#天安門事件の柴玲はユダヤの操り人形

一九八六年、北京の天安門前の広場は地獄と化した。丸腰の学生民衆に向かって、中国の解放軍は銃を水平に撃ち、戦車のキャタピラーで人間をも踏みにじり、それまで燃え上がった民主化の炎を消し去っしまった。世界のマスコミはこれを中国政府の暴挙として一斉に非難攻撃した。しかし、もしあの時、てい小平氏以下の中国政府があの弾圧をしないで、民主勢力に屈服
し、なすがままに政権を降りたら、事態はどうなっていただろうか。中国は収拾のつかない大混乱に陥っていただろう。それは今のロシアを見れば一目僚然である。各種の利益集団が乱立し、覇権を争い、法は失われ、民衆は逃げ惑い、難民は中国ばかりでなく近隣諸国、日本にまで流れ込んで来ていただろう。

きっと読者は「お前は牧師でありながら、あの天安門の事件を容認するのか」とお怒りになることだろう。しかし、私はあえて聞くが、あの場合他に選択肢があっただろうか。そして、実に不幸な事件であるが、もし他の選択をしていたら悲劇はもっと大きかったのではないだろうか。革命とか蜂起というものは自然発生的に起こるものではない。周到な計画と準備そして十分な資金があってできる事である。あのロシア革命はレーニンの弁舌と理論から成功したのではない、レーニンが封印列車で持ち込んだ巨大な金塊によって実現したのである。

あの天安門事件の直後、我々は奇妙なニュースを耳にした。それは一九八六年六月一六日付けの新聞でこの中国の民主化要求の女性指導者「柴玲」なる人物にノーベル平和賞が贈られたと言うものであった。それまで我々の誰がその柴玲という女性の名を間いただろうか。そして彼女はノーベル平和賞を受賞するどれだけの功績があったのだろうか。しかもノーベル賞は通常二月に決められるのに、六月という時期に与えられたのである。いったい「柴玲」とは何者なのか、彼女はどこから「指令」を受けていたのか。ここにも疑惑の雲がある。