ユダヤ人キリスト教徒の隠された使命とは

 

 
 

一三世紀、スペインを支配していたマホメット教徒は北から攻めてきたキリスト教徒によって追放さ
れ、スペインはキリスト教国となった。次いでスペインを完全なキリスト教国としようとしたフェルナ
ンドとイザベラによってユダヤ人はスペインを追放されることになった。ただし、キリスト教の洗礼を
受けてクリスチャンになれば許された。これはおよそキリスト教の本質とはかけ椎れたものだが、当時
の考えでは正しいと考えられたのだろう。この頃、キリスト教に改宗するユダヤ人が沢山いた。その中
には本当に改宗したものもいたが表向きだけの者もいたのである。この偽のクリスチャンをマラノ(ス
ペイン語で豚)と呼んだ。恐らく改宗者のほとんどが表向きだったに違いない。なぜなら、キリスト教
は決して強制されてはなれるものではないからである。

一方、本気でクリスチャンになったという連中
は自分の忠誠心を見せつけるために、激
しく同胞のユダヤ人を迫害した。その一番有名な者がトマス・トルケマーダで、彼の異端審間所の残虐
さは背筋が凍るものである。私はこの男こそ実は最も熱心なュダヤ教徒ではなかったのだろうかと思っ
ている。本当のクリスチャンは絶対にそんな事をしない。「敵を愛し迫害するもののために祈れ」と言
ったキリストが許さないのだから。さて、これはしかし、ユダヤ人の歴史の同情すぺき片面である。確
かに彼らは迫害され、どこにも住むところ無く悲惨な歴史を背負っている。マラノはこの様に強制さ
れ、いやいやながらクリスチャンにならされた民族の悲劇である。ユダヤ人は豚を食べないからわざわ
ざ豚を会べさせて調ぺた事からも来た名前のようである。

さて、しかし、私は一九九八年の今日、強制
されてではなく、自発的になったマラノがいると思う。彼らの目的は何なのか?メサニック・ジューと
いう言薬をご存じだろうか。これは最近一○年ぐらいに、急激に増えたユダヤ人のクリスチャンであ
る。彼らはキリストというギリシャ語では表せない、彼らの救い主メシヤに出会ったという意味でメシ
アニック(メシアに会った)ジュー(ュダヤ人)と自らを呼ぶのである。もちろん彼らのメシアとはイ
ェシュアすなわちイエスである。
 
 

これは、何も変なことではない。聖書でもユダヤ人はいつかはキリストを信じると書かれているからで
ある。あのユダヤ教からの脱却を高々と宣言したバウロがキリスト教の基礎ともいうべき新約聖書ロ−
マ書に書いているのである。今や、このメサニック・ジューは全世界に何十万人ともいわれる規模にな
ってきた。そして、彼らはいろいろなルートでキリスト教会の中に入り込んできている。それは悪いこ
とではない。ユダヤ人が救われてイユスをキリストと呼ぶことに勝る素晴らしい事もない。ただ、なぜ
かクリスチャンがユダヤ人を自分たちの「信仰の兄」と呼び、彼らが「福音のユダヤ性の回復」などと
いう言葉や本を出すに至ると、私のアンテナは敏感になるのである。実際、「福音のユダヤ性の回復」
という奇妙な本は、実に巧妙にキリスト教のユダヤ化、ないしは後退を育んでいるように思えるのであ
る。

また、ここ数年フロリダ州のペンサコーラという町で強烈なリバイバルと言われる現象が起こって
いる。何万人もの人々が救われ、悪い道から改心し、麻薬から解放され、犯罪が滅少している。それ自
体、悪いものではなく、極めて健全なものに見えるのだが、その中心的指導者には幾人かのユダヤ人が
いる。私が、ここまで書くと恐らく幾人もの人々が「なぜユダヤ人ではいけないのか。それは
人種的な偏見で、お前こそ悪いのではないか」と言ってくるに違いないことが私にはありありと分か
る。ユダヤ人で何が悪いのか?私には消えない一つの懸念がある。それはタルムードである。もし、メ
サニック・ジューがタルムードを非難し、そこに書かれているイェス・キリストへの冒涜とキリスト教
徒を殺害することを目的としているこの書を恥とし民族を代表して悔い改めるのでなければ、私には彼
らが本心においてはマラノでありキリスト教会を誤導するために遣わされた蝶者ではないのかと言う疑
いを持たないわけにはいかない。

ここで言うマラノは、強制されてではなくある目的を持って本心を隠
してクリスチャンを装っていると言う意味に置いての言葉である。マルチン・ルターはその改革の初め
にはユダヤ人の助けを受け、自らフリーメーソンであったらしい。しかし、彼が一度タルムードを読む
に及んで(彼はヘブライ語、ギリシャ語に極めて秀でていた)彼のユダヤ人観は一変したという。私は
またしても友人を失うだろう。「君は余りにも疑り深い。君の事を聞いていると希望も信仰もなくなっ
てしまう。なぜ、聖霊に逆らうのかね。神の御業に難癖を付けるのかね。見たまえ、兄弟が和合してと
もに居るのは何と美Lい事ではないか」
 
 

しかし、私はただ一人になっても、ユダヤ人の中にタルムードがあるかぎり「へびのように聡くあれ」
と言われた主イェスの言葉に従いたい。そこで読者のために膨大なタルムードの中からとくに注意した
い言葉を並ぺたテキストを紹介して判断を顧うこととしよう。これはすでにインターネットなどで公に
されているし多くの人々に知らせてほしいという事なので、無断で拝借するがお許し頂けるであろう。
 
 
 

タルムードに生きるユダヤ人を信用で来るか

「この文章の内容はアラン・R‐クリチリーとマイケル・ホフマンにより調査され確認されている。http
//:www.hoffman/1nfo・com
 

エルビン21b 誰でもラビに従わないものは死に値し、地獄の熱い大便の中でゆでられる懲らしめを受け
るだろう。
モードカッタン17aユダヤ人が悪を行うように誘惑されたら、彼は自分が知られていない町に行ってその
悪を行わなければならない。
パパメジア114a−b ただユダヤ人だけが人類である(ただ汝のみ人として選ばれたり)。
カリソス6bの〃油注ぎ〃の副題とペラコス58aに異邦人の女は動物として選ばれた(造られた)とある
(ロパ女)。
サンヒドリン58bもし異邦人がユダヤ人を蹴ったら、彼は殺されなければならない。ユダヤ人を蹴るこ
とは神を蹴ることと同じである。
サンヒドリン57aユダヤ人は異邦人またはクサン(クタ人)の労役に対して賃金を支払う必要はない(訳
注*クタ人、列王記下一七:三ここでは異邦人のこと)。
パパカンマ37b イスラェル人の牛がカナン人の牛を突き殺しても債う必要はない。カナン人の牛がイ
スラエル人の牛を突き殺した場合は支払いは十分行われなければならない。
パバメジア24aもしユダヤ人が異邦人の落とし物を見つけた場合、返す必要はない(パバカンマ23bでも
確認)。
サンヒドリン76a神はユダヤ人が彼の娘を老人に嫁がせたり、幼児の息子に妻をめとったり、異邦人の紛
失物を返さなくてもとがめられない。
サンヒドリン57aユダヤ人が異邦人を殺しても死刑にはならない。ユダヤ人が異邦人のものを盗んでも返
さなくても良い。
パバカンマ37b異邦人は律法の保護の外にある、そして神は彼等の金を〃イスラエルにさらされる。
〃パパカンマ113aユダヤ人は異邦人を罠にはめるために虚をついても良い。
イエパモス98a異邦人の子供は動物である。
アボダーザラ136b異邦人の娘は生まれつき卑猥である。

アボダーザラ22a−b異邦人は雌牛と交尾することを好む。
アポダーザラ‐67b異邦人の食器は彼等の料理に一層ひどい匂いをつけないだろうか。
サンヒドリン106aイェスの母は売春婦だったという。〃彼女は大工と売春婦遊びをした総督の王女の子
である〃。またシャパット104bの脚注#2には〃確認できない〃タルムードのテキストにはイエスの母
マリヤは美容師で多くの男と交わったと書かれているとある。サンヒドリン106にはイエスが若くして
死んだことを満足げに書いている。〃バラム(イエス)は何歳だったとお聞きか。彼は答えた、はっき
りはいたしませぬが書き記された所によれば、この血みどろの詐欺男は彼の従者たちの半分も生きなか
った三三歳か三四歳だったそうじや。〃
サンヒドリン43aイエス(イエシュアまた脚注58にはナザレ人イエシュア)は魔術を行ったので処刑され
たと言われる。
ギソテン57aイェスは(脚注四)熱い大便の中でゆでられている。

サンヒドリン43aイェスは死刑を執行された。〃過ぎ越しの祭りの前夜、イェシュアは木に掛けられた。
彼は自分を防衛することができたはずではないか。たぷらかす事が出
き来なかったのだろうか
ロシュハシャナ17a タルムードを拒否するクリスチャン(minim)と他のものは地獄に行き、永劫に懲
らしめられる(minimについては脚注#11参照)。
サンヒドリン90a新約聖書を読むものは(脚注#九に正典ではない書物とある)
来るべき世において立場はない。
シャバット116a ユダヤ人はクリスチャンの本(新約聖書、脚注#6)を撲滅しなければならない。(イ
スラェル・シャハクによれば一九八○年三月二三日パレスチナでシオニストたちが何百冊という新約聖
書を焼いた。「ユダヤの歴史と宗教」P21)。

ギッテン69a 肉体をいやすためにユダヤ人は家の外の便所の陰のごみを取り、蜂蜜に混ぜあわせて食べ
なければならない(訳注*これは具邦人に対してではないかと思われるが、要するに自虐的になってい
ると言う事なのかもしれない)
シャバット41a 律法は小便をいかに聖なる方法でするかについての規定を与えている。
イエバモス63aアダムはエデンの園のすぺての動物たちと性交を行ったという
イエパモス63a農業は最低の織業である。
ザニヒドリン55bュダヤ人は三歳(特に三歳と一日)の女子と結婚できる。

サンヒドリン54bュダヤ人は九歳にならない子供とでも性交することができる。
ケスボス11b成長した男が幼女と性交しても、別にどうということもない。
イエパモス59b獣姦をした女でもユダヤ教の祭司と結婚する資格がある。悪霊と性交した女でもユダヤ
教の祭司と結婚できる。
アボダアゼラア17b世界にラビ・エリエゼルと性交をしなかった売春婦はいない。
ハギガー27a地獄に行ったラビは一人もいない。
パパメツイア59bあるラビは神と討論し彼を打ち負かした。神はラピに負けたことを認めた。
ギッテン70a戸外の便所から帰ってきたときは、半マイル歩くだけの時間、性交をしてはならない。もし
そうするなら便所の悪霊が一緒にいて、彼の子供はてんかんになる。

タルムードは全巻を通して便所と大便の脅追観念にとりつかれている。それはスビルパークの「シンド
ラーのリスト」にも表れているようにハリウッドの監督はユダヤ人の子供が便所で便器を飛び越して肥
だめの中に落ちたさまを描いている。一人のユダヤ人の子供が半分肥えだめに埋まっている二人のユダ
ヤ人の子供に出会う、彼らは通報者の事を聞い
 
 

たので、とりあえずそこに隠れていたのである。前の子供もそこに隠れないわけには行かなかった。こ
れらのいやらしい不健全な類いの心理的なイメージはホロコーストの映画やその類似のこと、さらには
タルムードの中にすら表れる〃礼拝〃としてユダヤ人の子供が常にさらされているものである(訳注*
そうかもしれないが、実際にユダヤ人にはそういう歴史があったのだろうから同情も感じる。ユダヤ人
の脅追観念の全てを否定することは出来ないと私は思う)。

ギッテン69b(p239)肋膜炎を癒すために、ユダヤ人は白い大の糞をパルサム油とこねて会ぺなければ
ならない、しかし、もし手足を緩める事ができるなら犬の糞を食ベてはならない(訳注*意味が良く分
からないのだがこうとしか訳せない)。
ベサヒム111a犬と女と椰子の木が二人の男の間を通り抜けることは許されない。また、犬と女と椰子の
木の間を通り抜ける事もあってはならない。女が生理のときと十字路に座っているときは特別に危険で
ある(訳注*恐らく真面目な読者は犬と女と椰子の木の関連性が分からないかもしれない。これは単に
女性を馬鹿にした表現である)。
メナホス43b~44aあるユダヤ人の男は毎日こう祈ったと非難されている、「神よ私を異邦人や女や奴隷に
お作りにならなかったことを感謝します」
 

シャパス86aーbュダヤ人は聖いから昼間は部屋を暗くする事ができなければ性交をしない。ユダヤ人の
学者は昼間でも彼の外套をテントのようにして暗くする事ができれば性交をする事ができる。
タルムードには二つのホロコーストに関する昔話がある。ギッテン57bはベサーの町でローマ人によっ
て四○○万人のユダヤ人が殺されたと主張している。また、ギッテン58bは一六○○万人のユダヤ人の
子供がローマ人によって巻き物に巻かれて生きながらに焼き殺されたと主張している。古代の人口統計
によれば、その時代、世界中に一六○○万人のユダヤ人の子供どころか四○○万人のユダヤ人も居なか
った。

アポダーザラー70aラビに質間が寄せられた「バンペディサの町で用いようとしていたワインの一部が盗
まれたか汚された場合、泥棒が異邦人だとしたらどうすれば良いか」(異邦人がワインに触れた場合そ
れは汚れるから)「別に気にすることはない」とラビは答えた「そのワインはユダヤ人が用いても構わ
ない。そのワインがバンペディサの町で盗まれたのだとしたら、バンペディサの町の盗人はほとんどユ
ダヤ人だから、それを盗んだのはユダヤ人だ」(訳注*これなどは単なるューモアに過ぎないと思う)
エルビン21bある人にラピ・アキバが言った。「手を洗う水をくれないか」相手は
「飲むにも足りないのです、あなたの手を洗うためには十分ではありません」とつぶやいた。ラビ・ア
キバは言った。「ラビの言葉を無視することは死に値する。私は自分の同僚の意見に逆らうくらいなら
自殺するほうがましだ」(これはイエス・キリストがマタイー五:一九で非難した儀式としての手洗い
の事である)

カラー51aは神が嘘つきのラビを認めると教えている。ある時、長老が町の門に座っていると二人の若者
が通りかかった。一人は頭にかぶり物をしていたがもう一人はしていなかった。ラビ・エリエゼルはか
ぶり物をしていない若者を評して「彼は私生児だ」といった。ラビ・ジョシュアは「彼はニダーの子
だ」と言った。(ニダーとは生理中に妊娠した子のこと)ラビ・アキバは「彼は私生児でニダーの子
だ」と言った。彼らは「あなたはなぜ同僚の意見を否定しようとするのか」と聞いた。彼は「私は彼の
事について証明しよう」と言い、その若者の母親の所に行った。彼女は市場で豆を売っていた。彼は彼
女に言った「娘よ私の質間に答えるならあなたを来るぺき世(永遠の命)に連れていこう」彼女はラ
ビ・アキバに「どうぞ言って下さい」と言うので、彼は一年に一回のくちびるの誓いをして「あなたの
息子について話しなさい」と言った。彼女は答えた。「私が初夜の寝室に入ったとき、私は生理中でし
た。それで私
の夫は私を近付けなかったのです。しかし、私の愛人が抱いてくれたので彼の子を生みました」結局、
その若者は私生児でニダーの子だった。かくして「ラビ・アキバに秘密を明かされたイスラエルの神に
栄光あれ・…・と宣言された。この話につけ加えると、神がほめたという先の討論の嘘つきたちの言っ
ているのは、イエス・キリスト(かぶり物をしていなかった若者)の事である。この若者の母とはもち
ろんイエスの母、神の祝福されたマリヤの事である(タルムードではミリアム、または髪結いのミリア
ムと言われている)。
 

ソフェリム15  Rule10これはラビ・シモン・ベン・ョハイの言葉である。〃トブシェバゴイムハーログ
〃「最善の異邦人でも殺さなければならない」この言葉はソンシノ版には出てこないが、一九○七年版
のユダヤ百科事典に引用されているバビロニアンタルムードのヘブル語原典にある(上記のユダヤ百科
事典はファンクアンドワグナルズとイシドール・シンガーによって編集された〃異邦人〃の項目にあ
る。P六一七)。このタルムード原典の言葉は翻訳では隠されている。ユダヤ百科事典は(多くの翻訳
の記事が変えられているとして)
〃エジプト人の間の最善のもの〃も一般的には取り替えられているとある。ソンシノ版ではここは〃異
邦人の間の最善
のものも〃となっている。

イスラエルでは年毎にシモン・ペン・ョハイの墓に詣でる国家的な行事が行
われ、非ユダヤ人の絶滅を主唱したこのラビを称える(Jewish Press June9、l989、P56b)。一九九四
年四月二五日プリムの祭り*の日にブルックリン在住のイスラエルの陸軍軍人でオーソドックスカザー
ルのバルーシュ・ゴールドスタインは子供を含む四○人のバレスチナ市民を殺害した。彼らはモスクで
ひざまずいて礼拝していたのである。ゴールドスタインは晩年のラビ・カハネの弟子だった。カハネ:
タルムードの解釈ではアラブ人は〃犬〃である(Cf. CBS六○分番組カハネより)(訳注*プリムの祭
り:旧約聖書エステル記から、王妃エステルがユダヤ人を皆殺しにしようとしたペルシャの大臣ハマン
の策略を破り、逆にユダヤの敵を殺した記念の祭りのこと)。
エルサレム大学の教授ユフド・スプリンザックはカハナとゴールドスタインの哲学について「彼らはゴ
イム(ヘブル語の言棄で非ユダヤ人のことだが)に対して暴行を加えることは神の意志だと信じている
のだ」と述ぺた(NY Daily News、Feb。28、l994、P6)。
 

ラピ・イッハク・ギンスバーグは言った。「我々はユダヤ人の血はゴイ(異邦人)の血と同じものでは
無いと言う事を認識しなければならない」(NY Times、June 6、1989、P‐5)また、ラビ・ヤアコ
ブ・ペリンは「一○○万人のアラブ人は1人のユダヤ人の指の爪にも当たらない」と言っている(NY 
Daily NewS、Feb 28、1994、P6)。
現代の法王たちやプロテスタントの牧師たちで、かつて一人もユダヤ教のラピたちに、タルムードを拒
否し非難することを要求したものはいない。それどころか、教会の指導者たちはキリストに従う者たち
を激励する代わりに、タルムードに従う者たちをほめたたえ支持したのである。それゆえカトリックと
プロテスタントの指導者たちは今日、地上で最悪のイエス・キリストへの裏切り者たちである』

たとえこれがそのほんの一部分だったにしても、この便所の落書きみたいなものが、一つの宗教の経典
なのである。一体そういう宗教とはどんな宗教なのだろうか。それは宗教と呼ぶぺきものなのだろう
か。また、このタルムードを「人類の叡智」などと褒めたたえた〃宗教者〃は何を考えて居
るのだろうか。もし私がユダヤ人でキリストを信じたら、真っ先にこのタルムードを恥じて、謝罪を表
明するだろう。さらに、このタルムードを信奉するマービン・トケイヤーのような人物と親交を結んだ
と嬉嬉として報告する馬鹿者もいる。私の言っていることに何か間違いがあるだろうか?そう思うなら
もう一度読み直してほしい。私はこの文書の最後の言葉をそのままメサニック・ジューとたわむれるク
リスチャンたちに投げ掛けたい。あなたは裏切り者ではないのか!

ユダではないのか!私はこの本を書
くことによっていよいよ人種差別主義者とよばれ、すぺてが危うくなるだろう。もし私が欧米に住んで
いたら、ただちに監獄行きとなるだろう。幸いに日本にはまだ人種差別法がないだけの話である。しか
し、いつの時代でも本当のことを言うのは命懸けなのだろう。私は私のようなものの命が真実を明らか
にするなら、いつ取り去られてもいとわない。私は当初、この後にマルチン・ルターの「ユダヤ人と彼
らの嘘」というバンフレットを出来るだけ詳しく載せるつもりだった。彼はユダヤ人をあますところな
く論述している。ルターはさすがに天才である。その舌鋒は鋭く、理論的であり、彼以外にはこの様な
もの を書く事はできなかったに違いない。

いや、もう一人居た。おなし宗教改革の勇、カルビンもあまりの
非道、不遜にあきれ果てユダヤ人の指導者を焚刑にしたが、やはりユダヤ人を知っていたのであろう。
しかし、私はこの書を載せないことにした。それがあまりにも長いこともあるが、あまりにも優れてい
るからである。それはあまりにも事実をえぐり出しているからである。あまりにもヘビーなのだ。まる
でへどろの山を移し変えるような作業なのだ。最初この書を読んだときも、その後も、読むたびにいつ
も私は暗い陰欝な気分にさせられる。どんなにルターが正しくても、これほどひどい話は愉快なもので
はない。出来れば知らないで過ごせればそれに越したことはないのかも知れないがそれは卑怯者の結論
だろう。私は、読者がこの書を自分で購入して読まれることをお勧めする。そうすれば私の気持ちが分
かって頂けるであろう(歴史修正研究所出版部新潟市大島二六の四、一部一八一○円送料別)。さて、
いまわしい結論だが、今、我々に何が出来るというのか。この世は完全に彼らに握られてしまった。こ
の日本でさえ、ユダヤに関する批判はもはや大ぴらには出来ない。この国の支配者はだれなのか。今、
我々は自民党や小渕恵三氏の悪口なら何の妨げもなく
言う事ができる。
 

しかし、ユダヤに関しては〃良いことも悪いことも〃言えないのである。昔から本当
の支配者の悪口は言えないものだ。だから、もう一度言うがこの国の支配者はだれなのか。私は結局、
これは神にしかできない事なのだと思う。ユダヤ人を裁くことは人間には出来ないのだろう。彼らがど
んなに悪辣で、残虐であったとしても、もはや人には彼らを裁く力は無い。これはこの章の目的とは反
対の方向の結論となってしまったが、事実は事実、認めなければなるまい。今、我々に出来る最善のこ
とは、物事の本質を見誤らない事である。ユダヤ人のやることの何が正しくて何が間違っているのか。
世界がいかなる原則で動かされているのか。そうでないと我々自身が発狂しかねない。ユダヤをそのま
ま受け入れる者は、確かにその目が濁り、気が転倒しているのだ。今や歴史は逆転した。これからはク
リスチャンがユダヤ教に転ぶだろう。おそらく、
二○○○年からマラノはクリスチャンの呼び名となるだろう。