1章日本の惨状を日本人が一番知らない

#日本人の政治不信はユダヤの思うツボ

「わざわいなるかな、彼らは悪を呼んで善といい、善を呼んで悪といい、暗きを光とし、光を暗しとし、苦きを甘しとし、甘しを苦しとする」旧約聖書イザヤ書5:20昔、イスラエル人々がモーセに率いられてエジブトの国を出、約束の地カナンに向かった時、彼らを導くガイドがあった。それは雲の柱であった。「主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き夜は火の柱をもって彼らを照らし、昼も夜も彼らを進み行かせられた。昼は雲の柱、夜は火の柱
が、民の前から雛れなかった」出エジプト記13:21、22

「雲が幕屋の上からのぽる時、イスラエルの人々は道に進んだ。彼らはその旅路において常にそうした。しかし、雲がのぽらない時は、そののぽる日まで道に進まなかった」同40:36、37この雲は旅路の間、昼は砂漠の太陽の暑さを防ぐ陰となり、夜にはその雲の中に火があって彼らを守ったと言われている。ところで今、全世界に、この雲とは似て非なる疑惑の雲の柱が至るところに立ちのぽっている。その雲の下では、白は黒に、黒は白に、さぎはからすにからすはさぎに、真実は偽りに、偽りは真実に変えられてしまう。実にこの雲は偽りの雲の柱である。たとえば我々はこの二○世紀最大の最も文化的な国の近代都市の真ん中で、その国の最高指導者が、暗殺どころか白昼堂々、無残にも頭を銃弾で吹き飛ばされたにもかかわらず、その犯人がたった一人のたよりない男だったという、不可解な事件を目のあたりにしている。しかも、その後の調査で到底その男だけではこの犯行が不可能だったという事が分かっているのに、その偽りを信じなければならないとされている。それどころか、この事件の真相を知る者、証言しようとした者がなんと六○人も疑惑に満ちた死にかたをしているというのである。

これはギリシャ、ローマの時代の話でもなく、中世ヨーロッバの話でもなく、インカ帝国の話でもない。正真正銘、現代の我々の世紀に起こった事である。そして良く見回してみるとこのような疑惑の雲は今や世界の至るところに立ちのぽっているのである。そして、これらの偽りが、マスコミのニュースとして全世界に報道されている。その上、いつの間にか我々は、この「ニュース」を耳にすると、それがたちまち真実として信じられるように飼い慣らされてしまっている。今我々に必要なのは、マスコミの提供する「ニュース」の内どれが真実でどれが偽りか、報道されている内容は正しく伝えられているか、歪められているかを見極めて行かなければならないということである。今日本では政治家の汚職、贈収賄がほとんど毎日報道されている。マスコミはこぞって声高に正義を叫び、悪を暴き立てる。その結果、民衆の間には政治への不信感がつのり、不満が増幅されて行く。それでいて、我々は今の政府、自由民主党以外どんな政党にも信頼を持てないで居る。その結果、虚無と倦怠が社会を覆いはじめている。「政治には関心がありません」と言うのがまるでもっとも賢い事であるかのような言葉が聞かれる。それでは無政府状態がいいのだろうか。最も悲惨なのは無政府状態である。今のユーゴスラヴィアを見ればいい、民族、宗教、言語などどんな共通点であれ、わずかばかりの共通点を持つ集団が互いに争い、ほとんど敵味方の区別もつかない状態で、憎み合い、殺し合うのが無政府状態である。これに比べれば、汚職や贈収賄など物の数ではない。悲しいかな今日、金の流れない政治には血が流れるのである。この正義と倫理の大合唱の結果、いったい誰が得するのか。政治家でもない、マスコミでもない、国民でもない。しかし、実は得をする人々が居るのである。ここにもあの疑惑の雲の柱が
ある。