正装しても、どこへも行けない!       2000年祝祭

あなたは、パーティに招かれていますか?       ドンナ・メイヤ記/バルク訳

 私たちは、1990年代の終わりにさしかかっています。それで、今世紀の終わりの大きな取り引きとは
何でしょうか?すごい興奮があるのでしょうか?

私たちが、新しい世紀に入る時、そこには、あなたがグローバル(世界)市民として、取り扱わなければならない変化が沢山あるでしょう。用意はできていますか?ゴールの鐘の音は、最先端クリスチャンたち、および公式世界政府から聞こえ、驚くべきことにはどちらも同じような音色を鳴らし始めました。

突然起きるイベントに合同することを嫌がり、
時計の時刻が急速に進み始めたことににためらいを持つ人々もあります。あなたの将来に重大な影響を与え、あなたの生活様式を変えうるようなイベントがあります。
未来に対する、注意深く熟考され設計された計画が存在し、それはあなたのためにも存在しています。
そうあなたとの相談もなしに。これらの計画は速やかに実現しつつあります。

いいえ、これはよくある警告屋や終末論者の話ではありません。現在、表面化しつつあることがらを正直に見た見解を述べているのです。
羊飼いたち(牧師たち)は、かつてはこのことを洞察する時間がなかったのでしょうが、今は自分自身で、何が起きているのかを熱心に理解しようと試みつつあります。
彼らは、羊のためにその命を与えた良い羊飼いによって任せられている羊の群れを導くために自分たちは用意が整っていないことに突然気づくでしょう。さあ、祈りましょう。主の羊が、羊飼いの声を聞き分け、人間に従うのではなく、偉大な羊飼いの声を聞く用意ができるように。

 「敵意」は驚くべきものであり、予期せぬ時にこの世から表され、また同じく「クリスチャン」と呼ばれる(ある種の)人々からあらわになりました。
純粋な神の言葉を信じ、それに立つ人々は隅に追いやられるようになりました。
教会よ、あなたはかつてなくイエスキリストとその真理のために献身しなければなりません。

かつてないほどに心から進んでいってイエス・キリストと彼の真理のために立つために誓いを表明するにちがいない教会とは、主流から取り残されている教会なのです。
もし、キリストがすぐにも再臨されないなら、今の様相は、迫害と言えるでしょう。西暦2000年は、重要な役割を演じるでしょう。
これは、食糧備蓄することや、銀行からあなたの貯金を引き出すことや、シェルターに隠れることではありません。残念ながら、あまりにも多くの人々が、彼らが用いる恐れの戦術で無垢な迷子を導き、一方、彼等のすべての「サバイバル・キット(生き残りの道具)」を売りながら、収益を上げているのです。
真に新生し、神の言葉によって歩いているクリスチャンたちと、キリストの現れを待ちこがれている人々は、来るべき平和と繁栄の計画に危険とつまづきとがあることに気づかなければなりません。
すぐにホットにならないでいられる人というものは少ないものです。地上におけるあなたの生活圏のあらゆる領域が、揺れ動き、砕け始めるなら、どこに自分の力を見いだせるでしょうか?
 多くの人々が、地球全体の平和と繁栄の時になるであろうと信じている2000年を迎える世界規模の祝賀会が催されようとしています。その何ヶ月か前にあなたは、重大な決断を迫られるでしょう。あなたは、真剣な決断に直面しているのです。
あなたは、「統合」するつもりですか?
(訳注:ここでいう統合とは、アメリカで声高に叫ばれるようになっているいわゆる「聖霊の第三の波」の教理と一致していく統合、もしくはエキュメニカルな教派統合、そのどちらかでしょう)

今日、ざわめき聞こえる言葉は、「ユニティ」(一致)です。一致の中で一つとなっていくことに、大きな価値がある、主も人々にそれをお望みだということなのです。しかし、今日、「妥協」がその「一致」の外套の上に着せられています。私たちは、伝統的教義(神の言葉からの教え)にこだわらず、それを大目に見るように言われています。それは、ただ一致を妨げるものに過ぎないからというのです。クリスチャンは、もし彼らが他のクリスチャンと一致しないのなら、そういう人々は、次のイエスの祈りを妨害する罪に問われると言われています。

ヨハネ17:21「それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。」

 この聖句は、誤訳され、文脈から切り離されています。ここで、見落とされていることは、イエス様のいわれる「ひとつ」とは、私たちが、彼の標準で評価されることであって、いかなる犠牲を払っても、また真理を無視してでも「平和を維持する」などということではありません。私たちは、神の言葉の教えから割引きされた何物にも、膝を屈することはできません。たとえ、一致のために妥協を強く忠告されたとしても。

非常にたくさんの数のクリスチャン、そしてパラチャーチ組織、さらに世界的組織によって、「妥協」が要求されています。

緊急を要します!グローバル(地球的)な考え方に協力しない全ての人間を地球から粛清されなければならないのです。「宗教サイド」の議案によれば、「認可され」、「政治的に正しい」宗教と協力しない者たちは「罰せられる」ことになっています。非協力的な者達は、来るべきキリスト来臨のための地における準備を妨害する者と考えられているからです。

今日、組織された宗教の多くの人々が信じている、「再臨」とは、実はもう主イエス・キリストの栄光の現れのことではありません。それは、「霊的」な再臨であって、それにより、「神の子たちが顕現する」
こと、すなわち教会が遂に立ち上がって、キリストのため勝ち取る、ことを意味するのです。
 

(訳注:この辺は「顕現された息子達」とか「王国を今」等の現在、アメリカで広がっている教理を
知らない日本の我々には少しわかりずらい記述。要は、これらのインチキ教理は、終末におけるもっとも
重要な望み、希望であるキリストの再臨の教理を取り替え、言い換えて、「キリストは見えない形で
再臨する」、そして「再臨した見えないキリストは顕現した息子に受肉する」、「だから全ての人々は、
顕現した息子(使徒、預言者)の権威に従うべきだ」「従わない者は、反キリストであり、地から
削除される」などとのトンデモ理論を振りかざす。)
 

世界組織の性質は、「一致」のために必死で働くことです。
(訳注:ここでいう世界組織とは、WCC等を始めとするもろもろのエキュメニカル推進の
世界規模のキリスト教組織のことらしい。これらには、隠れた目的があり、意図をもって作られた組織です)

「古い道」に固執する者たちは、「預言者」のつまずきとなると考えられます、。預言者は、
新たな千年紀には、必ず「私たちすべてを一致に導き」、世の物質的富、政治的立場、実業等をも引き継ぐと考えられています。「一致」に抵抗する者たちに必要なこととして、地球上から、「清められる」か「取り除かれる」という結末を迎えることになるでしょう。これが、多くの人がいずれ立てあげられると語るヨエル軍団の教え(ヨエル書2,3章)です。

「統治」、「王国は今」の信条には、地を裁き、また自分たちが「悪」(これには、「一致」を妨げる者たちを含む)とみなす者を取り除くことにより、神を助けることが含まれます。この信仰体系にある人々、彼らは教会を一つに「統一」し、それぞれの市に「一つの都市教会」とし、市の教会同士が共に立ち上がり、社会を再建し、世界のあらゆる地域を統治することを目指します。
祈りのネットワークもこの考え方とつながりがあります。今日の執り成し手たちは、サタンを彼らの足の下に踏み付ける者なので、彼らはいわゆる「悪の主権」を天から引き落とすために天的な戦略的立場をとります。

ここでいうグローバル(世界規模)な統治主義の教会は、今世紀(20世紀)中、ずっと形成されてきた世界教会システム(訳注:エキュメニカル運動等のことか)にとっては、非常に都合のよいものです。
グローバルな組織は、聖書を固く信じるクリスチャンに耐えられません。「政治的に不適切」な教会や「適合」しない個人は、進歩の障害であり、教会が西暦2000年をスムースに迎えるための妨害とみなされます。

世界宗教
世界宗教が設立され、ガイアという女神を礼拝します。「再訪のグローバル2000−私たちは何をしましょうか?」と名付けられたドキュメントには、2000年1月1日、アイスランド、シングヴェリアに召集するようにと、各国の首脳、宗教指導者たちに、招待がありました。
この会合で、彼らは石の祭壇の前に集まり、「ガイア」に対する忠誠と誓いの手書きの契約書が奉納されました。(「ガイア」とは、息づいている地球と考えられ、尊敬と礼拝がされなければならない、母なる地球を意味します)

世界宗教の議会
最近の世界宗教議会での基調講演で、ゲラルド・バーニーが、「宗教は死滅しなければならない。宗教こそ事実上、すべての社会的、経済的、環境的問題と世界各地にある紛争の根本原因である。…できるだけ早くわれわれ人類は、地球のために考えることを学ぶことによって、共に地球の新しい将来を見ることになるであろう。そうすれば、われわれは、われわれ50億人すべてが、安らかに、われわれの古い考え方に死ぬことができる。一緒に水を渡ることができるし、地球の新たな時代への安全な到着を一緒に祝う事ができる。それは、共に記念となるであろう。」

1993年のグローバル倫理の宣言書が公開され、何十人もの宗教指導者たちによって署名されました。第3のグローバル倫理の「取り消すことができない指令」、「寛容の文化に対する公約」は、「不寛容」(多分、罪を指摘したりすること)を説教する宗教指導者たちは、彼らの会衆を失うことで、罰せられなければならない。彼らが、別の信仰を持つ者たち、あるいは、合法的な宗教戦争に向かって、先入観、憎しみ、そして敵意をかき立てた時は、当然彼らは、全人類から非難を受け、彼らに従う者たちを失うことになる。」

1993年8月30日、月曜日の夕方の会合に於いて、二人の講演者が、口をそろえて、「2000年までに、宗教世界会議の開催を」と提唱しました。

ユネスコ
ファーザー・ハンス・クンという、グローバリストの神学者で、スイス生まれのカトリック神学者は、ユネスコによって、「世界宗教倫理の宣言書」の創作を任命されました。その宣言書は、宗教指導者たちとその組織に対して拘束力を持つ一束の公約を課すことになるはずです。クンの見地からすれば、伝統的宗教は、存在が終わる倫理的義務を持っている、教会保守主義のいかなる形態も拒絶される。それは、はっきり言えば、後に引かない、抑圧的宗教のことである。
 これが適切に働くため、世界にある、すべての信仰が重んじられることは、合意されました。この「合意」に合意しない者たちは全て、罰せられることになります。

そのため、罪の赦しが得られるのは、イエスの御名を通してのみであるとの信仰は、宗教的排他性があることになります。それ故(上記合意に照らせば)、この様な信仰者は「敵」と見なされるでしょう。

フランス、ベルダン司教、ピエール・ビロンは世界政府の主題に関連して
「全世界は、このことを知らなければならない。もし、この世界政府制度が有効となるなら、すべての国は、この宇宙的権威に対しその持っている究極的主権を放棄しなければならない。」という。

連合宗教組織
これは形成されなければならない。ノーマン・メイヤー博士は(前UN、世界銀行と連邦局の相談役)ガイア宗教の基本主義を唱道して、『最早、「私たちは(we)」はなく、「彼らは(they)」もない。初めから、そして最後まですべての時に、「私たちを(us)」のみある。私たちすべて(all of us)は人類である。私たちの仲間である人種と共に、ガイア共同体の別のメンバーと共に、である。』
最終的にこの世界においては国連の宗教省が必要となるだろう。Futurist(未来派)という雑誌には、『諸宗教は今や最終的に「宗教連合団体」(URO)を形成する方向に向かっている。その構造は、国連(URO)と同じ方法で形成されつつあり、どちらも同じゴールを共有することになろう。』と報告されています。

世俗社会の宗教指導者会議
この会議は1994年2月に開かれました。合わせて500人のキリスト教及びユダヤ教聖職者が90の国々から「世俗社会における宗教的リーダーシップ」会議のためにエルサレムに集まりました。ワシントン・タイムズに『この会議は、「世界的脅威としての原理主義」を告訴する方向づけだった。』と報告されています。一人の有名な宗教家は、この会議で発言し「本物の宗教的指導は、宗教的な極端主義を取り扱わねばならない」と指摘し、カンタベリー大司教のジョージ・ケアリは、「可能である時はいつでも穏当に、不安定な病的な信仰表現」において彼らの信仰信条から「極端主義を引き抜く」ことを、三大一神教(ユダヤ教、イスラム教、キリスト教)の各指導者たちに勧めました。

内部から「迫害」が?
次の情報は、流動的ですが、聖書の真実を心から信じるクリスチャンと教会への非難を現わしています。彼らは、この地上に神の国を確立することを期待している人間により強く軽蔑されているのです。

ジョン・ホワイトヘッドによれば、携挙の信仰は、まるで、死亡願望を抱くようなもので、ノンクリスチャンが、麻薬、セックス、娯楽に探し求めている逃避にも似た現実逃避であるとのことです。ホワイトヘッドは保守弁護団体であるラザフォード研究所の会長であり、この組織は主としてクリスチャンの権利と宗教的自由の第一改正を擁護する物です。ホワイトヘッドは、世俗主義者たちが空しい幸福追求によって経験すると同じ絶望が、携挙を信じている人によって経験されていると信じています。

彼は「福音主義者たちの現実逃避の空想が、携挙のようなことに注がれるようになる。もし、それが成就の見込みがないことが明らかになるとき、絶望が襲いかかる。自殺や似たようなことが増加する。多くの牧師たちが運命を預言する一方で、誤り導かれる魂が、自分たちに押し寄せて来る潮流を待ち望みつつ教会に埋葬されるようになる。一般的な悲観論(もしくは希死)があらゆる文化を覆うようになる。未来のない世界に、誰が生きたいと望むのか?」と言います。
ホワイトヘッドは、その後、あるクリスチャン達は、暗く破局的な携挙という思考に屈せず、政治的にアクテイブになっているという事実には希望がある、と表現します。(GIB 広報)

吟味なしに今年、1999年に生きていることは、まるで大海の真ん中で、船無しでいるようなものです。神の言葉であらゆる事柄吟味しましょう。あなたは良く知られた名高い有名人たちが、聖書に示されているのとは、異なる議事計画作成に組み込まれているのを発見するでしょう。遅かれ早かれ人は私たちを失望させるものなのです。人間を当てにして信頼することはできないこと、永遠に誠実な神にのみ全き信頼を置くべきことを、私たちは学んでいます。彼等は、
反対者に対して、なぜそうも厳しいのでしょうか?残念ながら、「反対者たち」(グローバル思考に反対する者たち)を地球から「浄める」必要に関して(どこかで)合意があったようです。

「統一」こそが最重要だというわけです。しかし、私たちは、本質的な事柄を妥協してまで、他のすべての信仰と統一することはできません。確かに、共に協調することは大切ですが、しかし、われわれの信仰の土台である大事な確信や教えを否定することはできません。妥協の代価はあなたの魂を払うことになるでしょう。

教会ないしは世界にいるグローバリストの目から見ると、論議をかもし出す教義は、第三の千年期における平和と一致を脅かすので、許し難いものなのです。

新らしい千年期は、人類にとってやり直す最後のチャンスと考えられています。惑わされているクリスチャンたちにとっては、これは新たな千年期の地の回復をもたらすために、地を「清める」のを助ける機会なのです。彼らは、キリストを再び迎え、彼が王国を設立するためには、それを完全にするため、大いに奮闘するはずです。それで、この「ユートピア」を成し遂げることは人類にかかっているというわけなのです。今はみことばは2番目の位置に置かれるようになり、この地を今歩き回っている預言者達によって与えらる私的、特権的な啓示にその位置を奪われています。
多くの「新種の預言者たち」は、イエスは、伝統的キリスト教の中で信じられていた方法とは、かなり違った方法でが帰ってこられる、と言います。彼は、王の王、主の主として「肉体を持つ形」で来るのではなく、人類の中に「受肉される」であろう、と。

だから、さあ祝宴を始めましよう。大きな世界規模の祝賀会が、1999年大晦日から2000年1月1日をとおして計画されています。これは世界が始まって以来の最大級の大宴会となるでしょう。何物も較べられない程の惑星の大歓喜パーティとなるでしょう。

パーティー特別内部事情
これまでで明らかなことですが、「認定された」新たなワンワールド宗教(世界統一宗教)に、合意を拒んだ人々は、その祭りの行事を引き止めることを許されません。世界とその宗教組織は、あらゆる緊急事態をカバーしました。反対者たちは、彼らのパレードに水を掛けることは許されないでしょう。
悲しいことですが、「新しいキリスト教」は、これ(世界宗教)と同じ「グローバル化」への方向へ進むことにほとんど何も問題を抱きません。多くの人がそのパーティに来るでしょう。ニューエイジ主義者たちと教会の指導者たちは、この巨大世界祝賀会は、今まで見たことのなかった最大の祝宴であることに合意したのです。ある者は、それを「イエスのための誕生パーティ」とさえ呼んだのです。

聖書信仰に立つクリスチャンたちは、あたかも流れに逆らっているかのように見えます。私たちは、敬虔な者、不敬虔な者も等しく、今だかつて一度も直面したことのない時代にいることに気づくことが、重要です。本当のクリスチャンたちは、個人的、良識ある決断をすることができるために、情報を得る必要があります。今砂の中に首を突っ込んだままでいることは、悪魔の火矢に残りの体全体をさらすことになります。
多くの人々は、「私は否定的な事など何も聞きたくない」と言います。情報を得ることを選ばないこと、基本的な知識にも耳を閉ざすなら、それは耳の聞こえないこと、煙を上げて走る機関車があなたとあなたの愛する者たちの上に押し寄せてくるレールの間にふらふらすることを選ぶことと同じです。
新生し、聖書を信じるクリスチャンである私たちは、
人生を変え得る決断に直面しています。われわれの慰めは、神が「その日が近付いている」のを見るよう私たち一人一人を導いて下さることです。
良く聞こえ、また良く感じる事柄によって、惑わされることのないように吟味を祈り求めましょう。イエスは、終わりの日には惑わす者がある、と言われました。偽預言者が現れるとも言われました。「キリストが砂漠にいる、そこに行け」と言う者があるであろう、と。イエスは、「いいえ、行くな」といわれました。人の子は偉大な栄光の雲の中に来るのです。多くの良い地に植えられたクリスチャンたちが、「神の動きを見失うこと」を恐れて、間違った教えに過って導かれてしまうことを見るのは悲しいことです。
まもなく、私たちは全員正装しても、どこにも行くべきところがない、という事実に気づくでしょう。2000年の為に計画したパーティゆえに残された世界においては、私たちに用意されている余地など何も存在しないことが明らかになりました。
もし、私たちが真にイエスに従っているなら、そのパーティに招かれてはいないはずです。

(ドナ・メイヤと彼女の夫ロンは、パシフィック・ノース・ウエストで38年間アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの牧師をしていた。)

ー以上ー

(コメント)
この一文を通して伝わって来るのは日本では決して想像できない、
恐るべきアメリカ、キリスト教会の「実情」です。

「キリストの再臨は、伝統的なキリスト教会が信じていたものとは、違った形で来る」
「彼は肉体を持った見える姿、王の王、主の主として来るのでは無い」
「彼は目に見えない形で、人に受肉する」「再臨したキリストを受肉した選ばれた人々(使徒、預言者)は、地を受け継ぐ」
「これらの使徒、預言者に従わない者は、キリストの権威に従わない反対者であり、彼等は追放、
削除される」

こんな驚くべき論理がこの国で、広がり、強制され、しかもその勢力の方が優勢のようなのです。
これこそ、聖書のいう「背教」の日なのではないでしょうか?
何故これらの「情報」は日本に伝わらないのでしょう?
私が入手する多くのアメリカからの情報は、同じようなこの国の教会情勢を語ります。

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