すでに昭和六一年に失島鈎次氏は、日本の国債は今や絶対に返せない額になっていると「ユダヤ・ブロトコール超裏読み術」に書いている。この本は極めて示唆に富む内容だったが失島氏はそれ以来全くこの種の本を出していない。早い話が、命あってのものだねと言うわけだ。事態は決して改善されたわけではない。いずれ日本は国家そのものをかたにして金銭で売り渡すか、さもなければ我々の子や孫が必死に税金を支払っても支払っても足りないと言う事になるだろう。実際、ものごとはそんなに単純なのだろうか。
人間は多く集まれば集まるほど単純化されていくものらしい。これはヒットラーが単純化したスローガンで成功を治めた事でも証明されるだろう。とにかく一度読んで見る事である。この文書をこんなに自由に読む事の出来る国もそう残されていないのだから。
異邦人である我々日本人にはとうてい分からないが、ユダヤ人は神に選ばれた民であるがゆえに、他の民族が経験した事のない苦しみを経験し、味わった事のない悲しみを味合わね
ばならなかった。オギャーと生まれた途端に彼らは呪われ、疑われ、追害と拷間を受け、何の言い訳も聞かれずに殺されて行った。とりわけ中世ヨーロッバ社会においてほとんど異としかいいようのない扱いを受けた。
よくナチス・ドイツの迫害が取り沙汰されるが、ナチスなどほんの数年である。中世は数百年間、ナチスなど足元にも及ばない迫害にさらされたのである。異端審問と言う恐ろしい裁判があって、審問官と言う役職はカトリック教会の司祭が当たったが、彼らは極めて誤った信仰的情熱でことに当たるから常識では考えられない事態が発生した。魔女裁判も同様で、魔女と言う言葉はユダヤ人女性と同義語であった。ユダヤ人の女性は人間的には真面目で教養も高く立派な女性が多かったのだが、ひとことあの人は魔女ですと訴えられたら最後死ぬまで拷間に会うのだった。
偏見に満ちた裁判には正義とか公平と言う概念は全くなかった。特に一五世紀スペインのイサベラ女王の下にいたトマス・トルケマーダと言う司祭は、その生涯をユダヤ人の異端審問に費やしたのだが、彼の〃信仰〃に基ずくユダヤ人迫害の情熱は常軌を逸したもので、その拷間の残酷さや、処刑の方法は背筋の凍るものであった。これにはユダヤ人側の間題もあったかもしれない。例えば、ユダヤ教の経典であるタルムードには異邦人は動物だから殺しても罪にならないとか、その財産を奪ってもよいとか書かれているという。しかし、たとえそ
うであっても、ユダヤ人は異邦人に比べれば圧倒
的に少数派なのだから、彼らの側から攻撃を仕掛けるということは出来るものではなかっただろう。勝者が勝ち誇って言うのではなく、少数のおびえた人々が互いを励ましていたにすぎないのではなかろうか。そして、ユダヤ人ならずとも人類はみな少しでも毛色の変わった相手には偏見を抱き不信感と敵意を持って来た。だから、ユダヤ人だけがひどく偏見があったのではなく、むしろユダヤ人こそが偏見の実質的な犠牲者を、もっとも多数輩出しているに違いない。
このように圧追され、生きる道すら保障されなかった人々が、生き延びるために反撃を計画したとしても不思議ではない。むしろ、当然の事と言えよう。中世の、堕落し、腐敗し、完全に狂ったキリスト教社会が終り、宗教改革とルネサンスによって人々がほっと一息ついたころ、もう二度とあんな目には会いたくない。我々の子孫を、同じような悲しみの中を通させたくないとユダヤ人が立ち上がっても、誰が彼らを責める事が出来るだろう。
一八世紀にドイツに起こったロスチャイルド家は巨大な富を蓄積して行った。そして今や世界経済の事実上の帝王として君臨している。その辺の事は広瀬隆著「赤い盾」(集英社刊)と言う本に詳しく截っている。この本はあまりにも詳細で非常に読みにくい本だが、参考書としてぜひ備えて置きたい本である。よくもまあこんな内容の本が出版できた ものだと思う。
日本だからできたのか、それとも何か他に理由があるのか。一八九四年フランスの士官ドレフユスがユダヤ人であるという理由だけで、スバイと言う濡れ衣を着せられ、フランスにユダヤ人迫害の嵐が吹き荒れた時、テオドール・ヘルッルは「ユダヤ人国家」という本を現し、ユダヤ人は国を持たなければならないと説いた。一八九七年スイスのバーゼルで全世界のユダヤ人の代表が集まり会議が開かれた。ここからいわゆるシオニズム運動が始まった。そしてついに一九四八年イスラェルは不死鳥のようによみがえった。しかし、ここにもう一つのシオニズム運動がある。「ユダヤ人国家など作っても今度は世界を敵に回さなければならない、それならいっそ世界を支配してしまおう」こうしてネオ・メシアニストという集団が生まれた。この中にはハインリヅヒ・ハイネの名もある。