ユダヤ=キリスト教(ユダヤ化されたキリスト教)におけるタルムード的影響

Part6 of 11
By Colonel Gordon メJackモ Mohr AUS Ret.              読者により翻訳いただきました。          

バビロニア=タルムードの更なる考察及び、白人キリスト教文明に対する潜伏的陰謀

 我々は、ニューズナー博士によるユダヤ的観点からタルムードを論じてきた。また、簡潔にユダヤ人とユダヤ教に関して話を聞いている。今や我々は、バビロニア=タルムードそれ自体を見つめなおす時である。我々は、タルムードのページのコピーを使って、深く考察する事が可能であるし、またここであなたがたが見ることは、12フィートの本棚が一杯になるほどの、全63巻にも及ぶ膨大なる内容のほんの僅かな部分に過ぎないと言う事を、心に留めていただきたい。

次なるものは、“キリスト教に対する陰謀”というエリザベス=ディリング女史が書いた本からの抜粋である。それはタルムードとユダヤ百科事典からのコピーを使っている。

 バビロニア=タルムードは、“ミシュナ”;いわゆるタルムードを含むパリサイ人の教えによって理論づけられた律法と、“ゲマラ”;いわゆるそれらの律法を解説する理屈っぽい教えからできている。バビロニア=タルムードは全63巻からなり、主に論題構成なしに分けられている。

すべてタルムードは、“ミシュナ”から成り、“ゲマラ”の無いものもある。

 タルムードは、“Sedarimモと呼ばれる6つの区分に、大きく分ける事ができるが、それぞれの巻は、想像可能なあらゆるテーマのごった煮状態である。タルムードの中心となる全体的特長は、盛大、愚かしさ、卑猥と度の過ぎた淫猥と、策略、言い逃れを画策する目的の為にうわべだけは律法を主張するポーズである。具体的には、サディスティックな残虐行為にふける喜びであり、窃盗、殺人、男色や獣姦、偽証、子供や親の扱いにおける聖書の道徳的教えに反する行為や、キリスト、キリスト教徒、あらゆるキリスト教的姿に関して、異常ともいえる憎悪である。

メSederモ(複数形モSedarimモ)と呼ばれるバビロニア=タルムードの6つの区分は次の通りである。

1. ZERAIM(種子を意味する)、次の書物から構成される

 a ベラホット 
この書物の名前は、おそらく祝福を意味するのであろうが、その405ページの中は、内緒話のごとく淫猥       の宝庫とでも言うべくそれはもうひどいものである。

その他10の書物は、1冊あたり406ページものボリュームになる(Soncinoエディション)
b ペアー(買占め)
c デマイ(疑わしい)
d キルアイム(混合)
e シェビイート(7番目)
f テルモット(捧げ物を巻き上げる)
g マアセロット(什一)
h マアセルシェニー(2番目の什一?)
i ハッラー(練り粉)
j オルラー
k ビクリーム(初穂)

以上11編構成となる

2. SEDER MOED(祭り)

a シャバット(終わりなきアホらしい規則と言い逃れについて語っている)
b エルビン(交際)
c ペサヒーム (過越し)
d シェカリーム 
e ヨマー 
f スカー (売店)
g ベイツァー(祭日)
h ロシュ ハシャナー(新年)
i タアニート(断食)
j メギラー(エステル記の巻物、プリム祭)
k モエード カタン 
l ハギガー(祭り)

メギラーは泥酔と血に飢えたサディスティックな祭典であり、プリム祭でユダヤ人は、酔っ払うのが義務であるかのような忠告が書かれており、そこにおいて、「モルデカイに祝福あれ」と「ハマンは呪われよ」の違いなど、彼らは知る由もない。

以上12編で構成される

3. SEDER NA SHIM(女性)、
 このセクションは、ラビ、JH.ヘルツによるソンシーノ版の紹介が13ページにわたり含まれている。これらの書物は、主に下水管の汚物のような汚さや淫猥さが特徴となる。

a イェバモット(今は亡き兄弟のやもめ)
 ソンシーノ版では2巻871ページにおよぶ
b ケトゥボット(離婚する妻に対する慰謝料)
 タルムード的性的おぞましさについて、2巻と728ページを費やしている
(例;幼き少女は、成人男性のための汚れ亡き餌食である)
c ネダリーム(誓い)汚さと不品行に253ページ費やしている
 キリストがパリサイ人を公然と非難した例証となるものだ
d ナジール(強き誓い)ソンシーノ版では253ページ
 つまらない小言、不品行な戯言、Kol Nidreを含む
e ソター(疑わしき女性)ソンシーノ版271ページ
f キダシン
g ギッティン(結婚と離婚)ソンシーノ版439ページ
キリストとすべてのクリスチャンは、地獄に落ちるというようなスペースが割り当てられている

以上7編からなる

4. SEDER NEZIKIN(損害賠償)
 
a ババカマ(前門)
  タルムード的談話が719ページにおよぶ。損害賠償の基本法なるものは、異邦人の財産を傷つける事は認められているが、ユダヤ人の財産を傷つける事は、神性を犯すようなものであるとする。というのは、ユダヤ人のみが人間であり、非ユダヤ人は獣である。このことは、タルムード中で兄弟の間柄を主張するものである。
b ババメツィア(中門)676ページ、同様に重要である
c バババトラ(後門)2巻779ページからなり、反異邦人的説教で満ちている
d サンヘドリン(781ページ)
タルムード ソンシーノ=エディションの中で紹介している;これはマコットとともに、タルムードの刑罰法の核心を占めるものである。このセクションは、もっとも憎悪の念に満ちた、キリストの悪口を含むもので、空想の中で、キリストを石打の刑にしたり、糞尿の中で火あぶりにしてみたり、斬首したり、糞尿の中で窒息死させたり、絞首刑にと、かと思えばパリサイ派の賢人に対する冒涜でもって磔にしたりとそれはまあ忙しい・・・
e マコット(打つ)175ページ
f シェブオット 309ページ
g エデゥヨット(証言)
h アボターザーラー たぶん人非人、非ユダヤ人の扱いについて366ページ
i アボット(タルムード主義の父についての言及)
j ホラヨット(支配)

以上10編からなる

5.SEDER KODA SHIM(生贄)

a ゼバヒーム(血をもった犠牲)
b メナホット(食事の捧げ物)
c フリン(殺し方)
d ベホロット(初子)
e アラヒン(見積り)
f テムラー(交換)
g ケリトット(絶滅)
h メイラー(侵害)
i タミード(毎日の生贄)
j ミドット(計測)
k キニーム(鳥の巣)

以上11編からなる

6.SEDER TOHOROTH(清潔)

 a ニダー(生理中の女性)
  この宗教のセクションでは重要部門であり、509ページを、臭い、色、検査と、ラビが明白なる医学的その他の目的なく月経に関し討論に専念するその姿は、まるで変質者そのものである。屋上から排尿する描写からもわかるように、ゲマラの解説のついた清潔に関するセクションであるにもかかわらず、この本の中でパリサイ人のみを、不潔で論争好きな“賢人”としている。その他11編は一巻あたり589ページに成る。
b ケイリーム(器)
  キリストが引用したマタイ伝23:24の “ぶよをこす”、またルカ伝11:39の“いったいあなた方パリサイ人は、杯や盆の外側をきよめるが、あなたがたの内側は貪欲と邪悪とで満ちている。”との聖句を、自分たちの都合のいいように例証する。
c オホロット(天幕)
d ネガイーム(疫病)
e パーラー(若い牝牛)
f トホロット(きよめ)
g ミクヴァオート(儀式上の入浴、生理中の女性は、夫と交わる前に入浴すべきだというようなもの)
h マフシリン
i ザービーム
j テブールヨーム
k ヤダイム(手)
 おそらく、水中で生きているのだろうが、デーモンを殺す為、手に水を霧状に吹きかける行為は、キリストの時代、パリサイ人の習慣であった。それは今でもそうである。ユダヤ法典(Schulchan Aruch)もしくは、煮詰められたタルムードのミシュナでは、悪霊は寝ている人にとりつくとしている。;とりつかれた人が起きる時、悪霊は、指以外のところから離れ去るとしている。もし、指に3度水をかけないとするならば、汚れた霊はそこから離れないとする。人は手を洗わずして、4キュビト歩く事を許されていない。この儀式は主イエスとパリサイ派間の、重大な違反の一つを作り上げている。
l トホロットの最後の書物は、ウクツィーンである。トホロットは12編からなる。ニダーを除く最後の71冊は一巻あたり589ページになる。“清潔”に関する1098ページは、それはもうひどい卑猥で満ちている。もう一度、パリサイ人の偽善に対するキリストの軽蔑を正当化し、キリストのタルムード的パリサイ派に対する態度の正当性を例証すべきであろう。
 

これは宗教的書物であるということを、おぼえていただきたい。−道徳とか品性という価値を定義し、示す意味において宗教的という意味。このことは、MEGILLAH(メギラー)の条項にも関係する。どういうことかというと、世界中のユダヤ人は、タルムードでプリム祭の日に非常に酔っ払い、ゴイム(異邦人)の破壊を喜んだので戒められたのに、泥酔と血にまみれたプリム祭のサディスチックな祝福を肯定している。(Estherの9章、特に26,27節を御覧なさい。)この主題は、想定の範囲内と言う事ではある。

KETHUBOTH(ケトゥボット)は、2巻728ページを典型的なタルムード的卑猥な言行で占めており、読者に、いかにして幼女が、成人男子の性的玩具になるかを説いている。

NEDARIM(ネダリーム)は、282ページをばかばかしい下劣な淫猥さで満たしている

NAZIR(ナジール)は、ささいなくだらない誓い、不品行なKOL NIDREの誓いを含む。KOL NIDREの誓いとは、贖いの日になされ、誓いはしたが約束を破った、誓いはしたが来年に延ばす、と言ったユダヤ人を許すものである。(要するに嘘をつくことの肯定)

GITTIN(ギッティン)は、キリストとすべてのクリスチャンは地獄に堕とされることと一緒に、離婚手続きに関して述べている。

SEDER NEZIKIN(損害賠償)は、BABA KAMMA(ババカマ)の巻719ページをもって始まり、ユダヤ律法に関してとりとめなくラビの講釈が続き、本質的には、異邦人の財産を害してもユダヤ人は合法的に許される、一方異邦人からのユダヤ人の財産に対する被害は、神を冒涜するようなものであり、ユダヤ人のみが人類であると主張する。

BABA MEZIA(ババメツィア)は676ページ、SOS(Same Old Stuff)を含む

BABA BATHRA(バババトラ)は779ページを2巻、典型的な反異邦人的痛烈な非難で満ちている

SANHEDRIN(サンヘドリン)は781ページ、タルムード刑法の本丸的貯蔵庫のようなものである。イエス=キリストに対する痛烈な中傷で満ちている。この巻で彼らは、キリストは「石で打たれ死ぬべきだ」、「大便の中で焼かれる」、「斬首」、「大便の中で窒息させる」、「磔」を受けるに値すると主張する。というのは、パリサイ人に対するキリストの冒涜ゆえとする。それは神に対する冒涜ではなく、パリサイ人がキリストを憎んだからパリサイ人に対する冒涜だとしているところに気づかれたい。

これらはタルムードの主要な書物であるが、クリスチャンと非ユダヤ人(彼らはGentile(異邦人)と呼ぶ)を扱っている。

SEDER TOHOROTH(トホロット)は12巻で、簡潔に3点述べてみよう。NIDDAH(ニダー)は509ページ、女性の生理中の布に関し、ラビによる色、臭い、検査を論ずる事に専念する。その検査に医学的目的などまったくなく、その変質者的道楽に全くもって余念がない。なにせ屋上からの放尿さえ論ずるのだから。(このような話をして、女性読者にはお詫びを申し上げるが、タルムードがどのようなものかを理解する為には、触れざるをえない。)

(訳していてうんざりしてきます。私も他人を非難するほど清くありませんが、ここまでのアブノーマルな変質的変態行為、具合が悪くなりそうです。もう少し!根性入れてがんばります;訳者感想)

MIKAWAOTH(ミクヴァオート)は、生理中のユダヤ人女性を、蔑んだまなざしから守る為、夫と性的交渉をもつ前に行う儀式的入浴を扱う。

YADAYIM(ヤダイム)は、おそらく水の中に生息すると考えられているデーモンを抹殺する為、手に水を霧状に吹きかける方法に関しての教えから成る。このことはキリスト時代におけるパリサイ人の習慣であって、おそらく主イエスが、マルコ7:3〜4で言及している事である。

 “もともと、パリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の人の言い伝えをかたく守って、念入りに手を洗ってからでないと、食事をしない。また市場から帰った時には、身を清めてからでないと、食事をせず、なおその他にも、杯、鉢、銅器を洗うことなど、昔から受けついでかたく守っている事が、たくさんあった。”

彼らは、それらのデーモンを取り除かなければならないと考えていたという事を知ってください!

SCHULCHAM ARUCHによると、圧縮されたタルムードのミシュナは、悪霊は人が眠りに入るとき侵入するとしている。 SCHULCHAM ARUCH 1巻2章には次のようにある。

 “眠りからさめる時、悪霊は体そのものからは離れるが、指先からは離れない。もし3回指に水をかけないならば、悪霊が離れる事はない。ユダヤ人には、手を洗わないで起き上がって4キュビト歩く事は許されていない。”

このセクションの最後の書は、UKZIN(ウクツィーン)である。TOHOROTH(トホロット)には、全部で12の書物があり、NIDDAH(ニダー)を除いてすべて、1巻598ページの中に見ることができる。

次にユダヤ書から、公開されているタルムード的逸品をいくつか紹介しよう。

ABQDAH ZARAH;未成年の妻、非ユダヤ人の妻との不貞は許されるとしている。
 145ページ 異邦人の女との不貞は認められる
 146ページ 男の子供は自分の母とセックスしてもよい
 147ページ 3歳の異邦人幼女とのセックスは認められる

ユダヤ人は、いかなる場所、極端なところエルサレムよりもバビロンの価値を認め尊重し、バビロンの崩壊、滅亡に関して多くの古代ユダヤの予言が存在するにもかかわらず、バビロンは、苦悩から解放されるだろうとコメントしている。
ケトゥボットは述べている;バベルには、メシアの到来に先立つ苦悩を味わう事はないという伝説がある。このことは次の文を見れば明らかである
 “バビロンの報いは普通に考えて産みの苦しみであって、さらに正確に解釈するならば、よくある現代キリスト教書物はフィクションであり、これらは、メシアの到来という産みの苦しみであって、母なるシオンの苦しみなのだ。比喩などではなくて、ユダヤの希望なのだ。

 148ページ バビロンはキリストの再臨によって、滅びる事はない。
 

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