#最も悲惨なのはアメリカ国民である

さらに、一九八○年代後半に我々は東ヨーロッバで起こった一連の民主化運動を見たい。あれはほとんどワンバターンで起こった。民主化を要求する、ごく一般の民衆のデモが起こりそれは政府機関の前庭をおおう大群衆となり、丸腰の民衆に軍は銃を向ける事ができず革命が起こって行った。一見、実に素朴な美しい民衆蜂起である。

しかし、当時某国の大臣が「この時期非常に多くの外国人がわが国にいた」と言っている。あれは本当にその国の国民の蜂起だったのだろうか。これはソビェトにおいても同じである。一九九一年八月、失敗に終わったクーデターの日、エリッィンが戦車の上で大見栄を切った時、喚声をあげた「モスクワの市民」は、すでにあの日の六ケ月前から動員の指令が出て各地からバスや動車でかき集められていたと言う事がNHKの特別番組で報じられていた。と言う事はすでに「民主勢力」はその日にクーデターが起こると言う事を知っていたのである。ここにも疑惑の雲がある。一九九三年三月現在、ロシアのエリッィン大統領は瀬戸際に立たされている。彼を支援しているのは外国の政治家たちである。ロシアの民衆はすでにほとんど支持していない。

我々はほんの一年前にも同じような人物を見ている。ゴルパチョフである。そして、このゴルパチョフとエリッィンのこの相似点は何なのだろう。自国の民衆の支持を受けない大統領を、外国の、しかもつい数年前までは敵国だった国の政治家が支援するというこの不思議な構図は余りにも不自然である。一体ロシァ政府は誰のためにあるのだろう。

同じ事はアメリカの場合にも言える。アメリカの場合はもっと巧妙で長期的で大胆だった。アメリカの一般大衆は自国の政府、大統領を尊敬し忠誠を誓って来た。しかし、実はアメリカは大多数の民衆の全く預かり知らぬ間に、巨大な権力の手中に入っている。アメリカの財政は赤字だという。しかし、アメリカには史上最大の巨大な軍隊、核兵器すら攻撃できない聖域に守られた富豪たちがいる。それらの想像を絶する巨大な富豪たちはほとんど自国の経済のために税金を払っていない。

そして、そのような悪を糾弾する国会議員もいない。いや、いたとしても瞬く間に抹殺されてしまうだろう。大統領すら吹っ飛ばしてしまうのだ。アメリカと言う国をよく見てみると底知れぬ恐ろしさを感じるのは私だけだろうか。そして、最も悲劇的なのはアメリカの大衆がその恐ろしさの本当の原因に、気がついていないことである。アメリカに於いてこの疑惑の雲の柱は最も大きく、最も多く、最も暗いのである。