≪ブッシュ親子の自作自演テロ≫  
 

         そもそも、ビン・ラディンは、昔も今もCIAのエージェント

                                          米が、第三国に軍事介入し、自国産業への利益誘導
                                          をするためには、「地域紛争」「民族紛争」が起き
                                          ていることが好都合です。そこで、CIAを含む米の
                                          諜報機関は、「過激派」を秘密裏に組織育成し、資
                                          金援助しているのです。反米過激派という名目の組
                                          織が、実は米諜報機関の傘下にある。これが現実で
                                          す。

                                          オフィシャル・ストーリーでは、湾岸戦争当時、イ
                                          スラムの聖地であるサウジアラビアに米軍が進駐し
                                          たことに怒ったビン・ラディンが、それまでの米と
                                          の協力関係から、一転して米の仇敵になり、対米テ
                                          ロを繰り返してきた....ということになっていま
                                          す。とんでもありません。「敵」の存在を言い訳に
                                          して軍事的侵攻を行い、第三国における権益を利権
                                          集団に誘導する。これが、CIAとペンタゴンが協力
                                          してとってきた手法です。ビン・ラディンは、頼ま
                                          れて敵役を演じているだけで、現実には今でもCIA
                                          の大切な要員です。
 

        リンク先文書がリンク切れになっていた場合、URLの後ろに、以下を付け足してenterしてみて下さい。保存され
     てる望みがあります。   http://web.archive.org/
 

             同時テロについては、発生直後から、2チャンネル掲示板にて多くの人たちと議論
             を交わして来ました。現在でも、ニュース議論板の「ブッシュ親子の自作自演テ
             ロ」にて議論を継続中です。「現行」と注記のあるスレッドが、現在進行中のス
             レッドです。こちらにもぜひご参加ください。また、過去レスも参照ください。
 

       まず最初に、1つのネット上の短い文書を参照してください。予備知識のない方には、殆ど理解不能と思
     います。しかし、同時テロの真相を知るうちに、全てが納得できるようになるでしょう。

       ブッシュの汚い資金凍結令
     http://www.246.ne.jp/~st330/ffc/pages/dirtybush.html

     ブッシュはテロリストの資金源を絶つためと称して世界で暗躍するテロリストやテロ組織の米国内の資産を凍結する
     大統領行政命令に署名した。非常に汚いやり口である。

     ブッシュがこの間、凍結閉鎖した金のルートは他ならぬ、CIA がアルカイダやパキスタンに工作資金を流す際に使用
     してきたルートなのは明白だ。これまでは不正取引、資金洗浄等、不正金融取引にたいする監視、告発はFBIや連邦取
     引委員会、といった連邦政府機関のコントロール下に置かれていたはずである。これをブッシュ政権は「テロ対策
     法」の名の下に大統領が全てをコントロールすると言っているのだ。今後、ブッシュ政権に不利な材料はいっさい表
     に出ないだろう。

     9/11以前から「イラクの石油スワップ問題」「チェイニー副大統領のカザフスタン石油開発に関する不正資金疑惑」
     等、ブッシュ一派には不利な疑惑が取りざたされていた。これらの捜査資料はWTCタワー隣の中層ビルに秘密裏に
     おかれていた連邦捜査局の資料室に保管されていたという説がある。WTCは何百とあったはずの弁護士事務所と共
     に粉々に消えて無くなり、金融取引の監視は大統領マターとなって今や大統領執務室の闇の中。ブッシュ政権は独裁
     政権として全ての権限を手中に収めつつある。

     ブッシュ自身、親の代からスン・ミョンムン(文鮮明)による世界最大のカルト(にして隠れテロ組織)、ユニフィ
     ケーション・チャーチ(統一協会)のバックアップを受けており、この団体による中南米地域における麻薬取引とそ
     れに関わる資金洗浄の話は単なるウワサの域を超え、事実として浮上しつつあった。
 

       ↑
     >凍結閉鎖した金のルートは他ならぬ、CIAがアルカイダやパキスタンに工作資金を流す際に使用してきた
     ルート
     ●アルカイダの幹部は実はCIAと直結していると指摘する文書が幾つかある。それはビン・ラディンも含め
     てのことだ。CIAから流された資金で、ラディンらが、反米活動を行っていたということになる。【敵役】
     担当のCIA工作員ということだ。また、CIAがパキスタンを使って、イスラム過激派に迂回融資していたと
     いう側面もある。で、そのあたりの捜査に封印をしてしまった。

     >捜査資料はWTCタワー隣の中層ビルに秘密裏におかれていた連邦捜査局の資料室に保管されていた
     ●だから、隣のビルが崩落する必要があったわけだ。

     >ブッシュ自身、親の代からスン・ミョンムン(文鮮明)による世界最大のカルト(にして隠れテロ組
     織)、ユニフィケーション・チャーチ(統一協会)のバックアップを受けており....
     ●そのとーり。統一狂会の危険性を的確に理解しているな。

     >この団体による中南米地域における麻薬取引とそれに関わる資金洗浄の話は単なるウワサの域を超え、事
     実として浮上しつつあった。
     ●統一が麻薬王であることもしっかり解っているな。たいしたもんだ。

     一体このHP、どなたのものだろう?国際派ジャーナリストってとこかな?私もいろんな文書に接する中
     で、↑と全く同じ結論に達した。アプローチの仕方は違うだろうけど、得た結果は同じってとこかな。だか
     ら、統一を野放しにすれば、日本でもNY同様のテロがおきかねない。

   【ラディン、今でもCIAエージェント説】

                                             http://www.google.com/search?q=cache:3I27OR6AdBY:www.jca.apc.org/~altmedka/play-s2.html+CIA%81%40%83%5E%83%8A%83o%83%93&hl=ja&lr=lang_ja
 

                                             サウジとUAEは、アフガン戦争の時にはアメリカの意向を受けでムジャヒディン・ゲリラに、そしてソ連軍撤退後はタリバンに姿金援助してきた
                                             国である。これまでのやり方が踏襲されたわけだ。このオペレーションを統括してきたのは他でもない、アメリカから世界最悪のテロリストとし
                                             て指名手配されているあのウサマ・ビン・ラディンだった。先月、彼の身柄引渡しに応じないタリバン政権に対して経済制裁が加えられたが、そ
                                             れは表の世界の話である。裏ではまだ彼はサウジ情報部を通じてアメリカとつながっているのだ。ビン・ラディンはこの夏、数ヵ月間にわたって
                                             チェチェンに潜入した。

                                             しかし、指名手配されているはずの彼がアフガニスタンを出国してもアメリカはなんのアクションもとらなかったことからも、それがわかる。そ
                                             れどころかアメリカは、チェチェン入りした彼へのインタビューに成功したヨーロッパのジャーナリストが執筆した記事をもみ消してまでいるの
                                             だ。80年代、サウジ情報部のアフガニスタンにおける現地責任者としてCIAのオペレーションを援助してきた彼の持っているゲリラ支援のノウハウ
                                             と経験をアメリカはまだまだ必要としているということだ。
     ラディンは、中東における米の盟友、サウジの情報部の現役幹部なのですよ。
 

       【ビン・ラディンが攻撃して破壊し、ラディン家の企業が修
     復する。】
     GAPING HOLES ON BIN LADEN VS BUSH STORY
     http://emperors-clothes.com/news/probestop-i.htm

     ラディンの一族はサウジ最大の建設業者で、サウジ国内のサウジ軍や米軍の施設の建設をたっぷり受注している。総額
     で、200BILLIONDOLLARで、そのうちかなりの部分が、ラディン家の会社に発注されている。
     ラディン家の建設会社が作ったダーランの施設が何者かに爆破されて、米は、「ビン・ラディンの仕業だ!」と決め付
     けたそうな。で、壊れた施設が最新式のものに交換され、また軍産複合体が儲けた。なんだか、おかしくないか? 
     (解かってる癖に)

    ミレニアムテロ:アメリカが育てたイスラム過激派
 http://www.google.com/search?q=cache:8IMXJAKowGw:tanakanews.com/991229terror.htm+%83%89%83f%83B%83%93%81%40CIA&hl=ja&lr=lang_ja
 1999年12月30日  田中 宇

 ▼CIAの軍事訓練センターに集まったイスラム青年たちこのとき、ソ連はアフガニスタンを自らの勢力圏内に置き、そ
 の南にある
 インド洋へと、覇権を広げようとしていた。当時はまだ、冷戦の真っ盛りで、この侵攻はアメリカの危機感をつのらせ
 た。だが、ベトナム戦争の敗北以来、アメリカは自国民を兵士として外国の戦線に送ることができなくなっていた。その
 ためアメリカは、ソ連軍とイスラム教徒を戦わせることで、アフガニスタンでの戦争に勝とうとした。イスラム教など宗
 教信仰をすべて「迷信」として弾圧する方針を持った社会主義のソ連が、アフガニスタンを侵略したことは、中東全域の
 イスラム教徒の怒りをかっていた。パキスタンからサウジアラビア、ヨルダン、エジプトなどの中東諸国で、アフガニス
 タンのイスラム同胞を救え、というキャンペーンが展開され、多くの若者が、アフガニスタンに行ってソ連軍と戦うこと
 を志願した。志願兵とはいえ月給が出たことも、多くの希望者が集まることにつながった。
 こうしたキャンペーンは、アメリカの同盟国だったサウジアラビアやパキスタンが率先して行い、キャンペーンの背後に
 いるアメリカの姿は見えにくかった。志願兵となった若者たちは、アフガニスタンやパキスタンにある軍事訓練センター
 に運ばれたが、訓練センターを運営しているのは、アメリカ当局(CIA)だった。このキャンペーンの中で、まだ20歳
 代だったオサマは、自らアフガニスタンに乗り込むとともに、資金も注ぎ込んでいった。

       そもそもイスラム原理主義過激派というのも、CIAが創った
     もの
     【行政調査新聞】
     http://www.gyouseinews.com/foreign_prospect/sep2001/001.htm

     タリバーンはイスラム原理主義過激派とされる。だが、実は「イスラム原理主義」などそもそも歴史的に存在しな
     い。アッラーを唯一の神とするこの宗教は、初めから原理主義であり、改めて原理主義などと断って新勢力を構築す
     る必要などない。では、なぜタリバーンが生まれたかというと、イスラム勢力分断のために、パキスタンを下地とし
     て米CIAが関与して作られたものである。従って現在もCIA要員がスパイとしてタリバンの深奥部に入り込んで
     いる。タリバーンには現在も、当然のことながらCIAのスパイが入り込んでいる。そのスパイは、タリバーン最強
     の原理主義者になっている可能性が高い。そして彼の下に、CIAから工作指令が届いたとしたら……。さて、それ
     ではタリバーンを使嗾した者は何者なのか? CIAが既にモサド(イスラエル諜報機関)の下部組織になっている
     ことは本誌で何度も解説している。タリバーンの動きの背後に、世界中の過激テロ組織を背後から操る勢力の姿が朧
     気ながら浮かんでくる。それは一般 に「サンパウロ・フォーラム」と呼ばれ、南米ブラジル・サンパウロに一時拠点
     を置いたとされる、世界中の過激組織同士の連絡会だ。ペルーのトゥパク・アマル、コロンビアのFARCはもちろ
     ん、日本赤軍の一部(坂東国男等)もこのサンパウロ・フォーラムのメンバーだとされる。タリバーンもまた、サン
     パウロ・フォーラムの一員である。
     冷静に考えていただきたい。確かにビン・ラーディンがテロ実行を首謀し、指図し、資金を出した可能性は高い。あ
     るいはスイス銀行が個人預金を中止した結果として南米に集められた世界中の資金が運用されたのかもしれないが、
     とにかく全米を狙ったテロ攻撃の仕掛け人は、アラブ・イスラム勢力だと誰もが考えるだろう。
     今回のテロ事件で最もトクをした者は誰か。イスラエルである。それだけではない。アフガニスタン北部同盟とロシ
     ア勢力がある。

       【ビン・ラディンを捕まえるチャンスは何度もあった。CIA
     は、わざと動かなかった。ラディンが、今も昔もエージェント
     だからだ】

     「東京新聞」12月27日の6面
     「破たん 米の国益誘導」(ワシントン・喜聞広典氏)

     同時テロで変化「世界経済システム」
     米国の政治経済の中枢を狙った同時多発テロから百日余。二十一世紀初頭に、世界を歴史的な悪夢で覆った年が、引き
     続く混乱のなかで暮れようとしている。この間、世界経済はテロの打撃で、さまざまなシステムに変調をきたし、回復
     の先が見えない霧の中に迷い込んでしまった。半面、テロは、世界経済を裏で支配してきた米主導の国益誘導システム
     などの実態もあぶり出した。テロの前後、大きく変わった世界経済システムを米国からの視点で展望した。

     ▽CIA黙認
     一九九六年。ひそかに米国を訪れたスーダンのエルファティ・エルワ国防相(当時)は、国内に亡命して国際テロ組織
     「アルカイダ」の基盤構築を進めるウサマ・ビンラディン氏に国家転覆の危機を感じ、米中央情報局(CIA)に身柄
     の引き渡しを打診した。CIAにとって、ビンラディン氏は当時から、サウジアラビアの米軍施設テロなどで最重要の
     “指名手配犯”。しかし、CIAはなぜか同氏の引き受けを断り、スーダンからの国外追放を国防相に勧めた。エルワ
     氏自身の回顧談を載せた米誌などによると、CIAはこうしてビンラディン氏をみすみす取り逃がし、同氏のアフガニ
     スタン入りを黙認したのだった。

     奇妙な動きはまだ続く。九八年夏。アフガンのタリバン政権さえもビンラディン氏の処遇に手を焼き、サウジアラビア
     への引き渡し交渉を持ちかけてきたのに、CIAは一貫して消極対応。直後にアフリカで起きた米大使館爆破テロでタ
     リバンとの関係が悪化し、話は立ち消えとなった。

     ▽皮肉な結果
     敵が向こうから近づいてきても捕まえに行かず、自由に泳がせて監視するCIAの戦略は「相手を完滅せず、その脅威
     を残しておくことで、CIAの役割の重要性を米国内に誇示し続ける」(チョドフスキー・オタワ大教授)狙いだ。テ
     ロや地域紛争の火種を残すことは「将来の米軍需産業の利益につながる」(米上院民主党筋)との政治的な思惑も背後
     にちらつく。しかし、CIAは結局、ビンラディン氏にこの戦略の裏をかかれ、同時テロ事件の遠因を自ら作り出す皮
     肉な結果を招いてしまった。 「自作自演」の国益誘導システム−それは冷戦後、唯一の超大国となった米国が、国際
     社会を支配し、米企業や政府の利権を守るために築いた巧妙な舞台装置だった。

     ▽不 均 衡
     クリントン前米政権は、経済分野で「グローバリゼーション」の美名の下にこのシステムを駆使した。
     情報技術(IT)革命の浸透や自由貿易のルールづくりを通じて、途上国の経済力を底上げし、そこに米企業が乗り込
     んでいくための新たな市場を開く。九〇年代後半、空前の繁栄に沸く米国が目指したグローバリゼーションは、しか
     し、「国益の誘導ばかりが先行し、まず途上国の雇用や教育、福祉などを支援する素地づくりに欠けていた」(ライタ
     ン米ブルッキングス研究所員)。米IT産業は、こうしてグロバリゼーションの素地が整う前に、将来への期待を集め
     たその本は、株価が暴落。今やパソコン需要の低迷などで“IT不況”の冷たい風に吹きさらされている。貿易ルール
     づくりは、九九年末の世界貿易機関(WTO)シアトル閣僚会議で、身勝手な米国に途上国が猛反発して行き詰まっ
     た。米国の一方的な国益優先の半面で、「世界の貧困を置き去りにした国際政策の不均衡が、対米テロを生む土壌にな
     った」(コープ米外交評議会研究副主幹)との見方もある。

     ▽利権の矛先
     そして同時多発テロ事件。米国経済は、IT革命のけん引力で十年間続いた景気拡大から一気にマイナス成長のふちに
     転落した。米企業は軒並み収益悪化に陥り、海外展開への野望など跡形もなく消し飛んだ。政府はいま、国内景気の立
     て直しに血眼となっている。国益誘導の最前線を担った米軍需産業も、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約からの
     離脱など、テロ後、本土防衛への傾斜を強めるブッシュ大統領の先導で、利権の矛先を国内に向け始めた。
      
     途上国を踏み台にして、国外に稼ぎ口を求め続けた米国の国益誘導システムは、同時多発テロ事件で大きくつまづい
     た。テロ後の米国は、国内に閉じこもって国益を守る保護主義路線を一段と強める気配だ。米一極の強大なけん引力を
     失った世界経済は今、全体の成長が急減速する中、回復への足掛かりさえ見いだせないでいる。

       ↓さて、CIAにより諸々のテロ事件の主犯として追われていたビン・ラディンは、スーダンを追放されて、
     アフガニスタンに移ったのですが、これも実は、CIAとの打ち合わせ通りの予定の行動だったのです。

       【ビン・ラディンの引渡しを三度打診されて、断わったアメリカ。大事な敵役
     は、野放しにしておかないと困るのです。】
     タイムズ紙
     http://216.239.35.100/search?q=cache:MKUlqXQJCcQC:matrixmirror.topcities.com/times_us_missed_3
     _chances_to_seize_bin_laden.html+US+Missed+Three+Chances+to+Seize+Bin+Laden&hl=ja&ie=utf-8
     1996年初頭アメリカはビンラディン引渡しについてスーダンに強いプレッシャーを与える。それに対して、スーダンは
     その年の5月にアメリカに引渡しに応じる旨のFaxを。政府は「喜んだ」わけですが、その後ビンラディンはチャーター
     機でもって妻と150人の仲間とともにワシントンとのパイプが太い親米国家カタールで燃料給油を受けつつジャジャラ
     バードに。給油に関しては田舎のガソリンスタンドとは違うわけで、いくらでもそこで本気ならなんとか出来たでしょ
     う。飛行経路の申請についても少なくとも同じく親米国家サウジに対してはなされていたでしょ
     う。
     そして同年6月にサウジの米軍施設で爆破事件発生。早速疑われたオサマに関してクリントンはスーダンでの一件は最
     大のミスだと。それに関してホワイトハウス高官はスーダンの一件は承認の上のことだと。次のオファーはクリントン
     シンパのパキスタン系アメリカン人大金持ち、マスーン・リアズを通じてなされた96年6月の湾岸諸国情報局員からの
     オファー。UAEに非公式に乗り込んだ反テロ担当補佐官リチャード・クラークが話をおじゃんに。3番目のオファーは
     サウジからのもの。アル・ファイサル皇太子がリーダーを勤める情報局がオサマの母親の動きからアフガンの居場所を
     突き止めていたというもの。タリバンに対する影響力の強いサウジからのかくなるオファーに対してCIAは動かず。こ
     の件については共和党上院情報委員リチャード・シェルビーが以下のように。
     "I don't believe that the fight against terrorism was the number one goal of the Clinton administration. I believe there were some
     lost opportunities."
       【大事な敵役のアルカイダに安全な撤退をさせたブッシュ政
     権】
     Tt8vpKkm氏
     【奇跡のアルカイダ・イリュージョン・ショー】
     「我々は、少なくとも1000台の車とトラックでコンボイを組んでやって来た彼らが夜、どうして皆殺しにされなか
     ったのか理解出来ません。非常に暗い夜でしたが、アメリカ人パイロットたちにとって一団のヘッドライトを見つける
     ことは簡単だったに違いありません」

     以下、7月22日英タイムズ報道翻訳。
     『どうやってビンラディンの巨大なコンボイがカブールのシラム・バハティアからアメリカ軍をすり抜けたのか』
     How bin Laden's huge convoy gave American forces the slip
     from Shyam Bhatia in kabul
     http://www.timesonline.co.uk/article/0,,3-362078,00.html
     アフガニスタンの人々は1000台の車とローリーが夜に逃げ果せたことに依然首をかしげている。

     アメリカ当局はどうやってオサマ・ビンラディンの側近たちが昨年11月どうやってカブールに逃げたかを調ているな
     ら、アフガニスタンの首都の南部にある肥沃な農業地帯の中心部、ロガールの街に行くべきである。地元の人々にとっ
     ては、側近達がアメリカの空爆を逃れた、カバラ・ヒサール要塞とロガール渓谷南部を通った側近達の夜間の逃亡は依
     然語り草だ。地元ビジネスマン、モハメド・ラヒムは、アルカイダのコンボイは11月1日から15日の間に到着した
     と言う。
     「我々は、少なくとも1000台の車とトラックでコンボイを組んでやって来た彼らが夜、どうして皆殺しにされなか
     ったのか理解出来ません。非常に暗い夜でしたが、アメリカ人パイロットにとって一団のヘッドライトを見つけること
     は簡単だったに違いありません」
     コンボイは翌日の夕方動き出した。「メイン・ロードは夕方の8時から朝の3時まで一杯になりました。道路がすっき
     りして、ラフマン夫人(アルカイダ高官、情報プランナー、アブ・アブドゥールの妻)が出発しました」その脱出に
     は、アルカイダの政治戦略参謀アイマン・アル・ザワヒリやムザミルとだけ名乗るもう一人のシニア・リーダーも含ま
     れると考えられる。

     アルカイダとロガールのリンクは、アブ・アブドゥールがアメリカ人の妻と6人の子供たちを連れてカブールから友人
     の農場にやって来た昨年9月のアメリカに対する攻撃のあとに始まった。旱魃ではあったが、ロガール渓谷の農民達は
     果樹園用の地下水を栽培に使っていた。ラヒム氏は最後のアルカイダリーダーがいつ出発したかははっきりしないが、
     そんな彼の説明を聞いた一人の男が、自分が乗り捨てられた日本の4輪駆動者プラドを引き受けたと言った。そのプラ
     ドは彼が信じるところでは、アルカイダのシニアコマンダーが、パキスタン国境の途中、ガルデズ方面に向かって歩き
     出す際に乗り捨てられたものである。

     タリバン、ないしはアルカイダの重臣や家族に使われたその他の車は同じ道路のさらに先のところで見付かったが、乗
     り捨てられた車の中ではそのプラドが最も高価なものだった。

     遺品として、地元の人々は今やロガールの市場で出回っている書類の束を見つけた。それらの中にはプロパガンダに違
     いないものも含まれる。二つの大きな地図はクロの太いインクで書かれていた。そのうちの一つはアラビア語で走り書
     きされた捕捉もついたもので、フィリピン、ルソン島そばの島々と大きな船が記されていた。

     描かれているもう一つの地図はアメリカの町のように思われるものである。「ショッピング・センター」とはっきり看
     板を立てたメイン
     ストリートにはマクドナルドとKFC、それにピザ・ハットが肩を並べて立っている。

   【イスラエルは「たすきがけ買収」によって反米をタテマエとするイスラム
  原理主義過激派を雇い、イスラエルの国益に奉仕させたのであろう。】
  【たすきがけ買収】
  http://www.google.com/search?q=cache:HgcJuLYf_dM:plaza12.mbn.or.jp/~SatoshiSasaki/tosuke.html+%83%89%83f%83B%83%93%81%40%83%8D%83X%83%60%83%83%83C%83%8B%83h&hl=ja&lr=lang_ja
  ダーランの米軍施設へのテロを遂行せしめたのは、米軍がイスラムの聖地メッカを擁するサウジに駐留していることに
  反発した「イスラム原理主義者」のリーダー、ビン・ラディンの差し金であったと言われている(しかし、さだかでな
  い)。イスラエルは「たすきがけ買収」によって反米をタテマエとするイスラム原理主義過激派を雇い、イスラエルの
  国益に奉仕させたのであろう。そこで、今回のケニア、タンザニアのテロでも、イスラエルは「なじみ深い?」ラディ
  ンに依頼して反米テロを起こし、イスラエルの「必要性」を米国民にアピールする場を作ろうとした(らしい)のであ
  る。
  [註:ラディンはもともと、1979年のソ連のアフガン侵攻に対抗する反共イスラム・ゲリラ勢力を養成するという、米
  国防省やCIA(共和党)の援助で育てられたテロリストだ。だから、CIAや国防省は、きわめて簡単にその足跡を追
  い、テロの証拠を得ることも、そして「逆買収」することも容易だったはずである。]

       「アフガンのイスラムはワシントンが作り上げた」ブレジンスキー氏が認め
     る
     http://www.ne.jp/asahi/home/enviro/news/peace/blum-J
     1998年1月15〜21日に「ラ・ヌーヴェル・オブゼルヴァチュール紙」(仏)による、カーター元大統領の国
     家安全保障問題特別担当補佐官だったジノビエフ・ブレジンスキー氏へのインタビュー。以下の部分は、アメリカで
     は削除して掲載された。この事実がアメリカ社会について、なにを物語るか考えて欲しい。

     Q:元CIA長官ロバート・ゲイツ氏は回顧録のなかで、アメリカの諜報機関が、ソ連による軍事介入の6ヶ月前
     に、アフガニスタンのムジャヒディンへの援助を始めたと述べている。この時、あなたはカーター大統領の国防問題
     特別担当補佐官だったので、この事態に関わったわけですね。

     ブレジンスキー:ええ。公式発表では、CIAのムジャヒディンへの資金援助を開始したのは1980年、つまりソ
     連軍が1979年12月24日にアフガニスタンを侵略した後となっている。しかし、今まで極秘だったが、実際は
     まったく逆だ。カーター大統領が、カブールのソ連寄りの政権への対抗勢力に秘密の資金援助を行う指令に始めてサ
     インしたのは、1979年7月3日のことだ。その日、わたしは大統領へ手紙を書いて、この資金援助はソ連の軍事
     介入を誘発するだろうと説明した。

     Q:ソ連の軍事介入というリスクを犯しても、この秘密行動を支持したのですね。もしかしたら、ソ連の戦争参入を
     自ら望んで、挑発したのでは?

     ブ:そういう訳ではないではない。我々は、ソ連を軍事介入に追い込んだのではない。軍事介入の確率が高まること
     を知りながら、そうしたに過ぎない。

     Q:ソ連が、軍事介入はアメリカのアフガニスタンへの秘密工作と戦うために正当であると名言した時、だれもその
     言い分を信じなかった。しかし、それは基本的に真実を含んでいたのですね。今、何か後悔するところはないのです
     か?

     ブ:何を後悔しろと?秘密作戦はすばらしいアイディアだった。結果として、ソ連をアフガンの罠へと引き寄せたの
     だ。それを後悔しろと?ソ連が公式に国境線を越えた日に、私はカーター大統領へ、こう手紙を書いた。「今、ソ連
     に彼らのベトナム戦争を始めさせるチャンスを得ました。」事実、それからほぼ10年に渡って、モスクワは自国の
     政府の手に負えない戦争を遂行しなければならなくなった。対立はソ連帝国を混乱におとしいれ、最終的に崩壊をも
     たらした。

     Q:イスラム原理主義を支持したことも、未来のテロリストに武器と助言を与えたことも後悔していないのですね。
     ブ:世界史にとって、一番大事なのは何か。タリバンと、ソ連帝国の崩壊のどちらが大事だ? 訳のわからんイスラ
     ム教徒と、中央ヨーロッパの解放・冷戦の終結のどちらだ?

     Q:訳の解らないイスラム教徒?しかし、イスラム原理主義は現在、世界の脅威の代表であると繰りかえし言われて
     いるのですが。

     ブ:ナンセンスだ。西側諸国は、イスラムに関してグローバルな規模の政策を持つといわれるが、ばかげている。グ
     ローバルなイスラムなど存在しない。イスラムを、デマや感情を差し引いて理性的に見たまえ。15億の信者をもつ
     世界の主要な宗教だが、サウジアラビアの原理主義と穏健派のモロッコとパキスタンの軍国主義、西側寄りのエジプ
     トと中央アジアの世俗主義、これらのどこに共通点があると言うのか。キリスト教国家の共通点以上のものは何もな
     い。

     "Killing Hope: US Military and CIA Interventions Since World War II", "Rogue State: A Guide to the World's Only Superpower"
     を著したBill Blum がフランス語から翻訳。上記の本の一部は、以下のサイトで読むことができる。
     http://members.aol.com/superogue/homepage.htm  (翻訳:黒田真理子)

       ↑ブレジンスキーは、自分の進言がソ連のアフガン侵攻を呼び、結果としてソ連を崩壊させた、自分が冷
     戦を終結させたと自慢話でもしたかったのでしょう。つまらない男です。ソ連をアフガン侵攻に呼び込み、
     イスラム原理主義をでっち上げ後ろで操り、ソ連を追い落とし、用が済んだら、今度は自分たちででっち上
     げた連中をテロリスト扱いで、ごみ箱にポイ。なるほど、素晴らしい民主主義国家。こういうインタビュー
     が米国ではカットされると言うのも、素晴らしいの一言。こういう国と組んでいけば日本もきっといいこと
     がたくさんあるでしょう。無料で「奴隷」に抜擢してくれるとか、根こそぎ国民資産を掻っ攫っていってく
     れるとかね。いやー、いい国だよ。アメリカは。
       ■アルカイダは、米軍の別働隊だった
     【バルカン戦争でアルカイダを支援した米】
     Tt8vpKkm氏
     http://www.nationalpost.com/news/world/story.html?f=/stories/20020315/344843.html

      セべリアからのコソボ独立に関して、かつてアフガンで行なったようにアメリカはアルカイダを支援。この時には、
     NATOも同様。ミロシェビッチが現在ハーグで国際裁判にかけられており、あれこれ言っておりますが、証言としてカ
     ナダのユーゴ大使であるとか、バルカンの専門家もこうした点は正しいと認めています。ボスニアの一件でも当然、ア
     ルカイダが関与。
      アルカイダが実にもって都合のいい別働隊であったことがわかります。コントラ支援などと同様の古典的なCIAパタ
     ーンとも言えるでしょうが、アルカイダは国境を越えた別働隊だったわけです。

      関連してこんな面白い情報も。セルビアの副首相と米外交官、ベオグラードでスパイの容疑で拘束
     http://sg.news.yahoo.com/020315/1/2l7vu.html
      拘束された、セルビアの元首相とはペリシック(Perisic)氏で、98年までユーゴ軍を率いていた人物。そして20
     00年にミロシェビッチ政権転覆に最も深く関与した人物の一人。拘束は、二人がレストランで食事中に突然、ユーゴ
     の軍事警察によってなされたそうです。 ベルリン、プラハ、ベオグラードなどは、有名なスパイの活躍の地でありま
     して、二人の食事は、多分にそう言う意味があったでしょう。アルカイダを接点にしたあれこれをどう消すか等々推測
     出来る重要な議題は山ほどあるでしょう。

       【ビン・ラディンは生きている。生きているから、次のテロを
     するだろうと騒ぎ、ラディン掃討の名目で、新たな地域が攻撃
     される。マッチポンプ】
     『ビンラディン氏は生存』 アルカイダ HPで対米テロ予告
     http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20020624/mng_____kok_____004.shtml

     【カイロ23日秦融】カタールの衛星放送アルジャジーラは二十三日、テロ組織アルカイダのスポークスマン、アブ・
     ガイス氏の肉声だとする録音テープを放送した。テープの中で同氏は「(アルカイダの指導者)ウサマ・ビンラディン
     とナンバー2のアイマン・ザワヒリをはじめアルカイダ幹部の98%は生存しており、近くビンラディン本人のビデオ
     テープを公開する」とし、さらに対米テロを「数日か数カ月のうちに実行する」とも述べた。

     アルジャジーラによるとテープは、アルカイダのホームページ(HP)に二、三日前から掲載されておりパソコンでも
     聞ける。「過去に行った本人のインタビューと比較し、ガイス氏に間違いないと確証した」としている。

     米中枢同時テロの事前情報をめぐる米国内の論議にもふれており、録音は最近行われたとみられる。

     また、四月にチュニジアのシナゴーグ(ユダヤ教会)で十五人が死亡したテロ事件について、アルカイダの犯行と認め
     た。実行犯はイスラエル軍によるパレスチナ人殺りくが許せず、ユダヤ人が儀式で集まっている光景を見て犯行を決意
     した、と説明した。

   そもそもラディンらを
  ■ブッシュ親子の自作自演テロ 第十五部■
  http://choco.2ch.net/test/read.cgi/news2/1024996168/l50

  アフガニスタンで1970年代、お世辞にも民主的とは言えない二つの国、サウジアラビアとパキスタンの支援を受けつ
  つ、アメリカ政府はイスラム主義者の戦闘部隊をつくりあげた。世界中のアラブ‐イスラム諸国から集められた戦闘員
  は、メディアから「自由の闘士」と呼ばれていた。このような状況の中で、今では有名になったウサマ・ビン・ラディ
  ンをCIAが引き入れ、育て上げたのだ。(ル・モンド・ディプロマティーク)
  http://www.netlaputa.ne.jp/~kagumi/0110.html

  ビンラディン氏は八○年、アフガニスタン内戦で最初にイスラム原理主義の軍事活動に関与。ジッダの大学でハマスの
  「歴史的指導者」といわれるアブドラ・アザム博士からイスラム教学を学んだのをきっかけに、アザム氏らとともにゲ
  リラ作戦工作に携わった。
  アフガニスタンには世界各地から延べ十万人に上るイスラム戦士(ムジャヒディン)が集まった。その動員工作を裏で
  支援したのは、米中央情報局(CIA)や英、パキスタンの情報機関だった。CIAがイスラム原理主義の武装化を育
  てたと言っても過言ではない。
  http://www.sanin-chuo.co.jp/ronsetu/2001/09/18.html

  対ソ連戦争でCIAがラディンを支援していた。
  http://www.google.co.jp/search?q=cache:Ayz7aqZ74KwC:www.ecolink.sf21npo.gr.jp/jubilee/yoko3.htm+%E3%83%A9%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%80%80%EF%BC%A3%EF%BC%A9%EF%BC%A1%E3%80%80%E6%94%AF%E6%8F%B4&hl=ja&ie=UTF-8&inlang=ja