イスラエルは秘かに違憲な計画を実行中

これはイスラエルサポーターであり宗教円卓会議議長であるエド・マカテーアヘ彼の友人であるデイ
ル・クローリー・ジュニアより送られた公開書簡である(スポットライト紙一九九七年九月一日号より
転載)。イスラエルが世界の国々に投げ与える邪悪で非道で破壊的な行為は、かつてないほど深刻にな
っているのに、君の熱狂と賛同のポルテージはますます高くなっているのはなぜなのか。聖書の神の義
は今やサタンの王国の不義に賛成しているのか?〃神の選民〃はその同砲に、信仰と正義と平和と光明
を与えずに、不信と不正と不一致と暗黒を広めているではないか。君は「神の選民」とか「約束の地」
とか「光栄あるイスラエル」という言葉を好んでいるが、これらの言葉は普通の知性ある人々なら『神
の祝福が次のような事実の上にある』という意味に受け取るだろう。
 

*イスラエルはキリスト教伝道を制限している(イエス・キリストは今日イスラエルの路上では説教で
きない)。
*イスラエルは合衆国や南アフリカやロシアからのユダヤ人クリスチャンへ市民権を与える事を拒否し
ている。
*イスラエルは国家としてユダヤ教を信奉しているがその聖典であるタルムードは祝福され、乙女マリ
ヤは売春婦でありイエス・キリストは私生児であると教えている。
*イスラエルは学校で十のしるしを用いることを禁止している。それは我らの主イエス・・キリストの
十字架を思い起こさせるからである。
*イスラエルのアパルトヘイト(人種差別政策)は南アフリカよりはるかに悪い。
*イスラエルは過去四年問に一○○○名を越すバレスチナ人の少年少女を殺している。*イスラエルは
正式の告発も弁護士も裁判もなくパレスチナ人を逮捕し投獄している。*イスラエルは正式の告発も弁
護士も裁判もなくバレスチナ人を彼らの祖国から国外退去させている。これらは世界の国民が持つ当然
の権利への違反である(国際法によれば、政府は侵略し、占領している国の人々を追放してはならな
い)。

*イスラエルはバレスチナ人の家、家具、その他の財産を没収し(一九四八年の難民キャ
ンプ)これらの家に住み、彼らの所有物を良心のとがめも恥ずかしさも感じないで使用している。
*イスラエルは不動産の権利書と所有権を改竄し、バレスチナ人の家族が何百何千年の間そこに住んで
きた土地を奪い取っている。
*イスラエルはバレスチナ人の家、仕事場、果樹園をブルドーザーで押しつぶし、他のパレスチナ人へ
の見せしめとしている。
*イスラエルは憲法も宗教の自由や言論の自由を保証したわが国の第一修正条項に似たものも制定でき
ない。
*イスラエルはサブラとシャチラの大虐殺を挑発し実行した。
*イスラエルは一九八三年二月二三日に二四一人の水兵が死んだベイルートの米国海軍宿舎に対するテ
ロリストの攻撃の危険性を知っていたにもかかわらず、それを知らせなかった。
*イスラエルは一九六七年六月八日、国際水域にいた非武装の米国船リパティー号を沈め、三四人の水
夫と水兵を殺し、一七一人を傷つけた。
 

*イスラエルはその唯一の恩人であるアメリカに対して癇癪を起こし、あらゆる侮辱と軽蔑
を与えている。特にアラブの地域に我々の金で違法なユダヤ人の施設を建設するなどはその最たるもの
である。エド、我々アメリカ人はわが国に於いてはこのような犯罪も非道も許しては居ない。しかし、
わが国の政府や納税者ばかりでなく、クリスチャンさえもがイスラエルに関しては寛容であり大目に見
るのである。これは一体どうしてなのだろうか。それは「神の選民』はどんな事でも責任や罰則なしで
やっていいと言う事なのだろうか。エド、君は我々聖書を信じるクリスチャンがイスラエルと世界のユ
ダヤ人に成し得る最も価値ある援助は、モーセやエリヤやエレミヤやイエスやヨハネやパウロのように
大胆に彼らの罪を宜告し、彼らがイエス・キリストこそ彼らのメシヤだということを受け取ることを助
けることだと言う事に同意できないだろうか。エド、君がなおその誤りに満ち、感傷的で、偏った『栄
光あるイスラエル』プロクラムを続けるなら君は君の良心を腐らせ、イスラエルの苦悩と失敗を長引か
せ、世界に福音を伝え、罪人は地獄に落ちると宣言するイエス・キリストの教会の使命を妨害する事に
なるだろう。エド、私は君ともっと話し合いたいものだ。
 
 
 

ダヴィンチの最後の晩さんは反キリスト画

最近、私はある人から大きなレオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」の絵をもらった。もちろん原画
はすでに原形をとどめていないがそれでもそれはかなり原画に近いものと思われた。私はその絵をしげ
しげと見た。実は私にはかねてから一つの疑間があったからである。かなり以前に私はダプィンチがホ
モセクシャルだと言うことを聞いた。そして、テレビの番組でもあの「モナリザ」が実はダヴィンチの
自画像と一致すること。それはダヴィンチの女性志望の表れであると聞いた。では、なぜそのようなダ
ヴィンチがキリストを礼讃するような絵を描いたのだろう。同性愛は聖書が厳しく禁ずる罪である。も
ともと同性愛に当たる英語のソドミーは同性愛の町であり、その罪ゆえに神に滅ぽされたソドムの町の
名に由来している位である。ダヴィンチはその事をよく知っていたはずなのだ。

それなのに何故?そん
な疑間をもって絵を見た途端にはっきりとダブィンチの意図が読み取れたのである。
  それはイエスの向かって左に座っているヨハネである。御覧のようにこれはどうみても男性ではない。
よくて今流行のニューハーフ。なんとなく最近テレビをにぎわせる女の化粧をしたコーラスクループの
一人に似ていると思った。私は回りの人々にその絵を示し、このヨハネをどう思うかと聞いてみた。そ
の反応は一○○パーセント「女性でしょう」というものだった。ダヴィンチはこの名作とされる「最後
の晩餐」の絵で何を言いたかったのだろうか。それはイエスとヨハネがホモセックスの関係にあったと
言う事である。聖書はヨハネについて「イエスに愛された弟子」と言う言葉を何度も使っている。ヨハ
ネ自身もその著書で自分のことを「ペテロはふり返ると、イエスの愛しておられた弟子がついてくるの
を見た。この弟子は、あの夕食のときイェスの胸近く寄りかかって、「主よあなたを裏切る者は、だれ
なのですか」と尋ねた人である」ヨハネによる福音書21章と紹介している。しかし、これが同性愛を
現すなどと知ったらヨハネ自身が仰天するに違いない。新約聖書の書かれたギリシャ語には『愛』と言
う言葉がおもに三種類ある。一般的な人問同士の愛、男女の情愛などはエロスである。次に母親の愛と
か兄弟愛、愛国心などは
フイレオーという。さらに気高い愛はアガパオである。
 
 

この言葉を聖書は我々のような罪人を愛し、そ
のために命を捨てた神の愛、キリストの愛に使っている。それは無私の愛、価値なきもののために死ぬ
犠牲の愛である。そして、この箇所に使われた「愛」はこのアガパオである。これは決して人間同士の
情愛、ましてや同性愛などに使う言葉ではない。また、「イエスの胸近く寄り掛かった」という表現は
確かに誤解を招くものであった。これは近年の研究で、イェス在世当時、食事の時、ローマの慣習で横
に寝そぺって互いの頭を前の人の胸の近くに置くような形に円形を描くように配置した事によるのであ
る。実は近々ニューョークで「キリストの聖体節」という劇が上演されるが、これはキリストを含む一
二使徒団が互いに同性愛だったという極めて冒涜的なものである。
 
 

これは常に同性愛者間の言い訳のよ
うに使われる話なのである。キリストは女性とも男性とも情を交わすような事は有り得ない。巷に言う
キリストがマグダラのマリヤと結婚して子を成しその子孫がアスター家だなどという話は、我々キリス
ト者にとって身の毛のよだつ話である。いわんや同性愛だったなどという話は、目にすることも忌まわ
しいのである。だから本当はこんな話をしたくはないのだが、ダヴィンチの悪巧みをあばき、教会の無
知を知らしめるために、私はまたしても嫌な仕事をしなければ
ならないのである。イェス・キリストは全能の神である。
 

全能の神が人間の女などと結婚するわけがな
い。まして同性愛者であるわけがない。これが正真のキリスト者の常識である。さて、こうしてダヴィ
ンチがニタニタと薄ら笑いをしながら描きあげた「最後の晩餐」は有名になり、その複製は全世界の教
会の壁に、クリスチャンの居間に飾られることとなったのである。サタンはどんな得意になっているこ
とだろう。「見ろよ、クリスチャンの馬鹿どもが、主と仰ぐキリストがホモだと言う事を表す絵を、あ
んなにも後生大事に飾っている。全くクリスチャンを騎すことほど簡単な事はない」さて、私が「最後
の晩餐」の絵をここに引っ張りだしてきたのには訳がある。サタンの欺きはダヴィンチで終わったわけ
ではない。実際、クリスチャンと話していて本当に嫌になるのはほとんどのクリスチャンがサタンを聖
書の中だけの登場人物かさもなくば愚にもつかないたわごとにしか思っていないことである。
 

今日、キ
リスト教会にサタンは強力に浸透している。ローマ・カトリックはすでにその最高府がサタンの手に落
ちた。カトリックの場合、下層の教職者、尼僧、一般信徒にはまだキリストを信じ忠実に生きようとし
ている人々もいないわけではないが、法王庁以下の
高位高官はほとんどサタンの手の者であると見て問違いないと思う。一方、プロテスタントにはかなり
手こずったようである。しかし、まず一九世紀から聖書そのものを攻撃することが始まった。ついで進
化論によって動揺させられた。この辺でほとんど伝統的教派の信仰の実が失われてしまった。二○世紀
に至って新しい信仰の波〃ペンテコスト派〃が生まれた。これは聖書に書かれている事は今日も全く同
じように起こる筈だと言う信仰であった。
 

そしてこの教派は病の癒しや超自然的な事を信じた。それ自
身、キリスト教のリバイパルであった。教会は隆盛し力強い伝道が成された。しかし、エデンの園のよ
うにいつも神の働かれるところにはサタンはいる。サタンはこの派を重点的に攻撃することと決めた。
この教派には沢山のwitchたちが訓棟されて送り込まれた。前述のシスコ・ホイーラーさんの父親はこの
ペンテコスト派の最大派閥の聖織者だった。彼は3歳の実の娘をレイプしあらゆる汚れと残虐とでマイ
ンドコントロールをしたサタニストであった。そして、そのようなサタニストが聖職者のローブを身を
まとって今も沢山働いているのである。中でも有名なのがキャサリン・クールマンである。ある本(注
参照)にキャサリン・クールマンは最高位のwitchであるというのを読
んで仰天した私は、事の真相を確かめるぺく彼女の墓を見にいったという話はすでに前の本に書いた。
 

ところが驚いたことに私の仲間たちのほとんどがこの事を無視するのである。彼らはキャサリン・クー
ルマンがフリーメーソンの三三階級であろうと、憎むべきWitchの頭目であろうと関係ないというのであ
る。(注*この本を書いたと思われるトッド氏は元イルミナティの高位の家系の人物だったがイルミナ
ティを脱退し、イルミナティを告発した。しかし、何らかの罪で捕らえられ、牢獄からスプリンクマイ
ヤー氏に救助を求めてきた。彼は最初いくばくかの金を送ったが、間もなく釈放されるためにかなり高
額の金が必要だと電話してきた。しかし、彼にはそんな金は用意できないと言うと電話は切れた。その
後、トッド氏は釈放されたが、それっきりその行方は知れない。
 

スプリンクマイヤー氏にある人の情報
として、釈放されると同時に誘拐され、ヘリコプターで大西洋の沖合はるかに連れてゆかれ落とされた
のだと言う話が伝えられた。とにかくトッド氏の消息はその後全く聞かれない)witchには二つの系統が
ある。一つは三世代以上に渡ってwitchの家系であること。もう一つはその本人からでも認めると言うも
のである。しかし、少なくともGreatest witchであるためには前者でなければならない。そして彼らは、
幼い時から訓練を受ける。女性の場合、若い時に必ず娼婦にならなければならない。これはいわゆる古
代の神殿娼婦の名残で自分の身を捧げてサタンに奉仕するためである。そして必ず人血を飲む儀式を何
度も行っているはずである。
 

キャサリン・クールマンも必ずこの全てを行っていたはずである。一九九
五年六月、キャサリン・クールマンの墓を見つけに行った私は、奇跡的に発見することができ、それを
見ることができた。その墓はロスアンジェルス市のグレンディールにあるフォレストローン墓地の、一
般には公開されていないプライペイトゾーンの中にあり普通では入ることはできない場所だった。しか
し、私は神の導きによりそこに入り、写真も撮ることができた。もちろん写真の撮影も禁止されてい
た。当初、私はこれらの写真は公表しないつもりだった。

しかし、あまりにもクリスチャンの反応が鈍
く、相変わらずサタンの惑わしのなかに入り込んでいるので、あえて危険を犯して公表することにし
た。キャサリン・クールマンの墓のあるそのプライペイトゾーンはフリーメーソンの墓地である。そこ
には御覧のように沢山のフリーメーソンの印をつけた墓があった。キャサリン・クールマンの墓はその
墓地で異例の大きさで最大の物だった。その墓地の墓は全て同
一規格でグランドマスターらしい人の墓よりも大きかったのでそれだけでも彼女の位がどれ程のものか
分かるようだった。彼女の墓には幾つかの特徴がある。
 

大きさもさる事ながら、普通必ず生年と没年が
書いてあるのに彼女の墓には没年と珍しいことに月日が書かれていた。しかし、これはwitchが何千年も
生きていると言う信仰を持っていることを考えれば納得できる。彼女は一九七六年二月二○日、死んだ
のではなく暫くの間、別の世界に行っただけだと言う意味なのではあるまいか。さらに、Kyatharin 
Kulumanという二つのKの他に真ん中になぜかもう一つKという文宇があった。これはその時点では分か
らなかったが、今にして思えば3つのKを現したかったのかも知れない。KKKである。Kはアルファベッ
トの11番目の文字で三つで三三になる。
 

彼女は自分が三三階級だったと言う事を言いたかったのではあ
るまいか。私がどうしてキャサリン・クールマンにこだわるのかには理由がある。近年、このキャサリ
ン・クールマンの霊感を受けたと称する連中がアメリカ、日本で活躍しているからである。中でもべニ
ー‐ヒンという怪しげな伝道者はキャサリン・クールマンの墓で特別な霊感を受けたと広言している。
彼はどうしてそこに入ることができたのだ。フリーメーソ
ンか親族以外には入れないはずなのだ。彼は一体どんな霊感を受けたのだ。この他、フレーソン、アナ
コンディア、ハンター夫妻など沢山のキャサリン・クールマンの弟子を自称する連中がキリスト教会を
どこか見知らぬ国に連れて行こうとしている。
 

私はそれと知らずにフレーンンの大会の手伝いをしたこ
とがあるが、彼が明らかに怪しげな手つきで会衆を操ろうとしたのを見た。そういう大会では、何時間
も、泣くもの、倒れるもの、叫ぶもの、笑うもの、犬猫牛馬の真似をするものなどが出てくる。これを
クリスチャンは霊の解放と呼ぶのだから話にならない。どうしてこんなに馬鹿にされても分からないの
か理解できない。ベニー・ヒンはオーストラリアの大会で「神の三位一体にはそれぞれ三位一体があっ
て、全部で九位一体だ」と発言して物議を醸した。彼はその後「誤りだったった」と訂正したが、こん
な事は訂正して済むことではない。クリスチャンならそんな間違いは決して犯さない。三位一体はクリ
スチャン信仰の基礎の基礎。それなくしては「救われた」とさえ言えない。ベニー・ヒンは「誤りだっ
た」ではなくて「私はクリスチャンではなかった」と告白すべきだったのだ。私はこの事を私の機関紙
『Count Down』に書いた。するとその内容が回り回
ってベニー・ヒンの所に届いたらしい。間もなく彼はペンテコスト派の最大派閥から脱退した。私に言
わせれば、こんな男を聖職者にしていたこの派の米国の指導者たち全員がやめるべきだ。いずれ神の前
で本人たちが責任を問われるに違いない。次にその号をそのまま載せることにしよう。