世界の雄アメリカの破局は時間の問題

昨年、アメリカ南部の小さな町に七日間程滞在する機会が与えられた。今までサンフランシスコ、ロス
アンゼルス、ハワイと西海岸地方には行ったことがあったのだが、内陸それも南部に行くのは初めてだ
った。その最大の目的は最近めざましい信仰復興(リバイパルと言う)の報告が来ている、ある教会を
訪ねることであったが、その他に、私なりにある疑問を解決したいと思ったことがあった。それは次の
三つである。
一本当にアメリカに、伝えられるような危機が迫っているのだろうか。
二もし本当ならなぜそうなるのか。フリーメーソンとイルミナティの実態は。
三もし本当なら、なぜ神はその様な悲劇を容認されるのか。
近年、私の所に来るアメリカに関する情報は余りにも過激な報告で自分でも不安になってきていた。こ
れらの過敷な情報のどれほどが真実なのだろうか。もしかしたら単なるデマ情報のイエローペイパーな
のではないだろうか。
 

西海岸のポートランドを飛び立ってダラスに近づいたころ、窓外を見て驚いた。一万メートルの上空で
見ても、地平線の果てまで山も海もなく平野なのである。日本だったら必ず山か海が見えて、平野など
ほんの少ししか見えない。空港に着陸する時また驚いた、広いのだ。まるで一つの市がすっぼり入って
しまうような広さなのである。滑走路も四本以上はあるのだろう。こればっかりは実際に体験してみな
いとなかなか実感がわかない。目的地の小さな町の空港も成田空港より広かった。そして、その後この
広さが非常に重大なものだと思うようになった。小さい所に住んでいる人間には、実際に見てみないと
大きさというものは決して判らないものだ。町は緑豊かでハイウェイに沿って美しい店や家々が点在し
ている。全てがのびのびとしている。驚いたことにハイウェイは街を出ると上下線の間に五○ー1○○
メートルの分雛帯があり、そこは森林となっている。日本で分離帯を五○ー1○○メートルも取ること
なんて考えもしないことだ。私が訪ねた方の住宅地では最低の区画が六○○坪であった。

しかもその土
地は一坪(ああなんと情けない単位か)一○○○円だったというのだ。だからショッビングセンクーだ
って数万坪の広さである。そして格納庫のように巨大な店内は世界各地からの安い品物であふれ返って
いる。
アメリカから見た日本はいかにも貧しい。日本の高速道路はどうしてあれほど高いのか。アメリカは全
てフリーウェイ、只である。とにかく嫌になるほど豊かだ。それはまた食生活にも言える事で、日本の
三〜四倍の量を食ぺている。もっともそのためにビヤ樽のような人間を沢山見たので良い事か悪い事か
はちょっと判断しにくい。人間は満ち足りているとき変化や転換は望まないし、その様な事を考えたく
ないものなのではあるまいか。南部はまた信仰の地域でもある。立派な教会がそれこそ至る所にあり
(それがまたほとんど同じ作り)人々は日曜ともなると着飾って教会に集う。

白人と黒人とはやはり分離しているが、善良で純粋な信仰が保たれている。さらに驚くのは二四時間キリスト教放送をしている
テレビ、ラジオの存在である。いつでもどこでもキリスト教に触れることができる。過剰、過保護とも
思える徹底ぶりである。CD、VIDE○、テープ、そしてテレビ、ラジオ伝道者の呼び掛けに応じて捧げ
られる金額は膨大なものであろう。この国は歴史上始まって以来最大のキリスト教国であり、最多の宜
教師と献金を外国に送り出した国でもある。先に書いたリパイバル教会などは朝二時から並んで午後七
時の開場を待つ長い列が出来ている。毎日、熱狂的な賛美歌と説教がなされ二○か月で一○万人が信仰
の改心を告白している。

これがまさにアメリカの良心である。一体、アメリカには何人ぐらい牧師などの聖織者がいるのだろうか。仮に二億五○○○万人の五割がクリスチャンとして(内容はともかく)一億二五○○
万人。一つの教会を一○○人として計算すると一二五万人の聖職者がいる事になる。もちろん各教会の
人数はそれ以上かもしれないが、案外小さな教会もあるから妥当な所ではないだろうか。一二五万人の
専門職がいる産業はほかに何があるだろうか(尚、日本では教会数約八○○○、信徒数八○万人、聖職
者数二万人)。とにかく、その気になれば二四時間いつでもキリスト教の放送、音楽、説教を聞くこと
ができ、二四時間体制でカウンセリンクを受けることができる。恐らくかつてこれほどキリスト教が栄
えた国はあるまい。キリストは自分の教会が栄えると、その木に鳥が住むようになると言われたが、ま
さに栄えた教会には多くの鳥が住むようになった。
 

アメリカのテレビに出てくる有名な牧師のうち少な
くとも次の人々がフリーメーソンの高位のメンバーである。ノーマン・ピンセント・ピール、オーラ
ル・ロバーツ、パット・ロパートソン、ロバート・シュラー、ビリー・グラハム、ジェリー・ソォルウ
エルこれらの人々は数あるテレビ伝道者の中でもスター的存在であり、多額の(恐らく年間
何百憶円)献金を集め、確かに良い活動もしている。例えばバット・ロバートソンはボーイング707?
を病院にしたF1ying Hospitalを運行している。ノーマン・ビンセント・ピールによって精神的な圧迫か
ら逃れ積極的な生き方を学んだ人々も多いだろう。

その他にも彼らが悪い事よりも良い事をしていると
いう印象の方が多いに違いない。実際、幾つかのテレビ番組を見ても彼らは一応キリスト教を伝えてい
るように見えるのだ。しかし、ロパート・シュラーやノーマン・ビンセント・ビールの場合、キリスト
教の福音の説教というより可能性思考のガイダンスといった感じであった。いずれにしてもこの国でキ
リ入ト教の聖職者は一つの社会的ステイタスであり、巨大な権力である。それだけに聖職者のガウンを
まとえばサタニストだろうと霊媒だろうと何でもできるとも言えるだろう。あまりにも大きくあまりに
も雑多でフリーメーソンが何だ?イルミナティ?そんなものは知らないよ、ぐらいで終わっているのが
現状のようだ。もちろん、全ての人類に減亡の可能性はあるのだ。

しかし、私はここ数か月伝えられる
アメリカの減亡、強制収用所、核攻撃などのあまりにも過激な情報を吟味しその可能性を知りたいと思
ったのである。旧約聖書エゼキエル書三八〜三九章は、私の最初の本に書いたようにロシアがイスラエ
ルを初めとする中近東に攻め込むという詳細な予言である。ところがある聖書研究者から送られてきた
パンフレットによると、ここは有名なキング・ジェームス・バージョン(KJV、英語の最大の訳、欽定
訳)では同時に二つの作戦が行われていると読めるのだそうである。特に二節の「わたしは、無防備の
村々の地に上り、穏やかにして安らかに住む民、すぺて石垣もなく、貫の木もない地に住む者どもを攻
めよう」という箇所は現在のイスラエルには当てはまらない。

イスラエルは完全武装しておりこの言葉
とはほど遠いという指摘があった。たしかに「無防備の村々の地、穏やかにして安らかに住む民、すぺ
て石垣もなく、貫の木もない地に住む者ども」というこの言葉ほど現在のアメリカに当てはまる言葉も
ない。ほとんどのアメリカの家には塀も門もない事はアメリカに行った人ならよく知っていることだろ
う。むしろそれがアメリカの住宅の特徴とも言えるだろう。今回の旅行でこの事を再認識した。この言
葉はアメリカを一○○バーセント表している。むしろアメリカを指す暗号とさえ言えるかもしれない
(この事に関して非常に典味深い話が、ある読者から私に寄せられたので、この章の終りに載せること
にしよう。これは日本に来たあるアメリカの伝道者が見たアメリカの減亡の幻である)。しかし、キリ
スト者の私にとって消えない疑間があった。私はアメリカのクリスチャン、
教会を尊敬している。

これほど善良で信仰に熱心で愛の精神の満ちた人々を知らない。時には的はずれ
な善意、白人優越意識にあきれることもあるが、総じて信じられないほど純粋かつナイーブなのだ。こ
のような人々を、神は強制収用所に放り込み、ギロチン!で首をはねることを許されるのだろうか。一
体、今伝えられるこれらの情報は本当なのか?旅の終り頃、私の胸に去来した思いは〃試みの前のヨブ
〃という言葉であった。
旧約聖書ヨブ記というところにヨブと言う信仰の厚い人物が、苦しみに会い神に試みられる物語があ
る。聖書はヨブのことを「ひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった」と最大級の賛
辞で書き表している。しかも彼は非常に裕福であった。

彼の信仰は模範であり、神は不思議なことに〃
神の子たち〃の会議にのこのこ出てきたサタンにヨブの事を自慢している。ところがサタンは神に対し
て「それはあなたが彼を固くガードして居るからで、もし不幸や困難に出会ったらそんなに忠実な信仰
など持てないでしょう」と反論する。この辺が聖書の不思議なところで何でサタンと神が問答するのか
判らない。とにかく神は「ではお前がヨブを試みて見よ」と言う。サタンは一日の内に彼の全財産と息
子娘を減ぽしてしまう。それでもヨブは「人は裸で母の胎を出た、裸で帰って行く、
神は与え神は取られた」と神に対する信仰を捨てない。神はサタンにヨブはなお忠実ではないかと言う
とサタンはそれは自分の身体そのものに害が無いからだと言う。

それではと神は再びサタンにヨプを攻
撃することを許す。サタンはヨブをひどい皮膚病で苦しめる。この時、さすがのヨブも弱気になり神を
のろいこそしないが、なぜ、神は忠実な自分をこんな目に合わせるのかとつぶやき神と法廷で争いたい
と言うようになる。以下に彼の友人たちがやってきて人間の苦しみの意味について哲学論争が始まるの
である。結局、ヨブの達する結論は、人問には神と人とを仲介する仲保者が必要だと言うものである。
その意味でヨブ記と言うのは非常に明確にキリストを表す書物である。さて、それはともかく信仰厚き
ヨブにしてなぜその様な試みが必要だったのだろうか。それは、信仰の本質〃全てをかけるか〃という
事である。キリストは「私についてきたいと思うなら自分を捨て、信分の十字架を負って、私に従って
来なさい」と言われた。福音書でも富める青年にたいして全財産を捨ててついて来いと言うので彼は悲
しみながら立ち去ったという記事がある。

私はアメリカのクリスチャンはこの試みの前のヨブであり、
富める青年だと思った。彼らは「ひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった」人々で
ある。しかし、神はそれでは満足しない。信仰は一○○バーセントの委任であ
るからだ。九九、九九パーセントでもいけない。一○○バーセントである。もしアメリカに伝えられる
ような破滅、迫害が来るとするならそれはこの〃信仰の完成〃のためであろう。
 
 

私は引退した牧師や宣教師、牧師夫人などと食事をした時、こういう質間をしてみた。「アメリカは実
に偉大な国だ、あなた方は立派な国民だ、しかし、なぜこの国の指導者たちはあのように悪いのか」。
だれも一言も答えなかった。クリントンはイルミナティの五階級、ヒラリーとゴアは六階級。だからヒ
ラリーとゴアの方が本当は指導者なのである。彼らがどれほど悪に染まっているかはマインドコントロ
ールによるモナーク・スレイブだったキャッシー・オブライエンやシスコ・ホイーラーなどの証言によ
って明らかにされているがここでは取り上げない。私だって言葉にしたくない事もあるのだ。そして、
実は彼らはほんのチェスの駒に過ぎないのである。アメリカの実質的な王はロスチャイルドである。実
際の首相はロックフェラーである。それは一ドル紙幣に厳然と表示されている。アメリカの首都はサタ
ンのしるしで建設されている。

貨幣にはサタンのしるしが書かれている。結局このあまりにも明白な事
実に帰って行くことになる。単一民族ではないと言う事もそれを助長しているのだろう。
  先日、カーペンターズの兄が日本に来て、演奏をした。私はその顔を見て寒気がした、明らかにサタニストの内、自覚して献身している人々には共通の顔付きがあると思った。ゴアとそっくりだった。ま
た、阪神大震災のとき来たFEMAのリーダーそっくりだった。ヒラリーにもその匂いがある。その点、
クリントンにはまだ善良さが幾らかは残っている。しかし、クリントンもバイセクシャルで麻薬の販売
をしていた過去があるという。ブッシュはさらに酷かったという。信仰によって始められたアメリカ。
しかし、ついにサタンの自由に働く国となった。

強制収用所もギロチンもそしてロシアによる核攻撃も
十分にあり得る。しかし、善良で熱心なクリスチャンたちはその多くがその前に取り去られるか、守ら
れるだろう。中途半端な信仰者を試み、苦しみの中から本当の信仰復興をもたらすために、神はこの国
に嵐を呼ぶのだろう。ある日の夜、ハイウェイを走っていたとき物凄い雷雨となった。辺りが真昼のよ
うに明るくなった。かつてこれほど凄い雷を見たことがない。アメリカは嵐も大きいねと友人と語り合
った。嵐。たしかに嵐がくる。ァメリカを覆うサタンの嵐がくる。フランス革命の忠実な再現が起こる
ことは間近である。

フランス革命の中心、テロリスト、ジャコパン党の思想はもともとタルムードの思想である。そこには
こう書かれている。「クリスチャンは首を切らなければならない」英語ではdicapitationという。だから
ギロチンを使うのである。ギロチンに関しては別の情報も寄せられているがここでは取り上げない。次
に、アメリカの滅亡に関する驚くぺき幻を紹介しよう。これはあるアメリカの伝道者がイギリスの町で
神から見せられた衝撃的な幻である。私はこれは本物だと思う。この人にとってこの様な偽りを言う必
要が全く無いからである。