今やアメリカの国教はユダヤ教

もう遅いかもしれない。すでに無神論者、ユダヤ教徒、ヒューマニスト、革命家、マルキストたちがア
メリカのキリスト教の伝統を舞台裏に押し込んでしまった。クリスチャンたちは大きな忍耐と理解をこ
れらのむさぽり食う奴等に示してきた。そしてJudeo
・Christian(ユダヤ・キリスト教)という言葉も彼らが言うままにしてきた。しかし、悪が善を圧倒
し、誤謬が真理を庄倒するような勝利は、一時的であり、決して真理と正義のための完全で妥協しない
攻撃を神の民が捨てる理由にはならない。私たちはアメリカがキリスト教の伝統の世界であり民族であ
った事を思い出し、我々の祖先たちが、キリストと彼の言葉のために戦った戦いを戦う必妻がある。ア
メリカ合衆国は神がアメリカ自身の民と、世界の人々の間にキリスト教の目標を成し遂げるために、信
仰とヴィジョンとクリスチャンの犠牲を通して存在せしめた国である。
 

建国の父たちはクリスチャンであってユダヤ教徒ではない。アメリカを最初に探検し定住した人々のグ
ループはクリスチャンであった。彼らは聖書を信じる人々であった。彼らは旧約聖書と新約聖書の両方
を神の言葉と信じる人々であった。彼らが家を建て、コミュニティーを作り、町を州を、そして国家を
作ったのは全て神の助けによったのであって、どこにもその一部分も、付加も、曲解も存在しなかっ
た。彼らはイエス・キリストを王の王、主の主であり、この国をその方の誉れと栄光に捧げるぺきだと
認めていた。彼らは決してキリストを否定し、拒絶する者たちではなかった。彼らこそこの国を信仰と
ヴィジョンと勇気で確立した者たちであった。彼らはその血を注ぎ、命を与え、その他、その信仰の天
的な起源と純粋さを証明して、信じ難い犠牲をも捧げた者たちであった。他のもの、偽りの信仰、偽り
の宗教、偽りのシステムは後から来たものたちだった。

それゆえに、誰であれ上に述べたようなクリス
チャンかその類いの者以外は、アメリカの伝統の創設に参画したと言う事はできない。なぜならアメリ
カの伝統はクリスチャンのものだからである。確かに、アメリカはそのクリスチャンの伝統からはるか
に迷い出てしまったが、依然として、そのために、妥協も調停もなしに戦う事は価値あることである。
 
 

Judeo Christianとは調停と妥協によって押しつけられた熟語である。しかし、妥協は決してクリスチャン
の勝利の鍵とはなり得ない。例えば、税金によって運営されている公立学校(それはもはや〃公立〃で
はない)はヒューマニストによって乗っ取られ、非キリスト教化されてしまったけれども、われわれは
この国のキリスト教と聖書を信じるものに返せというわれわれの要求を一インチでも引き下げてはなら
ない。これらの政府の学校が、創造論を教える事を許されてきたなら、進化論を教える事も許されるべ
きだというのは、この国の学校教育を確立してきた何千というクリスチャン教師のキリスト教信仰への
裏切りと臆病な妥協なのである。公立学校で創造論と進化論を並立して教える〃二つのモデルのアプロ
ーチ〃というものは、アメリカのキリスト教の伝統を単純に分かっていなかった人々の善意から作り出
された奇怪で巨大な鬼っ子である(この手の人々は気まぐれで、霊的な戦いの前線は到底まかすことが
できない人々なのである)。

アメリカのキリスト教の伝統、すなわち我らの創造者であり救い主である
方の言葉は、3○○年間すべてのァメリカの学校のカリキュラムの際だった特徴であった。
私の考えでは、もし我々がアメリカのキリスト教の伝統を熱望するなら、もっともっとキリスト教の学
校を作らなければならない(もちろん我々は公立学校を返せと要求しているのだが)。そして我々の子
供や孫をそこに送るという犠牲を払わなければならない(訳注*公立学校でないと費用が多くかかるか
らだろう)。友よ、あなたはアメリカのキリスト教の伝統に関心が有るだろうか。それなら、キリスト
教学校のために働いてほしい。それはとっかかりには良い場所である。アメリカのキリスト教の伝統を
再建しようとするのは〃王である神のための仕事〃である」
 
 

「もう、遅いかも知れない」。この悲しい言葉は残念ながら真実である。この国のクリスチャンが目覚
める前に、巨大な鉄の鎖がこの国を縛り付けてしまった。この国には、もはやキリスト教の反撃の余地
は残されていない。それどころかデイル・クローリー氏が知っているか知らないのかは分からないが、
この国にはクリスチャンを収容する数十か所の強制収容所、数千の運送用の専用貨車、そして信じ難い
ことに数千数万のギロチンがすでに用意されているというのである。……どうしてそうなってしまった
のだろう。私はアメリ
カのクリスチャンを知っている。それは善意と愛に満ちた人々である。もっと言えば、おひとよし、イ
ノセントである。時に余りにも善意の押し売りと、全く直る当てのない、そして自分では決して気付か
ない白人優越意識はあるが(時には辟易する)、しかし、その本筋は日本人には決して理解できない優
しさと善良さがあるのである。

近年、我々のところに届けられるアメリカのイメージはハリウッドとニ
ュースメディアが作ったバイオレンスアメリカであるが、アメリカの根っこは相変わらず善良な人々で
ある。私はそれを今でも実感することが多い。しかし、それはアメリカのキリスト教の指導者がキリス
トの言葉を忘れているからである。キリストは弟子たちに「ヘびのように聡く、鳩のように素直であ
れ」と言われた。指導者たちはその会衆にこの言葉の前半を忘れて、後半だけを教えてきた。おかげで
サタンは、クリスチャンの香りのブンプンするこの国で、勝手気まま、傍若無人に振る舞い、巨大な城
塞を築く事ができたのである。間もなく我々はアメリカにフランス革命の再現を見ることになるだろ
う。フランス革命の主力だったジャコバン党はジェイコブすなわちユダヤ人の集団だったが、今度も、
そしてもっと明白にユダヤ教がその理論的背景をなすことだろう。
 
 

懐かしくもギロチンがアメリカの町の至る所にうなりを上げ、何百万人のイノセントクリスチャンの首
が転がることになるだろう。そんな馬鹿なといわれるだろうか。聖書の黙示録二○章四節にこのような
言葉がある。「また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして彼らにさ
ばきの権が与えられていた。また、イエスの証しをし神の言葉を伝えたために首を切られた人々の霊が
そこにおり、また獣をもその像をも拝まず、その刻印を額に受けることをしなかった人々がいた。彼ら
は生き返って。キリストと共に千年の間、支配した」
 

あるとき私は、なぜここは「殺された」ではないのか、なぜ「首を切られた」とわざわざ書いてあるの
かと考えた事がある。そして今、余りにも聖書が明白な予言であることに驚いている。さらに驚くべき
ことに、今、アメリカの法律にはこのタルムードの言葉を反映した法律が出来ている。「教育の日」と
いうこの法律によれば、アメリカは「ノアの七つの法」の伝統によって成り立った国であるという。こ
のタルムードにある「ノアの七つの法」に神に逆らうものは首を切れとあるのである。そしてタルムー
ドによればクリスチャンは神に逆らう者なのである。さらに我々はもっと明白なユダヤ人のキリスト教
攻撃に直面している。これこそイスラ
エル、ユダヤ人の本音の表れたものであった。以下に「スポットライト紙」に書かれたウオレン・ヒュ
ー氏の文章を紹介しよう。

一九九七年九月
 

イスラエルでキリスト教の布教は即刑務所

 

 
 
 

聖地でのキリスト教の伝道活動を崩壊させる法律の提出が、合衆国の伝統的なイスラエル援助にピリオ
ドを打たせるだろう。長年に渡る熱心なシオニズムとパレスチナの無慈悲な征服の援護活動にもかかわ
らず、伝道者パット・ロパートソンやジェリー・フォルウヱルらはイスラエルから、もし今このミニ国
家で急いで法律として制定されようとしている議案が通過すれば、「犯罪分子」として締め出されるこ
とになるだろう。強力な労働党とリクードを含む党派の連合によって支持されて、聖地においてキリス
ト教を教えたり広めたりすることは犯罪的な違反として、厳しい服役期問、または市民権の剥奪、国外
追放命今などの処罰を受けるという議案が提出されている。この法案が九八年の終りに法律として制定
されれば、プロテスタントとカトリックの聖職者、補助者、教育者は〃その旅程のうちに公に宗教的な
働きをしたり儀式を行う事はで
きず、まったくただ個人の資格で旅行者または短期の滞在者としてのみ〃イスラエルに入ることを許さ
れる。

この妨害の目的を強調するために、キリスト教の生まれたこの地で、キリストの福音を伝え、説
教することを目的としていると見なされたキリスト教の宣教師や放送伝道者に入獄とその後の国外追放
を含む過酷な罰則が提示されている。西欧のジャーナリストたちが〃驚くべきもの〃であり〃野蛮なも
の〃だと言っているこの法律は九七年中東で行われたモーリス・セルーロによる福音の宣伝と説教の宜
教活動への反動であるという。セルーロは放送伝道者としてよく知られたペンテコスト派の説教者だ
が、九七年の秋にこの地域で福音ラリーを成功させ、一○○万枚のキリスト教宜伝パンフレットの洪水
を浴びせかけたと、最近エルサレムからニューヨークに帰ってきたアイルランド系の特派員ダーモッ
ト・マコンナギーは言っている。

マコンナギーによれば「それはかつてよりもっと強力になっているイ
スラエルのオーソドックスな方面を刺激し、クネセト(国会)にキリスト教を全く禁止するように働き
かけさせた」そして「この法案の精神は、私が通ってきた一九七○年代のソビェト連邦の激しい時代を
思い起こさせるものだ」と言う。親イスラエル活動の最前線にいてかつては熱心に支持していた聖織者
は迷いを覚まされ
たことを隠さずに「この法案は私のようなシオニスト伝道者にとって極めて厳しいものだ」と言う。〃
イスラエルのためのクリスチャン同盟〃の会長デイヴィッド・アレン・ルイスはさらに「それは『な
ぜ、君たちはキリスト教に反対するユダヤ人を援助できるのか』という反セミチズムのクリスチャンの
議論を復活させるだろう」と言う。

ファルウェルもロパートソンも彼らが最も愛する国から押しつけら
れたこのクリスチャン抑制の刑罰について公式には何も解答していない。ロバートソンはイスラエルの
ご機嫌を取るために南レバノンにあるクリスチャンラジオ局を経済支援して親シオニスト・プロバガン
ダに捧げたが、新しい法律によって差し迫った中東の放送ビジネスの閉鎖についての質間には答えよう
としない。ファルウヱルはイスラエルの中東における覇権のバルチザンだが、イスラエルの宗教的な反
キリストへの転換点の激変については国外に出ているのでコメントできないと言っている。マコンナギ
ーは「それは結構だ、せいぜい有効に時間を使うことだ、これは彼の最後のエルサレム訪間になるだろ
うから」と言う。そしてその帰り道にファルウェルはガザに寄るべきだとマコンナギーは付け加える。
「彼が今できる最低限の事は、軍事的に占領され、圧追され、略奪されたバレスチナ・アラブの一般大
衆に謝罪することだ。彼は長年
にわたってシオニズムの宣伝者として講壇から援護射撃をしてきたのだから」
 

わが国の国会議員のイス
ラエルサポーターとして献身してきた共和党のジェセ・ヘルムスや他の者は、彼らのいわゆるパイブル
ベルト(注*キリスト教信仰の厚い地域の意味)の選挙民に、聖地でクリスチャンを圧迫するために捜
索するような民族を、なぜアメリカの納税者が年間何百万ドルも海外援助の補助金を与えなければなら
ないかについて説明しなければならないという困難に直面している。へルムスの報道担当官に何らかの
コメントを求めようとしているのだが一向に成功しない。スポットライト紙はヘルムスの事務所にこの
論議への彼の見解を問い合わせているのだが解答はない。とにかく、長年にわたりクリスチャン連合の
スポークスマンを勤め、狂信的な論争と、反名誉毀損同盟(注*ADL、ュダヤ人の権利を最大限に守ろ
うとする団体、強力な力を持つ)や他の強力な親イスラエルブロックへのごますりに従事してきたラル
フ・リードは彼の昔からの同盟者によってほうり込まれた居心地の悪い状況にもがき苦しんでいると伝
えられている。
 

リバティー・ロビーズ・ボード・オブ・ポリシーの議長バイス・ライアンによれば「過
去に、ファルウヱルやロバートソンや他の者たちは中東における我がアメリカの利益を優先する政策を
取るべきだと言うリパティー・ロビーに批判的だった。しかし、多分クリスチャンシオニストヘのこの
裏切りの法律は我々がこれまで言ってきた事に対して彼らに良い理解を与えるだろう」と言うことにな
る。