獣の国アメリカは東(アジア)に向かって大きくなり、支配を強める

 

 

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★米軍に揺さぶられる中央アジア
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 ワールドカップサッカー大会の日本チームの出場は、6月18日の対トルコ
戦で終わりとなったが、日本との戦いに勝ったトルコは、その後さらに6月
22日にセネガルとの準々決勝に勝ち、6月26日の準決勝でブラジルに負け
たものの、6月29日の3位決定戦で韓国を破った。

 この間、トルコチームを応援していたのは、トルコの人々だけではない。ト
ルコ系の人々が住んでいる中央アジア諸国でも、多くの人々がトルコチームを
応援していた。カザフスタン、タジキスタン、キルギス、ウズベキスタン、ト
ルクメニスタンの中央アジアの旧ソ連5カ国のうち、イラン系であるタジク人
が多いタジキスタン以外は、トルコ系が多数派となっている。

(トルコ人はもともとモンゴルに住んでいたが、8−15世紀にかけてユーラ
シア大陸を西に民族移動し、今のトルコまで広がっていった)

 6月22日にトルコがセネガルを破ったとき、トルクメニスタンの首都アシ
ガバートでも、中心街に数百人が集まって騒ぐなど、町はささやかなお祝い気
分に包まれた。

 だが、こうした勝利の気分の広がりを好ましく思っていない人もいた。その
一人は、トルクメニスタンのニヤゾフ大統領だった。セネガルとの対戦後、ニ
ヤゾフは大統領令を発し、6月26日の対ブラジル戦でトルコが勝っても、国
内で祝賀会を開いてはならないと宣言した。
http://www.rferl.org/bd/tu/reports/2002/07/0-010702.html

 トルクメニスタンはこれまで、ニヤゾフ大統領による独裁体制が続いてきた。
旧ソ連中央アジアの他の国は、1991年のソ連崩壊と前後して、それまでの
一党独裁体制からある程度の民主体制に移行したが、トルクメニスタンはその
中で最も体制変化が少なかった国で、ソ連崩壊後もニヤゾフを頂点とするスタ
ーリン型の一人独裁を続けてきた。トルクメニスタンの議会は事実上、与党党
員しか議員になれず、大統領の言いなりで、1999年にはヤゾフ大統領の任
期を「終身」とすることを決議した。

 こうした硬直した体制では、反政府組織や野党の存在を少しでも許すと、そ
れが政府を倒す大きな動きに急成長するおそれがある。そのためニヤゾフは、
非暴力なものも含め、反政府的なあらゆる動きを厳しく弾圧してきた。だがそ
の一方で彼は、国民が自らを「トルクメン人の父」(Turkmenbashi)と呼ぶよ
うに促すなど民族主義を醸成しており、その動きからすると、国民が民族的に
親戚といえるトルコのチームを応援することは、容認できることだったはずだ。
 

▼独裁者を弱体化させた911

 だが、最近のニヤゾフは、どんなきっかけで権力の座から追い落とされるか
分からないような、弱い状態になっている。そうなったのは、昨年10月にア
メリカ軍がアフガニスタン攻撃を開始してからのことだった。

 911事件の後、米軍がアフガン攻撃用の基地となる飛行場の提供を中央ア
ジア諸国に求めた。トルクメニスタンはアフガニスタンと国境を接しており、
米軍基地を作るには地の利がよかったが、ニヤゾフはアメリカの依頼を拒否し
て中立の立場をとった。

 トルクメニスタンには世界有数の埋蔵量を持つ天然ガス田がある。アメリカ
がタリバンを敵視し始める前、このガス田からアフガニスタンを通ってパキス
タンの港まで天然ガスを運ぶパイプラインの建設計画が、米企業ユノカル社に
よって立案されていたこともある。ニヤゾフは、トルクメニスタンのガス田を
めぐる利権に米企業がアクセスできることを許している限り、米軍の駐留を断
っても、アメリカから目の敵にされることはないと考えていたのかもしれない。
だが、だとしたらそれは誤算だった。

 アメリカのアフガン攻撃が始まってしばらくすると、それまでニヤゾフに忠
誠を誓っていたはずの政府高官たちが、少しずつ反旗を翻すようになった。
11月1日には、元外相がロシアに亡命し、ニヤゾフを批判する声明を発表し
た。ニヤゾフは翌日、検察に元外相を汚職容疑で指名手配させることで対抗し
た。だがその後も高官の亡命は続き、今年2月にはトルコ大使や元中央銀行総
裁が相次いで亡命し、モスクワに反政府勢力が形成されていった。

 4月ごろからは、米国務省などアメリカ政府の関係者が、この反政府勢力と
接触するようになり、慎重な言い回しながらも、反政府勢力を支持する言動を
見せ始めた。6月16日には、アメリカや西欧、ロシアの政府関係者から支援
を得て、トルクメニスタンの反政府系の人士たちがオーストリアのウィーンに
集まって会議を開き、非暴力的な方法でニヤゾフを失脚させる計画について話
し合いが行われた。
http://www.stratfor.com/fib/fib_view.php?ID=204979

 この手の政権転覆準備会議は、かつてアフガニスタンをめぐっても行われて
いる。2001年7月、アメリカや西欧、ロシアの支援を得て、アフガニスタ
ンの反タリバン勢力などがベルリンに結集して会議を開いた。この「ベルリン
会議」の枠組みは911以降、タリバンを攻撃する米軍と北部同盟の組み合わ
せとなり、タリバン崩壊後、アフガニスタン新政権のかたちを決め、カルザイ
をそのトップに定めたのも、昨年12月に再び開かれたベルリン会議において
だった。

▼側近の寝返りを恐れるニヤゾフ

 アメリカが操るこうした動きに対してニヤゾフは、疑わしい側近をどんどん
切っていくことで対応した。今年1月以来、50人以上の軍と政府の幹部が逮
捕されている。特に、独裁型国家の運営にとって大切な機関である軍や諜報警
察に対し、厳しい疑いの目が向けられている。彼らはそれまでニヤゾフに最も
信頼されていた側近だった。

 2月4日、ニヤゾフは珍しく生放送のテレビ演説を行ったが、演説の中で諜
報警察の幹部たちが腐敗していると突然非難しはじめ、そのまま幹部たちは拘
束された。クーデターなどを起こされないうちに、抜き打ち的に先手を打った
のだった。
http://www.atimes.com/c-asia/DC09Ag01.html

 逮捕された政府幹部の容疑は横領や収賄、政敵などに対する拷問や殺人、脅
迫など。これらの犯罪は、欧米の人権団体がトルクメニスタンについて批判す
るときによく出てくる問題点で、ニヤゾフは「民主化や改革の一環として、腐
敗した政府幹部を逮捕した」という理屈で、自分に反旗を翻しそうな側近を次
々と処分していった。

 だが、側近を次々と処分しても、体制転覆の危機がなくなったわけではない。
6月に入り、街頭でニヤゾフの写真が焼かれる事件があり、ニヤゾフの政権に
対する挑戦は水面下で広がっていることがうかがわれた。そんな中でワールド
カップでの勝利を祝う騒ぎが反政府暴動に発展しないとも限らない状態になっ
ていた。

 6月21日には「終身大統領」のはずのニヤゾフが「5−6年後には大統領
選挙をやる」と発表したりしている。いずれ独裁をやめると宣言し、内外から
の不満を回避しようという作戦らしい。
http://www.rferl.org/bd/tu/reports/2002/06/0-240602.html

 一方、弱体化したニヤゾフに手をさしのべる人もいた。それは、同じように
米軍のアフガン攻撃によって弱体化させられてしまったパキスタンのムシャラ
フ大統領だった。ムシャラフは6月初め、ニヤゾフと、アフガニスタンのカル
ザイ議長を誘い、3カ国で天然ガスパイプラインを敷設する計画をぶちあげた。
アフガニスタンのカルザイも、政府の実権を北部同盟の将軍たちに握られてお
り、弱い存在である。この計画は、パイプライン敷設への投資を呼び水に、
3カ国に欧米などから資金が再流入する体制を作り、3人の指導者の地盤を強
くしようという目論見だった。

 とはいえ、このパイプライン計画は、かつてアメリカがユノカル社を通して
実現しようとしていたものでもある。アメリカがアフガニスタンから中央アジ
ア諸国にかけての地域を傘下に置きたい理由の一つは、中央アジアの天然資源
の利権を抑えることだろうから、地元の3カ国の弱体化した指導者たちが集ま
って計画を発表しても、それだけでは計画が実現する可能性は低い。

▼米軍基地を受け入れても不安定化

 トルクメニスタンが米軍基地の設置に反対したのとは対照的に、キルギスと
ウズベキスタンは、積極的に米軍に基地を提供した。だが、それらの国々も、
必ずしも政権は安泰ではない。

 キルギスでは、首都ドシャンベにある国際空港の一部を米軍基地として供与
した。その見返りとして、キルギス政府はアメリカからもらう援助を急増させ
た。資金力と、米政府から重視されることからくる政治力を身につけたキルギ
スのアカエフ大統領は、それまで国内政治の政敵だったキルギス南部の勢力に
対し、大きな態度に出るようになった。

 キルギスでは伝統的に北部の氏族と南部の氏族とがライバル関係にある。ア
カエフは北部出身で、南部勢力を冷遇する傾向があったが、それが911以降
に大きくなり、政府批判を展開する南部出身の国会議員を投獄したりした。こ
の投獄に対し、3月に群衆が南部の町に集まって反政府的な暴動になり、軍が
発砲して5人が死亡した。キルギスで軍が一般市民に発砲したのはこれが初め
てだった。

 そして、ここでもアメリカの影がちらついている。南部の人々の反政府的な
動きに対し、キルギスのアメリカ大使館は、南部の人々を支援する立場を表明
している。それは「人権擁護」を名目としているものの、アカエフ大統領の政
治力を弱めておいた方が、アメリカがアカエフに頼み事をしやすいという意図
もあるように思われる。
http://www.economist.com/printedition/displayStory.cfm?Story_ID=1112732

 この場合のアメリカの頼み事とは、来年以降もキルギスに米軍基地を置き続
けたいということである。米軍がキルギスやウズベクに基地を置くのは「アフ
ガニスタンのテロリストを退治するため」であり、それがすでに一段落してい
る以上、米軍は本来、もう中央アジアから出ていかなければならないはずだ。
それを「まだアルカイダの残党がいる」「ビンラディンも生きているかも」な
どと言って、米軍は中央アジアに居残る作戦をとっている。

 米軍の中央アジア駐留が長引きそうだということは、キルギスと並んで米軍
基地が置かれているウズベキスタンでもうかがえる。ウズベクのカリモフ大統
領が今年3月に訪米した際、ブッシュ政権との間で、秘密の同盟条約を結んで
いたことが、最近になって明らかになっている。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A5492-2002Jun30.html

 米軍基地として使われているウズベクのカーナバード基地(Khanabad)では、
本来ウズベク側が1500人までの米兵駐留しか認めなかったのに、今年初め
の最盛期には5000人以上が駐留しており、アフガン戦争がほとんど終わっ
た後の5月の段階でも1800人が駐屯していることが、米議会の視察で明ら
かになっている。基地内の建設工事はいまだに盛んで、米軍が出ていく気配は
ない。
http://www.washtimes.com/world/20020529-13639930.htm

 アメリカが中央アジアを重視するのは、石油や天然ガスが豊富だということ
もあるが、ユーラシア大陸の中心部を支配することで、ユーラシアの周辺部に
あるヨーロッパ、ロシア、中国、インド、中東などの地域に影響力を行使しや
すくなるという地政学的な読みもあると思われる。