者、伝道者、牧師、教師たちが、彼ら自身で経験することによってであります。彼らは、その自分たちが持っている経験によってあなた方を整えて、ルール、法律、方法、どうやって(How-To)を与え、そして文字通りいかに神の聖霊と協調して、そのことが再びあなたの上に成し遂げられるかを教えるでしょう。

教会がこの時代を前に向かって進むための最大の決断(特にキリストのからだの中にいる聖職者たち)は、神の使徒がいる、ということに直面しなければならないことです。彼らが、あたかもイエス・キリストであるかのように、その基礎に従わなければならないということです。もし誰でもその権威に従わない者は、民の中から絶たれることになるでしょう。
 イエスは、文字通りこの類の教会、キリストのからだが存在する時までは、地上に戻ることができず、いえ戻らないでしょう。この教会(レムナント)は、救出と裁きとを、すべての権威と力によって、地上のすべての人々に対して実行することになるでしょう。まず、教会の中に、それから地上のすべての国々に対して。

神の国は今や出現する準備が整っているのです。今や文字通り地上にすべての完全な満たしのうちにそれが設立される備えができているのです。初穂である人々は、この後地上に起きようとしている事柄から逃れるにふさわしいと認められるでしょう。
彼らは、いかなる形態の破壊と死からも完全な免除を持つでしょう。今まさに来ようとしている復讐と怒りさえ、彼らに触れることはないでしょう。逆に彼ら自身がこの復讐と怒りの執行者となるでしょう。
私が言えることの全ては、ある信仰者が神の復讐と怒りを実行しようと試みるなら、それは実行されるということ、その執行している人は聖霊の完全な支配の下にいる方が良かった、ということです。クロンキストのシナリオの問題点は、それ(イエスの再臨に先がけて不滅になる)が築かれるとする前提が聖書に反していることです。私はその可能性に戦慄します。」

(ロイヤル・クロンキスト「あなたの日々の十字架は、自我の王座を諦めている」(Spokane, WA: Love Ministries), p.3, 4, 6, 7

「なぜ、幕屋の祝宴ですか?」 (Spokane, WA: Love Ministries Newsletter, 8月, 1984).

注:
フランシス・フランジペイン、ロイヤル・クロンキスト、およびメル・ベイリー(前の歩行の使徒)は現在の新・預言的運動の中における突出した人物です。
フランジペインはKCF/ MVFと協力し、現在本を出版していて、現在の王国を案内するために悪魔のような「公国」を征服するように人々に勧めるべく国を旅行しています。
 

記事について結語
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