#一九九九年は計算間違いである

  #西暦は4年狂っており九九年は二○○三年

日本には西暦という言葉がある。実にうまくつけたものだと思う。欧米にはもちろんそういう言葉はない。あるのは日本で紀元前と呼ばれるBC(Before Christ)英語で「キリスト以前」と、紀元と呼ばれるAD(Annno Domini)ラテン語で「わが主の統治」である。何で英語とラテン語なのかは分からないが、もともと英語はいろいろな言葉の混合語だからそれでいいのだろう。ちなみにADの方はよく英語でAfterDeath(キリストの死後)と間違えられるので注意されたい。欧米人にとってはキリストは死ななかったのだから、死後とはとんでもないのである。それどころか、「わが主の統治」として、この期間をキリストが教会を通して世界を統治しているのだというのである。

これはもちろんカトリック教会の思想によるところだろう。AD何年とは、キリストがこの世を治め始めてから何年という意味である。だからADは日本の天皇の元号(または年号)と同じで、イエス・キリストの元号である。これでは日本には都合が悪い。それで昔の知恵者が西暦と名づけたのだろう。日本人は頭がいい、日本語は便利である。ところで、年号というものは、本来、王の誕生ではなく、即位から始めるものである。平成も昭和天皇の崩御によって、今の天皇に代替わりしたときから始まったのであった。当然キリストの場合も、誕生ではなく即位から始めるぺきであった。ところがなぜか西暦はキリストの誕生から始まっている。

さらに悪い事に、この誕生の年を計算した人々が間違いを犯してしまったのである。そのために何とキリストはBCすなわち「キリスト以前」四年に生まれた事になってしまったのである。だから、西暦は間違った歴史の数え方である。その原点には何の歴史的意味もない。さて、今日、ちまたには予言、占いの類いがあふれている。それらの予言、占いは何の考慮もなくこ間違った西暦によって語られている。中でもノストラダムスはまるで真実の代表みたいにもてはやされてる。

そして、一九九九年には世の終りが来るという予言を、まことしやかに書くものだから、中には本気にして心配している純情な人もいる。しかし、もともとが間違いから始まった西暦の一九九九年に何の意味があろうか。もし、一九九九年に何か特別な意味があると言い、キリストの誕生からという西暦本来の考え方に立つなら、元年を修正すべきで、それなら本当の一九九九年は一九九五年になる。今の一九九九年は二○○三年である。また、誕生ではなく、即位から計算するとしたら、それは全く違った年となる。そして、その方がよほど根拠があると言う事をこれからお伝えしよう。

数か月前にも読売新間の人生相談欄に「一九九九年に世の終りが来るというが、それがこわくて仕方がない」というものがあった。また、昨年、さる女子高生が「どうせあと八年なんだから好きなことして暮らすんだ」と言っているという事も耳にした。ノストラダムも罪なことをするものである。いや、日本に関しては五鳥勉氏はと言い換えるべきであろう。すでに書いたように、西暦は間違いを元に計算されている。だから一九九九年は全く何も特別な年ではない。その年はごく普通の年である。また、ノストラダムスだけではなく、西暦を基として成された占いや予言は決して当たらないだろう。